あまりに率直にものを言えば、相手にとって良いことを言っていても、悪意があるように思われてしまうことがよくある。
誉める・・・というのではないが、ねぎらったつもりが、妙な意味に取られてしまうのだ。
そんなふうに受け取る人が多くなってきた。

私もそうなのだが、誉められるのが嫌なら、単に聞き流せば良い。
ひょっとしたら、本当は、相手の誉め言葉の中に、皮肉や下心があるのかもしれないが、そんなことを疑うもんじゃあない。

人を誉めること・・・特に、子供を誉めることは良いことなのかもしれないが、自分が誉められて悪感情を持つような者は、決して人を誉めてはならない。
誉められるのが苦手な人も、あまり人を誉めない方が良いのだと思う。
私自身は、人を誉める必要はないと思っている。
誉めなくていいから、ちゃんと見てあげれば良いのだ。
少なくとも、見もせずに誉めたりなんかしてはならない。
生徒がまだ何も描いていない画用紙に5重丸のスタンプを押す馬鹿な小学校の教師がいた。
そんな愚かな誉め方をしてはならないということだ。

ちゃんと見てあげるためには、普段から、観察眼を磨いておかなければならない。
観察力がある人がちゃんと見てくれたら、誰だって嬉しいのである。
観察力のない者が見る目は曇っている。
そんな目で見られたら、誰だって嫌だし、不快だ。
我々は、日常の中で、目覚めていなければならない。
そのためには、空や星や風をちゃんと観察しなければならない。
自然な眼差しで、見えるまま、あるがままに見るべきなのだが、そのためには、意識して見ること、即ち、観察でなければならない。
観察すれば、新たな目で見ることになる。
新たな目で見れば、全てが美しいのである。
そんな目で見てあげることが最上の賛辞なのである。









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