何かのきっかけで、急に気分が明るくなり、元気で楽天的になれば、不思議なことに、何をやってもうまくいくし、何でもできるような気がするということがある。
いつもそんな状態でいれば良いのであるが、本当は、それが人間の本来の姿である。
我々は、たまに、人間が真にあるべき姿に戻るだけなのである。
しかし、スポーツの試合をテレビで見て、「勇気をもらいました」などと言っていると、ますます、無力で惨めな状態になる。
なぜなら、そんなことを言う者は、勇気がない状態が自然だということになってしまうからだ。
勇気があることが自然な人間であれば、勇気をもらう必要などないことが分かるはずである。
では、どうすれば良いのかというと、エネルギーに満ちた仙人というのは、コツはたった1つだと言う。
それは心が静かなことだ。
そして、心は身体に従うものだ。
だから、心を静かにしたければ、身体の動きを止め、彫像のようになってしまうことだ。
例えば、絵や彫刻の前で、微動だにしないようにしていると、やがて、それらが語りかけてくる。
それが嘘のはずはない。
なぜなら、それは少しも特別なことではなく、神の像や、親しかった人の写真と語るなどというのは、全く珍しいことではないからだ。
あなただって、何度もやっているのだが、忘れてしまっているだけだ。
心身の絶対静止の状態をしばらく続け、心の曇りがなくなり、心が鏡のようになれば、心はまさに鏡のようにあなたの真の姿を映すのである。
その状態では、無限のエネルギーとの通路が開き、力が流れ込んでくる。
それは全身の細胞を満たし、あなたを構成する原子をも満たす。
そのエネルギーを送り出すことも自在にできるが、そうしたとしても、無限に補給されるので、減ることはない。
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いつもそんな状態でいれば良いのであるが、本当は、それが人間の本来の姿である。
我々は、たまに、人間が真にあるべき姿に戻るだけなのである。
しかし、スポーツの試合をテレビで見て、「勇気をもらいました」などと言っていると、ますます、無力で惨めな状態になる。
なぜなら、そんなことを言う者は、勇気がない状態が自然だということになってしまうからだ。
勇気があることが自然な人間であれば、勇気をもらう必要などないことが分かるはずである。
では、どうすれば良いのかというと、エネルギーに満ちた仙人というのは、コツはたった1つだと言う。
それは心が静かなことだ。
そして、心は身体に従うものだ。
だから、心を静かにしたければ、身体の動きを止め、彫像のようになってしまうことだ。
例えば、絵や彫刻の前で、微動だにしないようにしていると、やがて、それらが語りかけてくる。
それが嘘のはずはない。
なぜなら、それは少しも特別なことではなく、神の像や、親しかった人の写真と語るなどというのは、全く珍しいことではないからだ。
あなただって、何度もやっているのだが、忘れてしまっているだけだ。
心身の絶対静止の状態をしばらく続け、心の曇りがなくなり、心が鏡のようになれば、心はまさに鏡のようにあなたの真の姿を映すのである。
その状態では、無限のエネルギーとの通路が開き、力が流れ込んでくる。
それは全身の細胞を満たし、あなたを構成する原子をも満たす。
そのエネルギーを送り出すことも自在にできるが、そうしたとしても、無限に補給されるので、減ることはない。
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そうですね。亡くなった父の写真の前では、なんのためらいもなく頭の中で(心の中で?)話ができます。
それから、あまりに美しい絵や音楽に出合ったときは、魂が震えます。(個人的には、丹田の部分や眉間がサワサワっとした感じになります。)
言葉にするならば、「はっと息を呑む」という感じでしょうか。
そんな瞬間ほど幸福な時はありません。
時間も忘れます、空間にいることすら忘れている状態だろうと思います。
そんな時間を永遠と呼ぶのかもしれませんね。