江戸時代の高名な観相家(顔や身体の相で運命を鑑定する占術師)であった水野南北が、食の多少で運勢が決まると言ったのは、ややデータ量は少ないが、今で言う、一種のビッグデータのようなものかもしれない。
ビッグデータとは、あらゆるデータを集め、そこに現れる相関関係から真理を読み取るというものだ。
つまり、南北の場合、食の量が少なく、粗食であることと、幸運、長寿、繁栄、健康に正の相関関係が見られることが分かったということだ。
そして、南北自身が検証した数万の鑑定において、例外は1つもなかったというから、相関関係は完璧ということになる。
現代であれば、このことについて、本物のビッグデータの収集も可能であると思うが、そうなると、「何を持って、少食、即ち、食を謹んでいると言えるか?何を持って運勢が良いと言えるか?」といった定義も必要になるのだろう。
しかし、いずれにせよ、ビッグデータからは、食の多少と何らかの意味の幸福状態との相関関係は必ず明らかになると思う。
つまり、ビッグデータを収集するまでもなく、そのくらいのことは明らかなのだが、本当にビッグデータ解析を行うと、もっととても興味深いことが分かるに違いない。
ただ、ビッグデータとは、答は分かるが、理由は分からない。
水野南北は、食を慎めばなぜ幸運になれるかについて、神道、儒教、仏教の教えがそれを証明すると言うが、本当は、理由はどうでもよく、ただ、「食を慎めば幸運」という答だけ分かっていれば良いのである。
この世界のものごとは、それぞれが関係のありそうなもの、あまり関係のなさそうなもの、関係があるとは思われないものといった全てのことにおいて、必ず、何らかの関係はあるのである。
例えば、あまり信じてもらえないだろうが、サハラ砂漠の全ての砂の動きを解析できれば、ニューヨークの株価の変動と何らかの関係は認められるのだと思う。
量子力学の分野で、天才的な科学者が、この世界の仕組みを解明しようとしている。
しかし、いかな天才といったところで、この世界を創った神と比べれば、あまりに卑小な知恵でしかなく、実際は、ほとんど何も分からないはずだ。
だが、ビッグデータでは、法則は分からないが、真理は分かるのである。
そして、神でない人間には、所詮、理由は分からないのだ。
ところで、ビッグデータとは、必ずしも、大企業がよくやるように、ネット上で、無料サービスを提供して会員登録をしてもらい、その会員からデータを収集するといった方法を取る必要はない。
あくまで例えだが、般若心経を一万回も唱えれば、数億、数十億、あるいは、それよりはるかに多い何らかの情報が自動的に集まり、それが、心の深奥にある何かと作用し合い、重要な真理とつながるのである。
それを悟りというのである。
繰り返しの力をくれぐれも軽く見てはならない。
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ビッグデータとは、あらゆるデータを集め、そこに現れる相関関係から真理を読み取るというものだ。
つまり、南北の場合、食の量が少なく、粗食であることと、幸運、長寿、繁栄、健康に正の相関関係が見られることが分かったということだ。
そして、南北自身が検証した数万の鑑定において、例外は1つもなかったというから、相関関係は完璧ということになる。
現代であれば、このことについて、本物のビッグデータの収集も可能であると思うが、そうなると、「何を持って、少食、即ち、食を謹んでいると言えるか?何を持って運勢が良いと言えるか?」といった定義も必要になるのだろう。
しかし、いずれにせよ、ビッグデータからは、食の多少と何らかの意味の幸福状態との相関関係は必ず明らかになると思う。
つまり、ビッグデータを収集するまでもなく、そのくらいのことは明らかなのだが、本当にビッグデータ解析を行うと、もっととても興味深いことが分かるに違いない。
ただ、ビッグデータとは、答は分かるが、理由は分からない。
水野南北は、食を慎めばなぜ幸運になれるかについて、神道、儒教、仏教の教えがそれを証明すると言うが、本当は、理由はどうでもよく、ただ、「食を慎めば幸運」という答だけ分かっていれば良いのである。
この世界のものごとは、それぞれが関係のありそうなもの、あまり関係のなさそうなもの、関係があるとは思われないものといった全てのことにおいて、必ず、何らかの関係はあるのである。
例えば、あまり信じてもらえないだろうが、サハラ砂漠の全ての砂の動きを解析できれば、ニューヨークの株価の変動と何らかの関係は認められるのだと思う。
量子力学の分野で、天才的な科学者が、この世界の仕組みを解明しようとしている。
しかし、いかな天才といったところで、この世界を創った神と比べれば、あまりに卑小な知恵でしかなく、実際は、ほとんど何も分からないはずだ。
だが、ビッグデータでは、法則は分からないが、真理は分かるのである。
そして、神でない人間には、所詮、理由は分からないのだ。
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あくまで例えだが、般若心経を一万回も唱えれば、数億、数十億、あるいは、それよりはるかに多い何らかの情報が自動的に集まり、それが、心の深奥にある何かと作用し合い、重要な真理とつながるのである。
それを悟りというのである。
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