私は最近、BS-TBSで再放送されている、笹沢左保さん原作の時代劇『木枯し紋次郎』(1972年)を録画して見ている。
木枯し紋次郎は、渡世人ということになっているが、渡世人とは、「ばくちうち。博徒。やくざ。」という意味らしい。
ただし、紋次郎は常に一人旅を続ける無宿渡世であり、いわゆる、流れ者ということだと思う。
西部劇で言えば、『南から来た用心棒(原題:アリゾナ・コルト)』で、ジュリアーノ・ジェンマ演ずる、流れ者の凄腕ガンマンにして賭博師アリゾナ・コルトと同類ということだろう。

紋次郎はチームを作っている訳でも何でもないのだが、人を見る目を持つ者は紋次郎を一目見ると、「大した貫禄の親分さん」と確信し、口でもそう言う。
すると紋次郎は、「あっしは親分なんかじゃござんせん」と言うが、やっぱり、全身からほとばしり出る、隠しようもない雰囲気・・・オーラとでもいうものがあるのだろう。
あなたは、そんなオーラを持った者に会ったことがあるだろうか?
私の場合、残念ながら、こっちに人を見る目がないので、会っても分からないという訳だ。
まして、私が、そんな雰囲気を発するのは、死んでも無いということかもしれない。

ただ、いかに見る目がなくても、睨みあうことにでもなれば、誰が本当に強いのかは、どんな低レベルの人間でも分かるものだと思う。
雄ライオン同士は、実際に戦わなくても、対峙しただけでお互いの力量を認識し、自然にボスが決まるものらしい。
そして、肉があれば、まずボスが一番良い肉を選び、その間、別のライオンはおとなしく待っているのだ。
その力量とは、必ずしも肉体の強さで決まるのではないという。
最近、ケヴィン・リチャードソンという男性が、野生のライオンをまるで猫のように扱うビデオを見たが、肉体的にはライオンにはるかに劣る人間でも、真の力があれば、ライオンのボスのようなものになれることからも、そんなこと(本当の力は肉体の強さではないこと)が分かるように思う。

テレビドラマの演出とはいえ、やはり中村敦夫さん演じる紋次郎は雰囲気がある。
どのあたりにそれを感じるかというと、無口なところと、動く必要がない時は、ほとんどぴくりとも動かないところだ。
そして、これはやはり、大物の特徴であるはずだ。
安っぽい人間ほど、無駄口を叩き、落ち着き無く動く。
電車の中でも、手足をぶらぶらさせたり、例え音楽を聴いているのだとしても、踵で床を鳴らしたり、指で何かをトントン叩き続けている者を見れば、明らかに、低級な人間であると感じる。
こちらも、あまり上等ではないので、大物は分からないが、小物は簡単に分かるのである。
あなたも、チンピラだと思われたくなければ、じっと動かないことだ。
また、呼吸の音はさせず、咳をするにも、なるべく音を立てないことだ。
安い男ほど、大きな音で咳払いをしたり、喉を鳴らしたりするものだ。
女であれば、やっぱり、騒がしく、無駄に慌(せわ)しいのは、軽い女、安い女なのである。
もちろん、相手に気を使って明るく話しかけたり、ジョークを言って周りを楽しくするのは、むしろ、大物に近いほどだ。
しかし、小物がそんな真似をするのは、単に自分に注目を集めたいだけで、やっぱり、騒がしいだけだったり、同じような弱い者同士で馴れ合っているだけである。

そして、じっと動かない訓練、無駄なことを一切言わない決意をすれば、あなたも力量を増し、男であればボス、女であれば、かしずかれる女神のような存在になるのである。
くれぐれも、小我を満足させるために、下らないおしゃべりをしたり、つまらないことをしないことだ。
また、馬鹿みたいに、落ち着き無く動いたり、手足をぶらぶらさせないことだ。そんな人間が実際に馬鹿なのだ。
特に、大物を目指す男であれば、いつでも、彫像のように動かず、沈黙の行でもしているかのように、どんな場合でも、言い訳すらせずに黙っていることだ。
本物の男とは、一切、言い訳をしないということはご存知と思う。









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