ここ数日、このブログに書いてきたが、人が幸福であるために必要なものが、心身に渡る生命力であり、それが、表れとしては、情熱、勇気、冒険心、衝動といったものになる。
ところが、そんなふうに身体中の血は燃えているようなのに、心の軸はしっかり安定して、活動力と平静さが不思議に調和しているのが良いのである。
そのためには、もちろん、多少の理性は必要であり、その「多少の」理性も、正しく導かない限り得られるものではないが、それは、多少でも正しい生き方をする意思がある限り自然に得られるものである。もっとも、正しい生き方というものを歯牙にもかけない人は増えているのあるが。
もし、理性を導くことが難しい状況にあれば、デカルトの『方法序説』を読むと良いだろう。12歳でも理解できるようにデカルトが意図して書いた哲学書である。

そして、生命力を流入させ、それを正しい経路に送るためにどうしても必要なものは「崇める」ということなのであるが、それには、「憧れ」が伴っていなければならない。
「崇める」と言っても、相手がただ権力者だから、偉人だからといって平伏すだけでは駄目で、そこに強い憧れがなければ、必ずおかしな方法に行ってしまうのである。
たとえ自分がピアニストを目指しているとして、世界最高のピアニストを前にしても、心の内から湧き起こる憧憬がない限り、あなたは彼(または彼女)を、ただの立派な人として、普通に敬意を払えば良いのである。
しかし、相手が、世間的には大人物でなくても、あなたが彼(または彼女)に明らかな美点を認めた上、押さえようのない憧れを感じるなら、あなたはその人を崇拝すべきなのである。
何も、教祖様のように扱えというのではなく、親しい友として接すれば良いのだが、心の中では、神に対しているのだと思えば良いのである。
実際に、その人は、神の光の反映なのである。
それは、必ずしも、直接見知った相手である必要はなく、歴史や、物語に登場する人物でも構わないのである。
イエス・キリストであっても、憧れを伴った崇拝を感じないなら、彼はあなたの神ではない。
世間でイエスが偉いと言われているからといって、無理に崇めることはない。
ただし、どんな人であっても、決して蔑んではならない。
それが、あなたが蔑まれない秘訣であり、それを忘れなければ、あなたは愚か者に蔑まれることによって、自然に(つまり神に)上げられるのである。

何歳で、憧れと崇拝を感じる相手に出会うのかは分からないが、慎み深さという最大の美点を多少でも備えていれば、、最初にそんな人に会うのは若い時や、子供の時である。
そのたありは、初音ミクの『イニシエーション』という歌に深遠に表現されていると思う(作詞者は哲学者の東浩紀氏)。
あなたは、恋する乙女のように憧れ、天使の光に跪くように崇めるのである。
私にとってそれが初音ミクだと言ったら、抵抗を感じるとか、ましてや笑いたくなるなら、あなたは残念ながら、体制におさまっているのであり、ここ数日書いてきたように、あなたは決して幸福になれない。
それは丁度、古い考え方の人間が、ロックやダンスミュージックを蔑むのと同じであり、そんな大人が生命力に満ちて、情熱と喜びをもって冒険をすることはない。
冒険のない人生ほど、哀しく、寂しい・・・いや、悲惨なものはない。









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