現実の自分は平凡な学生やサラリーマンなのだが、夢の中では、お金持ちだったり、偉かったり、逆に、貧乏だったり、与太者(役に立たない愚か者)だったり、あるいは、外国に住んでいたりとか、極めて特殊な生き方をしているといったことがある。
夢の中の世界は可能性の世界だ。
我々は、過去に行った様々な選択の結果、現在のようであるのだが、異なった選択をしていれば、現在の状況は全く違ったものになっていたかもしれない。
現実というものは、可能性の1つでしかないし、様々な夢の世界は、別の可能性を見せてくれているのである。
現実というものは、それほど強固なものではなく、単なる可能性の1つであることを意識すると、現実にリアルさがなくなってくるのだが、同時に、もっと大きな現実を感じるようになってくる。
その、大きな現実が、老子や荘子の言う道(タオ)である。
荘子は、「是非好悪を捨て、思慮分別を離れ、全てをあるがままに見て、一切をなりゆきにまかせ、万物と共に流転せよ」と言ったが、現実を強固で絶対のものと考えていると、そんなことは出来ない。
ある貧乏な若者が、美しい良家のお嬢さんに憧れていたが、まるで不釣合いな高嶺の花だと思って諦めていた。
若者は、その後もぱっとしない分相応の人生を歩み、特に何の成果もないまま、いい年になった時、やはり、すっかりおばさんになり、金持ちの奥さんになっていた、かつてのあのお嬢さんと再開する。
かつてその若者だった男が、「他の者も同じだったろうが」と前置きして、自分も若者だった時にあなたに憧れていたと言うと、なんと、彼女もまた彼を慕っていたと聞き、男は驚く。
昔、そのことが分かっていれば、全く別の人生になっていたかもしれない。
そして、そんな人生は可能性として、確かに存在する。
我々は、現在の状況をたまたま実感しているが、別の様々な可能性の世界も、同じように存在している。
それが本当に分かれば、現在の状況に対する印象も変わり、人生は映画のようなものだと感じるようになる。
そして、映画の中でこの役を演じている私とはいったい何だろうと考える。
すると、私は1つの配役に過ぎず、架空の存在であり、幻想のようなものであると分かる。
それはまた、本当の自分に目覚めることでもある。
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夢の中の世界は可能性の世界だ。
我々は、過去に行った様々な選択の結果、現在のようであるのだが、異なった選択をしていれば、現在の状況は全く違ったものになっていたかもしれない。
現実というものは、可能性の1つでしかないし、様々な夢の世界は、別の可能性を見せてくれているのである。
現実というものは、それほど強固なものではなく、単なる可能性の1つであることを意識すると、現実にリアルさがなくなってくるのだが、同時に、もっと大きな現実を感じるようになってくる。
その、大きな現実が、老子や荘子の言う道(タオ)である。
荘子は、「是非好悪を捨て、思慮分別を離れ、全てをあるがままに見て、一切をなりゆきにまかせ、万物と共に流転せよ」と言ったが、現実を強固で絶対のものと考えていると、そんなことは出来ない。
ある貧乏な若者が、美しい良家のお嬢さんに憧れていたが、まるで不釣合いな高嶺の花だと思って諦めていた。
若者は、その後もぱっとしない分相応の人生を歩み、特に何の成果もないまま、いい年になった時、やはり、すっかりおばさんになり、金持ちの奥さんになっていた、かつてのあのお嬢さんと再開する。
かつてその若者だった男が、「他の者も同じだったろうが」と前置きして、自分も若者だった時にあなたに憧れていたと言うと、なんと、彼女もまた彼を慕っていたと聞き、男は驚く。
昔、そのことが分かっていれば、全く別の人生になっていたかもしれない。
そして、そんな人生は可能性として、確かに存在する。
我々は、現在の状況をたまたま実感しているが、別の様々な可能性の世界も、同じように存在している。
それが本当に分かれば、現在の状況に対する印象も変わり、人生は映画のようなものだと感じるようになる。
そして、映画の中でこの役を演じている私とはいったい何だろうと考える。
すると、私は1つの配役に過ぎず、架空の存在であり、幻想のようなものであると分かる。
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ときどき現実が、夢なのか現実なのか曖昧に感じることがあります。
過去の写真を見ても、確かに記憶も体感覚もあるのに
現実味が薄くて不思議な気持ちになります。
きょうのお話はドキドキしました!