無双さんのコメントを見て、「忠誠を誓う」とか「崇める」ということの中に、とても重要な鍵があるのだということに、改めて思い至るのである。
『神様のメモ帳』での、アリスに対する藤島鳴海、『アクセル・ワールド』での黒雪姫に対するハルユキ(有田春雪)のような、迷うことのない憧れと崇拝の気持ちの引き起こす力について、現代の人々は気付き難くなっている。
鳴海の場合もそうだが、『涼宮ハルヒの憂鬱』での、ハルヒに対するキョンのように、表向きには自我のぶつかり合いはあっても、鳴海もキョンも、心の奥深くでは、アリスやハルヒを何よりもかけがえのないものと感じているだろうし、ハルユキにいたっては黒雪姫が世界の全てだろう。

同じような例は、世界的文学作品の中にも見られる。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』では、社会の最下層に生きる二十六人の貧しい労働者の男達は、ターニャという名の16歳の少女を女神のように崇めることで、それまで決して知ることのなかった崇高な精神に目覚め、そして、新しい未来を生きる活力を得ることができたのだ。
しかし、実際は、ターニャは女神の名に相応しい素晴らしい少女でもなんでもない。
彼女を理想の聖なる乙女に見立てたのは、単なる男達の妄想だった。
それでも、この愚劣で何の価値もなかった男達は、とおの昔に失った人間性を取り戻し、頭も回るようになり、何よりも、何十年か振りで、神に目を向けるようになったのだ。
ターニャの幻想が壊れるまでは・・・

ロマン・ガリの『天国の根』にいたっては、女神に見立てる少女はいない。
それはただ、堕落したフランス兵達の心の中に現れた。
彼らは、隊長の命令で、ただ、理想の少女が居ることを想像しただけだった。
だが、それでも、フランス兵達は、紳士として振る舞うことを始め、やがて、高貴な騎士道を取り戻したのだ。
そして、敵に対し、命と引き換えであろうとも、目に見えない少女の引渡しを敢然と拒否したのだった。
そんな彼らは、精神の秘密を知り、偉大な力を手にしていたのだ。

崇めるものがある者は、敗北を知らず、いかなる苦難をも乗り越え、奇跡すら起こし、女神を驚かせてでも、その微笑を守るのである。
※『天国の根』の翻訳は、現在、ほぼ入手不能だが、重要な部分が、コリン・ウィルソンの『至高体験』に引用されている。









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