人という字は支え合って出来ているんじゃなくて、大きい方が小さい方に寄っかかっているだけだ・・・なんていう歌があったと思う。
人は支え合っていると言われたら、誰もが「では、支えてもらおう」と思うものであり、「では支えよう」とは思わないものだ。
しかし、支える人、支えられる人とは何だろう?

戦(いくさ)の場で、馬に乗った鎧武者が、「我こそは、どこそこの何たらである。いざ勝負」と雄たけびを上げるのを聞いた者が、
「その何たらってのは、馬なのかね?鎧なのかね?」
と言う。
怒った鎧武者は、
「今からお前を切り殺すのが何たらだ」
と言って、太刀を振り上げて、その者に襲い掛かった。
しかし、その太刀を振り下ろす時、武者は恐怖にかられる。

さて、武者に何が起こったのか?
エドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』の最後のセリフを覚えておくと良い。

君は勝った。僕は降参する。だが、ここのちは、君もまた死んだのだ-この世に対し、天国に対し、また希望に対して死んだのだ!僕の中に君は生きていたのだ-だから、僕が死んで、君自身であるこの僕の姿によって、よく見たまえ。君がいかに完全に君自身を殺してしまったかを。
~『ウィリアム・ウィルソン』(エドガー・アラン・ポー著、苅田元司訳、旺文社)より~

どんなに偉くなっても、自分は所詮、寄生虫、あるいは、ウイルスのようなものだと言った人がいた・・・ような気がする。
寄生虫もウイルスも、宿主がいなければ生きていけない。
しかし、宿主、寄生虫、ウイルスとは何だろう?
つまるところ、区別はないのだ。
病人と医者、ヤクザと警察、勤勉な勤労者とニート・・・両者に何の違いもない。試しに片方を滅ぼすと、すみやかにもう一方も消えるだろう。









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