ある会社の1人の男子社員が、英会話の勉強をしていると言う。
しかし、彼の勤める会社は現在、海外で事業をしている訳ではなく、海外と取引があるのでもないらしい。
また、英語を話す海外の友人がいるというのでもないし、留学する予定がある訳でもないらしい。
それで、彼に、なぜ英会話の勉強をしているのかと尋ねると、社長が何かの時に、彼ら社員に送ったメッセージの中に、「当社はいつまでも国内だけに留まっておらず、海外で事業をすることになる。そんなことが必要な時代である。だから、その時に活躍できるよう、英会話をしっかり勉強しないといけない。社員全員にTOEICを受けさせる計画をしている」というものがあったからだと言う。
それで、私が、
「いつ海外に行くんだね?」
と尋ねると、彼はぽかんとして、
「そんなこと分かりませんよ」
と言う。
「なら、君は、海外で何をするのだね?」
と聞いても、彼は不快そうに、「分かるはずがない」と言う。
会社の、いつ、どんな形で行われるか全く未定の海外事業計画のために英会話の勉強をやっていると、彼は正気で言っているようだ。
彼も愚かであるが、社員に対し、社長がそんな間抜けなメッセージを出すその会社の将来も知れたものだろう。
必然性のない勉強に、何の意味もない。
しかし、学校では、必然性のない勉強を強要し、必然性のあることを禁止するのである。
それが学校というものなのだ。
無論、たまたま、学校の勉強に必然性ある意義を見出して勉強することができた幸運な子供もいるだろう。
しかし、大多数は、日本の学校の本質的な役割である、奴隷のような労働者を作るという目的の通りの人間になっているのである。
私は常々、これからの時代は、全ての人にコンピュータープログラミングが必要になるので、なるべく早く学んでおくことがあなたにとって大きなメリットになることを様々な形で述べてきたし、これからも話したいと思う。
しかし、何の必然性もなしにプログラミングの勉強をしても、何も身に付くはずがない。
これは、当然の前提のつもりだった。
あまりに当たり前のことなので、あえて言わなかったかもしれないが、今日、若い人と話していて、改めてそのことに気付かされたのである。
その中で、ある理系の大学生は、すぐに、今の研究内容をデータベース化し、複雑な統計解析を行うためにExcelとVBA言語の有益さを理解したのだが、その他の者はそうではなかった。
「プログラムかあ・・・」
と言うだけで、全くピンとこないようである。
しかし、学生、社会人に限らず、決して必要性がない訳ではないのである。
ただ、勉強なり、仕事なりに熱意が無いので、それを合理化しようとか、高度化しようという考えが浮かばないのである。
そうなければ、プログラミングを学ぶ必然性を感じることはない。
私は昔、小さな会社で、資材購入や、売上管理の事務の仕事をしていた時、会社にいた技術課長にパソコンでのプログラミングのことを聞き、正直、仕事はあまり好きではなかったが、すぐに業務に役立たせせることができると感じ、その日の帰りに本屋に行ってプログラミングの本を買ったのだった(当時、まだAmazonはなかった)。
実際、私がプログラミングをしたために、仕事は大いに効率化され、営業や製造の合理化にもつながった。
そうやって、私は実践的にプログラミング能力を身につけ、新しい場所に移ることになったのだ。
勉強に限らず、何事も、子供でもあるまいし、必然性もなしに効果的な活動はできない。
いや、子供こそ、必然性がなければ、良い行動はできない。
例えば、子供でも大人でも、興味があるということは、立派な必然性である。
子供の場合は、興味というものの割合が大きいというところは、大人とはやや異なるかもしれないが、そこに必然性があるから情熱をもってやれるという意味では同じである。
学校では、興味のあることはあまりさせてもらえず、何の関心もないことをやることを強要されたはずだが、いつまでもそんな「学校に隷属する学生の真似」をせず、それに本当に必然性があるかどうかは自分で考えて行動しなければならない。
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しかし、彼の勤める会社は現在、海外で事業をしている訳ではなく、海外と取引があるのでもないらしい。
また、英語を話す海外の友人がいるというのでもないし、留学する予定がある訳でもないらしい。
それで、彼に、なぜ英会話の勉強をしているのかと尋ねると、社長が何かの時に、彼ら社員に送ったメッセージの中に、「当社はいつまでも国内だけに留まっておらず、海外で事業をすることになる。そんなことが必要な時代である。だから、その時に活躍できるよう、英会話をしっかり勉強しないといけない。社員全員にTOEICを受けさせる計画をしている」というものがあったからだと言う。
それで、私が、
「いつ海外に行くんだね?」
と尋ねると、彼はぽかんとして、
「そんなこと分かりませんよ」
と言う。
「なら、君は、海外で何をするのだね?」
と聞いても、彼は不快そうに、「分かるはずがない」と言う。
会社の、いつ、どんな形で行われるか全く未定の海外事業計画のために英会話の勉強をやっていると、彼は正気で言っているようだ。
彼も愚かであるが、社員に対し、社長がそんな間抜けなメッセージを出すその会社の将来も知れたものだろう。
必然性のない勉強に、何の意味もない。
しかし、学校では、必然性のない勉強を強要し、必然性のあることを禁止するのである。
それが学校というものなのだ。
無論、たまたま、学校の勉強に必然性ある意義を見出して勉強することができた幸運な子供もいるだろう。
しかし、大多数は、日本の学校の本質的な役割である、奴隷のような労働者を作るという目的の通りの人間になっているのである。
私は常々、これからの時代は、全ての人にコンピュータープログラミングが必要になるので、なるべく早く学んでおくことがあなたにとって大きなメリットになることを様々な形で述べてきたし、これからも話したいと思う。
しかし、何の必然性もなしにプログラミングの勉強をしても、何も身に付くはずがない。
これは、当然の前提のつもりだった。
あまりに当たり前のことなので、あえて言わなかったかもしれないが、今日、若い人と話していて、改めてそのことに気付かされたのである。
その中で、ある理系の大学生は、すぐに、今の研究内容をデータベース化し、複雑な統計解析を行うためにExcelとVBA言語の有益さを理解したのだが、その他の者はそうではなかった。
「プログラムかあ・・・」
と言うだけで、全くピンとこないようである。
しかし、学生、社会人に限らず、決して必要性がない訳ではないのである。
ただ、勉強なり、仕事なりに熱意が無いので、それを合理化しようとか、高度化しようという考えが浮かばないのである。
そうなければ、プログラミングを学ぶ必然性を感じることはない。
私は昔、小さな会社で、資材購入や、売上管理の事務の仕事をしていた時、会社にいた技術課長にパソコンでのプログラミングのことを聞き、正直、仕事はあまり好きではなかったが、すぐに業務に役立たせせることができると感じ、その日の帰りに本屋に行ってプログラミングの本を買ったのだった(当時、まだAmazonはなかった)。
実際、私がプログラミングをしたために、仕事は大いに効率化され、営業や製造の合理化にもつながった。
そうやって、私は実践的にプログラミング能力を身につけ、新しい場所に移ることになったのだ。
勉強に限らず、何事も、子供でもあるまいし、必然性もなしに効果的な活動はできない。
いや、子供こそ、必然性がなければ、良い行動はできない。
例えば、子供でも大人でも、興味があるということは、立派な必然性である。
子供の場合は、興味というものの割合が大きいというところは、大人とはやや異なるかもしれないが、そこに必然性があるから情熱をもってやれるという意味では同じである。
学校では、興味のあることはあまりさせてもらえず、何の関心もないことをやることを強要されたはずだが、いつまでもそんな「学校に隷属する学生の真似」をせず、それに本当に必然性があるかどうかは自分で考えて行動しなければならない。
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一番具体的だと思う、50m走で例えてみます。
このプログラミングというのはなんか、7秒以内で走れ、みたいに感じるわけです。
もちろんスポーツクラブ所属みたいな人や、センス=運動神経のある人はうまくやれるでしょう。
で、こういう記事も、センスはあるものの、気づいてない人には有効だと思いますし、素晴らしいと思います。
では、本当に必要な人はどういう人でしょう?
それは50m8秒~10秒の人でしょう。(11秒もいるようですがキリがいいので10にしておきます)
いくらうまい人が、7秒は必須と行っても、このへんの人はセンスがないから7秒にはいけないです。
まあ10秒を9秒にするには、ひたすら走り込みさせれば、なんとかなると思いますが、それでも7秒には程遠い。
ちなみにこれ、趣味の領域でも思いっきり差が出ますので、やはり個人差が激しいです。(そうでなければわざわざ書いてはいません)
とするならば、必須を誰でも達成なところに下げるか、誰でも達成できるようにしなければならないと思います。
まあ、すごく難しい問題ではあると思うのですが…。
これ、できない人ができる人を理解できないのと同じくらい、できる人ができない人を理解できないので、あえて書かせていただきました。
嫌悪感を抱くような文章になってましたらすいません。
ちなみに英語については、中には親が勉強してる姿を見て、子供が真似して将来役立った、という場合もあるようです。
ただこれは運の範疇ではありますが…。