このブログへの無双さんのコメントで教えていただいた『TOKYO DESIGNERS WEEK.tv~茂木健一郎の発想の種 IMAGINE~』の、脳科学者の茂木健一郎さん、アーティストの清川あさみさんと、音楽家の渋谷慶一郎さんの面白い対談を見たが、渋谷さんを見ていて、この人、堀江貴文さんに似てるなと思ってしまった。
私は、以前、渋谷さんが、NHK Eテレで写真家の蜷川実花さんと対談されているのを見たが、それも合わせてそう思ったのだろう。
本当に、渋谷慶一郎さんと堀江貴文さんは似た雰囲気があると思う。
どこがって、あのふてぶてしさだ。
殺しても死なないような、生命力と自信といったものだろうか?
他に似た人はいなかったか考えると、最近はあまり見なくなったが、竹村健一さんが全くそうだと思う。
この3人、好きな人は好きだろうが、嫌悪感を感じる人も多いだろうなと思う。
かくいう私も、この3人、あまり好きではないところもある。
もし、渋谷さんが、初音ミク主演のオペラ『THE END』を創らなかったら、雰囲気だけでいうなら、渋谷さんが嫌いになっていた可能性はあったと思う。
ちなみに、私は、渋谷慶一郎さんを、『THE END』の制作者として知ったので、それ以前のことは知らない。
堀江貴文さんについて、世界的なセキュリティ・スペシャリストで事業家、教育者としても偉大な齋藤ウィリアム浩幸さんが著書『ザ・チーム』で書かれていたことが印象深かった。
EOY(アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー)の日本大会で、斎藤ウイリアムさんが、当時、堀江さんが経営していたオン・ザ・エッジを審査員として審査したことがあったらしい。
斎藤ウイリアムさんはGoogleやシスコが世界的企業になる前に、これらの企業を、EOYアメリカ大会で審査しているという。
その日本大会で、他の審査員は全て、堀江さんの優勝で一致していたが、斎藤さんだけが異を唱えたという。
斎藤さんも、堀江さんの業績が飛び抜けていて、堀江さんが優秀だということは認めていたが、堀江さんのストーリーは全て「私が」一辺倒であり、チームがないことが気に入らなかった・・・とあまりに単純に言えば斎藤さんの本意から外れる危険もあるが、だいだいそんなことが書かれていた。
斎藤さんは、堀江さんはチームを作れないタイプと考え、チームで仕事ができるのが本物のアントレプレナー(起業家)で、事業を継続できるのだと考えているのであると思う。まあ、確かに、その後の堀江さんを見ていると、斎藤さんが正しいのだと言えるかもしれない。
ただ、竹村さん、堀江さん、渋谷さんらは皆、確かに個性が強くて、どうしても目立ってしまい、そのために自己中心的に感じるが、対談を見ていても、案外に彼らが細かく気遣いする人達であると思うのである。
ところで、渋谷さんが、「東京には肯定力がない」と言われていたのが印象的だった。
肯定力とは、表面的には、プラス思考、積極思考といったものと似ているかもしれない。
上に述べたNHK Eテレの対談番組で見たが、渋谷さんは、『THE END』制作時に、すでに、「パリで公演する」と決めていたそうだ。
その時から、シャトレ座と決めていたかどうかまでは分からないが、パリの名門オペラ劇場であるシャトレ座で、日本製オペラを公演というのは極めて無茶なことであると思うが、渋谷さんは実現を疑わなかったという。
これが肯定力というものだろうか?
ただ、人間には、マイナス思考の人、消極思考の人はいるが、成功した人にも、「僕はマイナス思考です」と言う人はいる。
ビートルズやクリント・イーストウッドらに瞑想法を教えたインドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、著書『超越瞑想 存在の科学と生きる技術』で、「積極思考に何の価値もなく、消極よりマシという程度のもの」と書いていたが、それもまた真理かもしれない。
だが、マッカトニーもイーストウッドも、あるいは、マハリシも、肯定的ではあると思う。
否定的というのは、アレルギーのようなものであると思う。
何かに対して、無駄な攻撃をせずにいられないというものだ。
そして、肯定的でなければ、生きていて楽しくないのは確かだろうと思う。
否定的であれば、生命力を損なうように思えるからだ。
「私は成功する」と無理に積極的に考えるのではなく、成功することを否定せずにいられれば、自然に肯定になるのかもしれない。
そして、精神的アレルギーは、肉体的アレルギーと影響し合っていると思われる。
東京に肯定力がなくなっていると言われると、日本全てそうだが、特に東京には肉体的アレルギーの人が激増しており、それが大いに関係があるのだと思われるのである。
書いていて、妙に時間がかかったので、ここで切ることにする。
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私は、以前、渋谷さんが、NHK Eテレで写真家の蜷川実花さんと対談されているのを見たが、それも合わせてそう思ったのだろう。
本当に、渋谷慶一郎さんと堀江貴文さんは似た雰囲気があると思う。
どこがって、あのふてぶてしさだ。
殺しても死なないような、生命力と自信といったものだろうか?
他に似た人はいなかったか考えると、最近はあまり見なくなったが、竹村健一さんが全くそうだと思う。
この3人、好きな人は好きだろうが、嫌悪感を感じる人も多いだろうなと思う。
かくいう私も、この3人、あまり好きではないところもある。
もし、渋谷さんが、初音ミク主演のオペラ『THE END』を創らなかったら、雰囲気だけでいうなら、渋谷さんが嫌いになっていた可能性はあったと思う。
ちなみに、私は、渋谷慶一郎さんを、『THE END』の制作者として知ったので、それ以前のことは知らない。
堀江貴文さんについて、世界的なセキュリティ・スペシャリストで事業家、教育者としても偉大な齋藤ウィリアム浩幸さんが著書『ザ・チーム』で書かれていたことが印象深かった。
EOY(アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー)の日本大会で、斎藤ウイリアムさんが、当時、堀江さんが経営していたオン・ザ・エッジを審査員として審査したことがあったらしい。
斎藤ウイリアムさんはGoogleやシスコが世界的企業になる前に、これらの企業を、EOYアメリカ大会で審査しているという。
その日本大会で、他の審査員は全て、堀江さんの優勝で一致していたが、斎藤さんだけが異を唱えたという。
斎藤さんも、堀江さんの業績が飛び抜けていて、堀江さんが優秀だということは認めていたが、堀江さんのストーリーは全て「私が」一辺倒であり、チームがないことが気に入らなかった・・・とあまりに単純に言えば斎藤さんの本意から外れる危険もあるが、だいだいそんなことが書かれていた。
斎藤さんは、堀江さんはチームを作れないタイプと考え、チームで仕事ができるのが本物のアントレプレナー(起業家)で、事業を継続できるのだと考えているのであると思う。まあ、確かに、その後の堀江さんを見ていると、斎藤さんが正しいのだと言えるかもしれない。
ただ、竹村さん、堀江さん、渋谷さんらは皆、確かに個性が強くて、どうしても目立ってしまい、そのために自己中心的に感じるが、対談を見ていても、案外に彼らが細かく気遣いする人達であると思うのである。
ところで、渋谷さんが、「東京には肯定力がない」と言われていたのが印象的だった。
肯定力とは、表面的には、プラス思考、積極思考といったものと似ているかもしれない。
上に述べたNHK Eテレの対談番組で見たが、渋谷さんは、『THE END』制作時に、すでに、「パリで公演する」と決めていたそうだ。
その時から、シャトレ座と決めていたかどうかまでは分からないが、パリの名門オペラ劇場であるシャトレ座で、日本製オペラを公演というのは極めて無茶なことであると思うが、渋谷さんは実現を疑わなかったという。
これが肯定力というものだろうか?
ただ、人間には、マイナス思考の人、消極思考の人はいるが、成功した人にも、「僕はマイナス思考です」と言う人はいる。
ビートルズやクリント・イーストウッドらに瞑想法を教えたインドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、著書『超越瞑想 存在の科学と生きる技術』で、「積極思考に何の価値もなく、消極よりマシという程度のもの」と書いていたが、それもまた真理かもしれない。
だが、マッカトニーもイーストウッドも、あるいは、マハリシも、肯定的ではあると思う。
否定的というのは、アレルギーのようなものであると思う。
何かに対して、無駄な攻撃をせずにいられないというものだ。
そして、肯定的でなければ、生きていて楽しくないのは確かだろうと思う。
否定的であれば、生命力を損なうように思えるからだ。
「私は成功する」と無理に積極的に考えるのではなく、成功することを否定せずにいられれば、自然に肯定になるのかもしれない。
そして、精神的アレルギーは、肉体的アレルギーと影響し合っていると思われる。
東京に肯定力がなくなっていると言われると、日本全てそうだが、特に東京には肉体的アレルギーの人が激増しており、それが大いに関係があるのだと思われるのである。
書いていて、妙に時間がかかったので、ここで切ることにする。
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youtuveの前篇では、
渋谷慶一郎さんはこのようにおっしゃってました。
「本気で考えなくなったっていうか。空間があって、音があって、それでその時間と空間がどうなるかという考え方に。。なったかな。だからドレミファ、なんでもいい。っていうか。こういう曲書いてやろうとかそういうのもなくなった。自然にでてくればいい。って感じ」
「『ぱっ』て、直感で浮かんだものが絶対良いし、
いろいろやってもそこに戻るんだけど、
「本当にそれでいいのか?」というのは、
一回、すごい批判的に見る。」
また、プライベートでは、無防備で自分を守らない、「好きにしてくれ」と思っているそうですね。
これらから察するに彼が言う肯定力、あるいは達観というのは、一種の無執着だと思います。
無執着だけが完全な受容を生むはずなので、東京の人は執着が強く、また多いということなのだと思います。
彼の無執着から生まれる受容性に比べれば、普通の人は足元にも及ばないのは、話を聴いている限り、明らかです。
茂木健一郎さんの言葉も印象的でした。
「否定するってのは、批評だとすると、
肯定するってのは、行動しなくてはいけないわけだから。」
否定するのは「誰にでもできる」簡単なことなのだとよくわかる言葉です。
またじっくり見ることができました。
有難うございます。