ゴルフ史上に残る名プレーヤーと言われたスペインのセベ・バレステレスが、何かの製品のテレビCMで、子供の時に父親に「何でもいいから好きになれ。好きになったら強くなれ」と言われたのだといったことが紹介されたことがあった。
良い教えだと思ったが、普通、その言葉の「何でもいいから」の「何か」には、バレステレスのようなゴルフや、野球、サッカー、そして、ピアノやヴァイオリン、詩や小説、絵や彫刻、科学や機械といったものがあると思うが、それらは、可能性の高い低いはあっても、将来それを職業にするとか、もっと平たく言えば、「それで稼げる」といったニュアンスがある場合が多いように思う。
ところが、童話作家のアンデルセンのように、男の子でありながら人形の服を編むこととか、武道家の堀辺正史さんのように、喧嘩(殴る蹴るの喧嘩)であれば、ほとんどの場合、親や教師は「困ったことだ」と眉をひそませ、あからさまに非難して矯正しようとすることになるだろう。
また、医者の親が、自分の病院の跡取りと決めている息子が音楽や美術に強い関心を示すと、不安になって、「そんなものは金にならないつまらないものだ」と言うかもしれない。

「心身医学の父」と言われたゲオルグ・グロデックが医者になったのは父親の意思によるものだったが、父はゲオルグの兄達には医者になることを勧めなかったらしい。ではなぜ、父がゲオルグだけ医者にしようとしたのかというと、ゲオルグが姉と人形遊びをしていた時、姉が人形にもう1枚服を着せようとすると、ゲオルグが、人形が息ができなると言うのを、父が聞いたからだという。
これは、ゲオルグが何が好きだったかという話とは異なるように思えるが、ゲオルグには対象と自分を同一化させたり、あらゆるものに生命を感じるという性質があったのだと思う。
ゲオルグには、精神的傾向における、何らかの「好き」がやはりあったのだろう。

人類最高の数学教育者で、数学者、計算機科学者、心理学者であったシーモア・パパートは、自分で、幼い時に「歯車に惚れ込んだ」ことを明かしている。
彼は、あらゆることを歯車を基に考え、九九の計算や方程式の解き方も、歯車のイメージで理解し、そしておそらく、スポーツだろうが友人との関係だろうが、女の子の口説き方だろうが、何でも頭の中で歯車を動かし、歯車に語らせることで、全てにおいて最も賢明なことがやれたに違いない。
ただ、歯車はあくまで、パパートにとって特別な出来事なのであって、他の人にはその価値は分からないし、他の子に、歯車でものを考えるように導くことは愚かな誤りである。

先に述べた、アンデルセンの裁縫や、堀辺正史さんの喧嘩が、パパートの歯車なのだ。
そのようなものに関し、世間的な、平凡な大人の発想による良い悪いに何の意味もない。そんな一般的な視点では、それら(アンデルセンの裁縫等)は、良くても「つまらないもの」、普通は「困ったもの」になる場合が多いと思う。
決して、それらが、ホロビッツのピアノ、カラヤンの指揮、ミケランジェロの彫刻、セザンヌの絵画、アインシュタインの物理学のような高尚なものとは限らない。
音楽家の渋谷慶一郎さんが5歳の時、音楽を習うのに楽器はどれがいいか聞かれた時、美人女子大生を指して「あの人」と言って、その女子大生がたまたまピアノを教えることになっていたのでピアノを習ったといったようなこともあっていい。
別に渋谷さんが「ませていた」などと言う必要もない。
それもまた、パパートが歯車に惚れ込むことになったような、特別な出来事なのだ。
そして、特別な出来事は誰にでも必ず起こる。
それは別に子供の時にしか起こらない訳ではない。
あなたにも毎日起こっているのかもしれないのだ。
もし、それを成功の方法と言うならその通りなのだろうが、それで成功しようなんて破廉恥なことを考えている者には、「天の羽衣はやって来ない」のである。

※天の羽衣
「天の羽衣」は、羽衣伝説で天女が身にまとっている衣のこと。天女に逢うのは特別な出来事であるという意味で、この言葉が使われることがある。
物理学者の湯川秀樹は、科学上の重要な発見は「天の羽衣が来て撫でる」というほど稀な出来事であって、努力したからといって必ずしも起こることではないと述べた。
また、幸運な偶然を招きよせる才能をセレンディピティと言うことがある。









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