何でも、難しいものが面白いのである。
難しければ難しいほど面白い。
こんなことが分からないから、世の中がおかしくなっているのである。
プロ野球やプロサッカーの選手で、年を取っても熱心にやっている人というのは、そのスポーツが大好きであるのは間違いないが、なぜ好きなのかというと、猛烈に面白いからだ。そして、なぜ面白いのかというと、それが難しいということを誰よりもよく知っているからだ。
飛び級できるほど頭の良い生徒は、実際に飛び級させてもらえないと、学校の勉強なんて簡単過ぎて全然面白くない。しかし、なぜか日本の学校は飛び級させてもらえない。
斎藤ウイリアムさんという、事業家で、特に情報セキュリティのスペシャリストである人は、頭も良かった上に英才教育を受けていたから、学校の授業が簡単で面白くなかった。
それで、高校の時、大学の講義を覗いてみたら、十分に難しいから、とても面白くてエイキサイティングだったので、大学の方ばかり行っていた。幸い、大学の単位を高校の単位に組み込める制度があったので、正式に大学の講義を受け、16歳で大学に入った。アメリカだからできたが、日本ではそうはいかなかっただろう。
ところが、多くの日本人は、勉強は難しいから面白くないのだと、ひどい勘違いをしている。
学校の勉強が面白くないのは、教師が勉強の面白さを忘れ、教えることの面白さ(これは難しさでもある)を知る努力をしないからだ。
教師だって、学生の時は、難しい勉強が面白かったに違いないと思う。だから教師になったのだ。
しかし、学問なんて、いったん分かったことは面白くなくなる。
だから、どんどん難しいことを勉強しないといけないのに、それをやらないから、いつか勉強が面白くなくなってしまったのだ。
そして、勉強を教えることはとても難しいのに、それを本気でやらないから、つまり、怠慢さから、自分にとって簡単な教え方をするので、教えることが面白くなく、教わる生徒も、勉強の面白さを感じないのである。
そんな駄目教師が生徒をいじめて自殺させたり、男の教師が女生徒に性的関心を持ったりという、あり得ないはずの愚かなことをやってしまうのだ。
また、学校の勉強が面白くないのは、無理矢理頭に詰め込むようなものが多いからだ。
暗記するだけのことなんて、簡単だから面白くないのだ。
だから、暗記なんかやる気にならず、苦痛なのである。
「簡単暗記法」なんてものを考える教師もいるが、そんなものが面白いはずがないのである。
暗記なんか、決してしてはいけないし、させてはならない。
それは、子供の感性を速やかに破壊し、勉強嫌いにさせる、慙死(ざんし)に値する(恥じて死ぬほどの愚行である)罪であるのだ。
つまり、今の学校や教育界は速やかに消え去ってよろしい。
私がいつも薦めているコンピュータープログラミングを、「私には難しいですから(やりません)」という人がいるが、そう言うのは、やはり学校で馬鹿げた勉強観を持ってしまったからだ。
自分で難しいと言っているのだから、それが面白くないはずがない。
そして、コンピュータープログラミングは、誰がやっても本当は面白いのだ。
ただ、学校でコンピュータプログラミングを学んで、それが嫌いになった人というのは、やはり、教師がコンピュータープログラミングの面白さを伝えることができなかったからだ。
自らどんどん難しいコンピュータープログラミングに挑んでいる教師であれば、また、教える難しさに取り組む教師であれば、生徒もコンピュータープログラミングを面白いと思うはずなのだ。
しかし、自分は、難しいことにチャレンジしない教師に教わるから、生徒は教わることの全てが面白くなくなってしまうのである。
私が特に薦める、マイクロソフトExcelやAccessのVBA言語だって、決して易しくはない。
しかし、時々、「あんなのは簡単だ」と言う者がいるが、その者は、難しいことをやっていないだけだ。
実際、そんな連中は難しいことができず、給料も少ないはずだ。
VBAも含め、プログラミングは、易しいこともできるが、いくらでも難しいことができるのだ。
どんどん難しいことをやるから、面白過ぎてオタクになってしまい、斎藤ウイリアムやビル・ゲイツのようなスーパー・ハッカーになってしまうのである。
ExcelやAccessのVBAは仕事に直接的に役に立つから勧めるのであるが、それは、簡単だがうんざりするような量の仕事を短時間に終らせることができるということなのだ。
だから、それができるようになったら、仕事を難しくしていけば良い。そんな難しい仕事にVBAを適用させるのは難しくて面白いので、仕事もプログラミングも面白くなる。
また、場合によっては、別のプログラミング言語で、もっと難しい仕事に挑めば良い。
決して間違えてはならないのは、今使っているプログラミング言語が簡単だから変えるのではなく、これからやろうとしている難しい仕事に適しているという理由で変えるだけなのである。
プログラミング言語自体に、難しいとか簡単といった差はない。
VBAや、(やはりなぜか人気がない)PHP言語で難しいことができるなら、別に変える必要はない。
私は、VBAででき、これでやるのが最も適している十分に難しい仕事に恵まれているのでVBAを使い続けているのである。
だが、簡単なことばかりやっていると、VBAもPHPも面白くなくなってしまうだろう。
尚、なぜ難しいから面白いのかについては、これも重要なのでまた書くが、プラトンの『ソクラテスの弁明』を読んだら分かることである。
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難しければ難しいほど面白い。
こんなことが分からないから、世の中がおかしくなっているのである。
プロ野球やプロサッカーの選手で、年を取っても熱心にやっている人というのは、そのスポーツが大好きであるのは間違いないが、なぜ好きなのかというと、猛烈に面白いからだ。そして、なぜ面白いのかというと、それが難しいということを誰よりもよく知っているからだ。
飛び級できるほど頭の良い生徒は、実際に飛び級させてもらえないと、学校の勉強なんて簡単過ぎて全然面白くない。しかし、なぜか日本の学校は飛び級させてもらえない。
斎藤ウイリアムさんという、事業家で、特に情報セキュリティのスペシャリストである人は、頭も良かった上に英才教育を受けていたから、学校の授業が簡単で面白くなかった。
それで、高校の時、大学の講義を覗いてみたら、十分に難しいから、とても面白くてエイキサイティングだったので、大学の方ばかり行っていた。幸い、大学の単位を高校の単位に組み込める制度があったので、正式に大学の講義を受け、16歳で大学に入った。アメリカだからできたが、日本ではそうはいかなかっただろう。
ところが、多くの日本人は、勉強は難しいから面白くないのだと、ひどい勘違いをしている。
学校の勉強が面白くないのは、教師が勉強の面白さを忘れ、教えることの面白さ(これは難しさでもある)を知る努力をしないからだ。
教師だって、学生の時は、難しい勉強が面白かったに違いないと思う。だから教師になったのだ。
しかし、学問なんて、いったん分かったことは面白くなくなる。
だから、どんどん難しいことを勉強しないといけないのに、それをやらないから、いつか勉強が面白くなくなってしまったのだ。
そして、勉強を教えることはとても難しいのに、それを本気でやらないから、つまり、怠慢さから、自分にとって簡単な教え方をするので、教えることが面白くなく、教わる生徒も、勉強の面白さを感じないのである。
そんな駄目教師が生徒をいじめて自殺させたり、男の教師が女生徒に性的関心を持ったりという、あり得ないはずの愚かなことをやってしまうのだ。
また、学校の勉強が面白くないのは、無理矢理頭に詰め込むようなものが多いからだ。
暗記するだけのことなんて、簡単だから面白くないのだ。
だから、暗記なんかやる気にならず、苦痛なのである。
「簡単暗記法」なんてものを考える教師もいるが、そんなものが面白いはずがないのである。
暗記なんか、決してしてはいけないし、させてはならない。
それは、子供の感性を速やかに破壊し、勉強嫌いにさせる、慙死(ざんし)に値する(恥じて死ぬほどの愚行である)罪であるのだ。
つまり、今の学校や教育界は速やかに消え去ってよろしい。
私がいつも薦めているコンピュータープログラミングを、「私には難しいですから(やりません)」という人がいるが、そう言うのは、やはり学校で馬鹿げた勉強観を持ってしまったからだ。
自分で難しいと言っているのだから、それが面白くないはずがない。
そして、コンピュータープログラミングは、誰がやっても本当は面白いのだ。
ただ、学校でコンピュータプログラミングを学んで、それが嫌いになった人というのは、やはり、教師がコンピュータープログラミングの面白さを伝えることができなかったからだ。
自らどんどん難しいコンピュータープログラミングに挑んでいる教師であれば、また、教える難しさに取り組む教師であれば、生徒もコンピュータープログラミングを面白いと思うはずなのだ。
しかし、自分は、難しいことにチャレンジしない教師に教わるから、生徒は教わることの全てが面白くなくなってしまうのである。
私が特に薦める、マイクロソフトExcelやAccessのVBA言語だって、決して易しくはない。
しかし、時々、「あんなのは簡単だ」と言う者がいるが、その者は、難しいことをやっていないだけだ。
実際、そんな連中は難しいことができず、給料も少ないはずだ。
VBAも含め、プログラミングは、易しいこともできるが、いくらでも難しいことができるのだ。
どんどん難しいことをやるから、面白過ぎてオタクになってしまい、斎藤ウイリアムやビル・ゲイツのようなスーパー・ハッカーになってしまうのである。
ExcelやAccessのVBAは仕事に直接的に役に立つから勧めるのであるが、それは、簡単だがうんざりするような量の仕事を短時間に終らせることができるということなのだ。
だから、それができるようになったら、仕事を難しくしていけば良い。そんな難しい仕事にVBAを適用させるのは難しくて面白いので、仕事もプログラミングも面白くなる。
また、場合によっては、別のプログラミング言語で、もっと難しい仕事に挑めば良い。
決して間違えてはならないのは、今使っているプログラミング言語が簡単だから変えるのではなく、これからやろうとしている難しい仕事に適しているという理由で変えるだけなのである。
プログラミング言語自体に、難しいとか簡単といった差はない。
VBAや、(やはりなぜか人気がない)PHP言語で難しいことができるなら、別に変える必要はない。
私は、VBAででき、これでやるのが最も適している十分に難しい仕事に恵まれているのでVBAを使い続けているのである。
だが、簡単なことばかりやっていると、VBAもPHPも面白くなくなってしまうだろう。
尚、なぜ難しいから面白いのかについては、これも重要なのでまた書くが、プラトンの『ソクラテスの弁明』を読んだら分かることである。
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エクセルでプログラミングの勉強を始めつつも
「事務職でもない私が、仕事でプログラミングをする場面などあるのだろうか」と少々、疑問に思うこともあったのですが、
不思議や不思議、先日突然上司に「那須くん。エクセル使える?」と、集計分析の仕方について尋ねられることがありました。 まぁ満足な受け答えもできなかったのですが、休日中に基本的なテクニックは習得しました。
これを期に、職場でもっと、エクセル使いとしての自分を認知させて行きたいと思っています。
さて、南無阿弥陀仏ですが、これを唱えだしてから、なぜか、幸運?が色々と舞い込むような感覚があります。
感覚ですから、気のせいなのかもしれませんが、南無阿弥陀仏と四六時中唱えることで、六根に「浄土感覚」が根付くのかもしれません。
浄土感覚が生まれているとしたらそれは縁起によって生じていることになりますが、地獄感覚が根付くよりはずっといいと思います。
また、思考に任せていると、色々とネガティブなことを考える傾向がありますが、南無阿弥陀仏は無駄な思考を中断させる効果もあるようです。
さらには、合理性で割り切れない、南無阿弥陀仏に含まれる神秘性が、希望ともなります。
今週も南無阿弥陀仏で何とか乗り切っていこう。
なむあみだぶつ