人間全てがそうであるが、日本人も太古の昔は狩猟民族で、元々が肉食であるのだそうだ。
それが、人類は1万年ほど前から穀物栽培を始めて、小麦や米やトウモロコシのような炭水化物を多く含む穀物を主食とするようになった。
日本人も、狩猟民であることを示す鋭い感覚を持った縄文土器時代から、農耕を始め、大人しくなったが平安な弥生土器時代に移っていった。
もちろん、今も多くの人々は肉や魚を食べるが、菜食主義だという人達もいて、なんだか、そんな菜食主義者の方が進歩的であるような感じもする。
その一方、やはり人間は肉食動物で、糖質の炭水化物や、まして砂糖は身体に悪いから、肉食にすべきと主張する者もいる。
ただ、それで言えば、ジャイアントパンダは、今はササの葉を食べるが、元々は肉食獣だった。
じゃあ、やはりパンダにとって、ササの葉は身体に悪いから肉を食べさせるべきかというと、そうなのかもしれないが、違うのかもしれない。
肉を好んで食べる人達は、実は長寿で健康だからと言って、彼らを「肉食」と呼ぶのは正しくない。
肉や魚しか食べない人は極めて稀だからだ。
ほとんどの人達が、パンや米のご飯と一緒に肉や魚を食べている。
ただ、問題なのは、「米のご飯が大好きで、茶碗で5杯でも6杯でも食べたい」とか、「パンが大好きで、毎日、大きな袋にいっぱい詰め込んで買って帰って食べる」といった人達だ。
あるいは、うどんやパスタが大好きで肥満している知り合いがいる人も多いと思う。
そして、ケーキやチョコレートといった、いわゆる「スイーツ」に目がない人も多く、その中には、肥満に悩んでいたり、その候補者である人達も実に多い。
いずれの場合も、糖尿病という恐ろしい病が待っている。
神様は、人間に炭水化物の穀物や砂糖を与え、人間がそれを食べることに制約を加えることができるかどうかテストしているのかもしれない。
3つ食べたいところを2つでやめ、あるいは、1つで我慢するといったことをした時、神は、その制約した分の倍化した力を人間に与えるのである。
これは別に食に限らない。
人間は誰しも放埓(勝手気まま)に振舞いたい。
そこを自己制約することで、力を得るのである。
世界の中にいる、トウモロコシしか食べない民族、芋しか食べない民族が、健康で長寿であったりするのは、彼等は、民族として何らかの心を鍛える方法を持ち、それらの食べ物を、敬意を持って節度のある食べ方をするのだ。
人間は、自由奔放にすると堕落し、醜くなり、運命が閉じる。
しかし、高貴な制約を自分に課すことで、向上し、美しくなり、運命は開き、そして、神に近付く。
性的なことは特にそうだろう。
いかに女好きとか、エロス好きといったところで、厳しく制限を加えなければ、生ゴミより不気味で醜い存在となるだけだということは一目瞭然である。
私のような皮膚病(アトピーなのか乾癬なのかよく分からない)もまた、神の試練であり、本質的にはプレゼントとさえ言える。
無限に搔いたり、痒み止めを使うと、肌がボロボロになり、生きて行けないほどになる危険もある。
しかし、心を鍛え、適度に搔いて、何か優れた目標に心を向けることで、なんとかやり過ごせる。
それができるようになった時に、運命は向上し、神への道が見えるのでる。
神は、人が自分に制約を課した分に応じて力を与え、地上に君臨させ、やがては御もとに迎えて下さる。
これは極めて重要なことである。
極端はいけない。
片方を排除するだけでは駄目だ。それは古い偏見に満ちたやり方だ。
あえて誘惑に乗ることが必要なこともあるが、自分に制約を加え、その通りにやるという強さが必要である。
そのためには、心を鍛えなければならない。
私は改めて、こういったことを心に銘記(刻む)しようと思う。
私は、決めただけの甘いものを食べ、高貴な願いにより、皮膚病をやり過ごそう。
大好きな初音ミクさんに逢うのも決めた時間だけだ。だけど、死の時には迎えに来て欲しいものである。
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それが、人類は1万年ほど前から穀物栽培を始めて、小麦や米やトウモロコシのような炭水化物を多く含む穀物を主食とするようになった。
日本人も、狩猟民であることを示す鋭い感覚を持った縄文土器時代から、農耕を始め、大人しくなったが平安な弥生土器時代に移っていった。
もちろん、今も多くの人々は肉や魚を食べるが、菜食主義だという人達もいて、なんだか、そんな菜食主義者の方が進歩的であるような感じもする。
その一方、やはり人間は肉食動物で、糖質の炭水化物や、まして砂糖は身体に悪いから、肉食にすべきと主張する者もいる。
ただ、それで言えば、ジャイアントパンダは、今はササの葉を食べるが、元々は肉食獣だった。
じゃあ、やはりパンダにとって、ササの葉は身体に悪いから肉を食べさせるべきかというと、そうなのかもしれないが、違うのかもしれない。
肉を好んで食べる人達は、実は長寿で健康だからと言って、彼らを「肉食」と呼ぶのは正しくない。
肉や魚しか食べない人は極めて稀だからだ。
ほとんどの人達が、パンや米のご飯と一緒に肉や魚を食べている。
ただ、問題なのは、「米のご飯が大好きで、茶碗で5杯でも6杯でも食べたい」とか、「パンが大好きで、毎日、大きな袋にいっぱい詰め込んで買って帰って食べる」といった人達だ。
あるいは、うどんやパスタが大好きで肥満している知り合いがいる人も多いと思う。
そして、ケーキやチョコレートといった、いわゆる「スイーツ」に目がない人も多く、その中には、肥満に悩んでいたり、その候補者である人達も実に多い。
いずれの場合も、糖尿病という恐ろしい病が待っている。
神様は、人間に炭水化物の穀物や砂糖を与え、人間がそれを食べることに制約を加えることができるかどうかテストしているのかもしれない。
3つ食べたいところを2つでやめ、あるいは、1つで我慢するといったことをした時、神は、その制約した分の倍化した力を人間に与えるのである。
これは別に食に限らない。
人間は誰しも放埓(勝手気まま)に振舞いたい。
そこを自己制約することで、力を得るのである。
世界の中にいる、トウモロコシしか食べない民族、芋しか食べない民族が、健康で長寿であったりするのは、彼等は、民族として何らかの心を鍛える方法を持ち、それらの食べ物を、敬意を持って節度のある食べ方をするのだ。
人間は、自由奔放にすると堕落し、醜くなり、運命が閉じる。
しかし、高貴な制約を自分に課すことで、向上し、美しくなり、運命は開き、そして、神に近付く。
性的なことは特にそうだろう。
いかに女好きとか、エロス好きといったところで、厳しく制限を加えなければ、生ゴミより不気味で醜い存在となるだけだということは一目瞭然である。
私のような皮膚病(アトピーなのか乾癬なのかよく分からない)もまた、神の試練であり、本質的にはプレゼントとさえ言える。
無限に搔いたり、痒み止めを使うと、肌がボロボロになり、生きて行けないほどになる危険もある。
しかし、心を鍛え、適度に搔いて、何か優れた目標に心を向けることで、なんとかやり過ごせる。
それができるようになった時に、運命は向上し、神への道が見えるのでる。
神は、人が自分に制約を課した分に応じて力を与え、地上に君臨させ、やがては御もとに迎えて下さる。
これは極めて重要なことである。
極端はいけない。
片方を排除するだけでは駄目だ。それは古い偏見に満ちたやり方だ。
あえて誘惑に乗ることが必要なこともあるが、自分に制約を加え、その通りにやるという強さが必要である。
そのためには、心を鍛えなければならない。
私は改めて、こういったことを心に銘記(刻む)しようと思う。
私は、決めただけの甘いものを食べ、高貴な願いにより、皮膚病をやり過ごそう。
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自分なりの解釈ですが、砂糖を代表とする食品は、やはりなるべく控えたほうが無難であると思えます。
ただ、調理等でも不便ですので、完全にとはいきませんが、菓子パンやチョコレートなどは、極力少なめにするとか・・。
固めに炊いた玄米と、野菜を中心とした食事が気に入っているのと、排便の調子が良いのとで、個人的には正解かと。
ただ、体質も人それぞれですので、一概にこれがいいとは言えません。
体重の増減、水虫の状態など、また呼吸、精神の安定など、自分なりの判断基準はそんなところか・・。
また私の場合には、”吃音癖”が神様からの贈り物であったのでしょうか、実は、これについても、変化が訪れているような気がします。
何れにせよ、心身の状態は日々変化していくものです、面白いなあと、最近ではそう思えます。