ある肉体労働をしている男が、普段は、昼食におにぎりを2つ作って持ってきていたのだが、1つにした方が疲れないことに気付いた。
これをもって、「少食は身体に良い」とか、「普段、食べ過ぎているのだ」と言う者がいるかもしれないが、それは間違いだ。
糖分に変わる炭水化物の塊であるおにぎりは、食べた直後は血糖値が上がって快感があり、元気が出るような感じがするが、消化は遅いし、実際に身体に吸収される栄養はあまりない。おにぎりを多く食べるほど疲れるということなのだ。
これが、ゆで卵やチーズなら、1つより2つの方が疲れないだろう。

私は新入社員の頃、先輩のおじさん社員の中に、「米を食わないと力が出ないだろ」とよく言われたが、迷惑なことだったのだ。彼は、昼食に米のご飯をしっかり食べていたが、自分はしょっちゅう、「シンドイ」と言っていた。
正しくは、「米を食うと力が出ない」のである。
沢山本も書いていた素晴らしい医者でもあったある神道家は、「日本人は古代から米を食べていて、米が一番身体に合っている」と本に書かれていたが、庶民が米を食べるようになったのは、そんなに古いことではないらしい。
米の、効率的に作れて保存が効くというメリットは認めても、これは決して身体に良い食物ではない。
岡本太郎は、縄文土器を見て驚愕し、「現代人にこんな素晴らしいものは決して作れない」と断言したが、縄文土器の造形に現れたデザインには、卓越した空間感覚が感じられるが、これを見ても、古代の日本人が狩猟民族であったとしか考えられないそうなのだ。
狩猟をしていた頃の日本人は、現代人など足元にも及ばない精神的能力を持っていたのだろう。
『古事記』に出てくる、天照大神の孫である、天孫降臨の神であるニニギの息子が火遠理命(ほおりのみこと)であるが、彼は山で狩猟をしていたとされている。
やはり、狩猟をしていた日本人が多かったのことを示しているのだろう。

米は大量生産が効き、保存性が高いが、昔は身分の高い者だけが食べたのである。支配者が好んで食べたのは、その糖質のために美味しく、中毒性があるからである。しかし、徳川家康などは米を食べず、麦ご飯を食べていたのは、これを食べると身体が駄目になるのを感じたのだと思う。
炭水化物とはいえ、食物繊維がずっと多く、糖分の吸収が少ない大麦の方が身体によく、家康は60過ぎても強健で、子供をどんどん作っていたのである(それが良いことかどうかは別として)。
一方、白米を食べていた家康以外の将軍家の者は、男も女も、病弱な者が多く、息子の秀忠は子作りの方もさっぱりで、庶民も米を食べるようになってから病気が多くなった。

フィギュアスケートの浅田真央さんは、試合前におにぎりを2つ食べるという話を聞いたことがあるが、彼女が本来の実力を出せないことが多いのも、それに無関係とは思えない。
また、菜食は肉食より優れている訳ではない。
柔道の山下泰裕さんや、野球の原辰徳さんを指導したと宣伝していた、ある自己開発セミナー講師は、「マラソンのアベベは菜食だからスタミナがあったが、肉食のジャイアント馬場はスナミナがなかった」などと言っていたが、こんな詐欺的なもののな言い方をする者が多いので騙されてはならない。
優れたマラソンランナーにも当然、肉食の人はいるし、むしろ、菜食主義者は少数派である。
ジャイアント馬場さんは、世界の一流のライバル達が、そのタフさを恐れていたし、馬場さん自身、1時間でも2時間でも動ける身体を作っていたと言い、実際、長時間の熱戦などは、何度も行っている。
馬場さんは、驚くべきことに、それで糖尿病だったが、肉食のおかげで体力を保っていたのだろう。
肉食が良いか、菜食が良いかは、体質、ことに、腸内環境の影響もある。
自分にはどちらが向いているか、あるいは、どちらにも偏らない方が良いのか見極めることが大切で、世間や権威者の偏見に惑わされてはならない。









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