今朝は不思議な夢を見たが、目覚めると、例によってほとんど憶えていなかった。
しかし、美しい少女が歌を歌っていたのを憶えているし、なぜか、聴いたことのないその歌を私は歌えた。
どんな歌だったのかは憶えていないが、ただ、「人生は優しくない」というフレーズだけはよく憶えている。
歌詞が示されていた訳ではないが、この「やさしくない」は、「優しくない(不親切だ)」であって、「易しくない(簡単じゃない)」という意味ではないということも、なぜか分かった。
全く同感だ。
人生は優しくない。
人生は思い通りにならない。願い通り、希望通りにならない。
少しの間うまくいっているように見えても、やがて、積み木を崩すように全て駄目になる。
お釈迦様の悟りも同じだったと思う。
お釈迦様は、人生は地獄だと理解し、それを受け入れた。
年を取って老い、病気になり、死ぬ。その苦しみを味わうために生まれるのだ。
そのように、人生の基本は生老病死の4つの苦しみで、その上に、「愛する人に会えない」「憎む人に会う」「欲しいものが得られない」「心身が自由にならない」という4つの苦しみがあり、以上をまとめて、四苦八苦と言うのが、仏教の根本的な考え方だ。
「人生は優しくない」と言うのを、運命は優しくない、あるいは、神様は優しくないと言うこともできるだろう。
なぜ、運命は優しくないのだろう?
それは、神か悪魔か分からないのだが、人間に「甘いもの好き」という、とんでもないトラップ(罠)をしかけたからだ。
甘いものが潜在的に好きというだけなら、それは何も人間だけではない。
犬や猿だって、甘いものを与えればその虜になり、犬や猿特有の優れた特性を全て失う。
犬が可愛いからといって甘いお菓子を与えると、犬はそれを得ようとばかりして、他のことをしなくなり、素晴らしい性質を持っていたとしてもそれを失う。
そして肥満し、心臓病や癌になって死んでしまう。
甘いものの味を覚えた猿は、凶暴になって人間を襲って甘い食べ物を強奪する。そんな猿は、群の中でも異常性を発揮し、やはり病気になって死ぬのだ。
だが、犬や猿は、人間が与えないと甘いものを食べることはないが、人間だけはそうではない。
人間は、1万年も前から、噛むと甘くなる穀物を作り続けてきた。
これこそが、知恵の木の実を食べたアダムとイブと、その子孫・・・つまり、人類への罰だろう。
アダムとイブの罪を原罪と言うらしいが、原罪の罰こそが、甘いものを生産する知恵であった。
ある人達は、少食が、悪い運命を解き放つ鍵だと言う。
食を慎めば幸福になるというのだ。
それは、結果的にそうなる場合があるというに過ぎず、嘘であり、間違いである。
甘いもの(砂糖や穀物)をやめれば幸福になるのである。
少食になれば、相対的に甘いものを食べる量が減るので、多少は幸福になる。
しかし、どれほどの少食であっても、砂糖や、炭水化物の豊富な穀物を食べていれば不幸になる。
逆に、大食であっても、砂糖や炭水化物を一切食べなければ幸福になれる。
上にも述べたが、アダムとイブが神の言いつけを破り、知恵の木の実を食べたということが原罪だ(異説もある)。
その罪によって得た知恵で小麦などの穀物を大量生産することで、あらゆる病気や争い、利己主義、階級、差別等を生み出してきたし、今も生み出している。
甘いものを求める欲望こそが原罪と言っても良いかもしれない。
そして、人間は、この原罪から逃れることは不可能と思えた。
そもそも、原罪に気付くことすらできなかった。
人間はただ、「何か分からないが、得体の知れない不安や恐怖を持っている」と感じるだけだった。
その不安や恐怖を自分勝手に解釈した宗教家、思想家が人々を混乱させ、さらに不幸にした。
だが、その不安や恐怖の本当の正体は、甘いもの好きな性質だけである。
砂糖や炭水化物を食べることをやめれば、原罪からも逃れられるのである。
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しかし、美しい少女が歌を歌っていたのを憶えているし、なぜか、聴いたことのないその歌を私は歌えた。
どんな歌だったのかは憶えていないが、ただ、「人生は優しくない」というフレーズだけはよく憶えている。
歌詞が示されていた訳ではないが、この「やさしくない」は、「優しくない(不親切だ)」であって、「易しくない(簡単じゃない)」という意味ではないということも、なぜか分かった。
全く同感だ。
人生は優しくない。
人生は思い通りにならない。願い通り、希望通りにならない。
少しの間うまくいっているように見えても、やがて、積み木を崩すように全て駄目になる。
お釈迦様の悟りも同じだったと思う。
お釈迦様は、人生は地獄だと理解し、それを受け入れた。
年を取って老い、病気になり、死ぬ。その苦しみを味わうために生まれるのだ。
そのように、人生の基本は生老病死の4つの苦しみで、その上に、「愛する人に会えない」「憎む人に会う」「欲しいものが得られない」「心身が自由にならない」という4つの苦しみがあり、以上をまとめて、四苦八苦と言うのが、仏教の根本的な考え方だ。
「人生は優しくない」と言うのを、運命は優しくない、あるいは、神様は優しくないと言うこともできるだろう。
なぜ、運命は優しくないのだろう?
それは、神か悪魔か分からないのだが、人間に「甘いもの好き」という、とんでもないトラップ(罠)をしかけたからだ。
甘いものが潜在的に好きというだけなら、それは何も人間だけではない。
犬や猿だって、甘いものを与えればその虜になり、犬や猿特有の優れた特性を全て失う。
犬が可愛いからといって甘いお菓子を与えると、犬はそれを得ようとばかりして、他のことをしなくなり、素晴らしい性質を持っていたとしてもそれを失う。
そして肥満し、心臓病や癌になって死んでしまう。
甘いものの味を覚えた猿は、凶暴になって人間を襲って甘い食べ物を強奪する。そんな猿は、群の中でも異常性を発揮し、やはり病気になって死ぬのだ。
だが、犬や猿は、人間が与えないと甘いものを食べることはないが、人間だけはそうではない。
人間は、1万年も前から、噛むと甘くなる穀物を作り続けてきた。
これこそが、知恵の木の実を食べたアダムとイブと、その子孫・・・つまり、人類への罰だろう。
アダムとイブの罪を原罪と言うらしいが、原罪の罰こそが、甘いものを生産する知恵であった。
ある人達は、少食が、悪い運命を解き放つ鍵だと言う。
食を慎めば幸福になるというのだ。
それは、結果的にそうなる場合があるというに過ぎず、嘘であり、間違いである。
甘いもの(砂糖や穀物)をやめれば幸福になるのである。
少食になれば、相対的に甘いものを食べる量が減るので、多少は幸福になる。
しかし、どれほどの少食であっても、砂糖や、炭水化物の豊富な穀物を食べていれば不幸になる。
逆に、大食であっても、砂糖や炭水化物を一切食べなければ幸福になれる。
上にも述べたが、アダムとイブが神の言いつけを破り、知恵の木の実を食べたということが原罪だ(異説もある)。
その罪によって得た知恵で小麦などの穀物を大量生産することで、あらゆる病気や争い、利己主義、階級、差別等を生み出してきたし、今も生み出している。
甘いものを求める欲望こそが原罪と言っても良いかもしれない。
そして、人間は、この原罪から逃れることは不可能と思えた。
そもそも、原罪に気付くことすらできなかった。
人間はただ、「何か分からないが、得体の知れない不安や恐怖を持っている」と感じるだけだった。
その不安や恐怖を自分勝手に解釈した宗教家、思想家が人々を混乱させ、さらに不幸にした。
だが、その不安や恐怖の本当の正体は、甘いもの好きな性質だけである。
砂糖や炭水化物を食べることをやめれば、原罪からも逃れられるのである。
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ここ数年、甘いものや肉類は、盆と正月位にしか、口にしていなかったのですが、米はしっかり食べていたので、まるで意味のないことがわかりました。(ご紹介して頂いた、夏井氏の炭水化物が人類を滅ぼす も早速読んでおります。)