我々が言う「お腹が空いた」というのは、ほとんどが本当に空腹なわけではない。
単に甘いものが欲しいだけなのだ。
これは、ケーキやチョコレートを食べたいという意味だけでなく、噛めばすぐに甘くなる米やパンもそうであるし、焼肉やステーキを食べたいと言っても、それに付ける甘いタレや特製ソースとのコンビネーションによって食欲をそそられるだけなのである。
刺身が好きだと言っても、糖分が多い醤油がなければ食べたいと思わないだろうし、「熱いご飯と一緒に食べる刺身が最高だ」という人が多いように、米が本当の目的であるのだ。寿司というのも、米と魚が一体だから美味しいと思うのだ。
もし、タレもソースもついていないステーキ、砂糖の入っていないすき焼き、醤油がない生魚だけというなら、空腹だと言っているはずが、さっぱり食べたくないに違いない。
私は、今月(2014年3月)の21日からこの4日、砂糖や炭水化物をほとんど断った結果、こういうことに気付いた。
以前は、朝起きるのがとても楽しみだった。
1日1食の食事は朝に摂っているが、ビスケットやドーナッツ、ワッフルや、ことによったら、ヨウカンを食べていたのだから、朝、目が覚めると、もう目が爛々と輝き(無論、自分の目は見えないので、そんな感じであるという意味)、喜び勇んでベッドから出た。
また、夜に食事をしていた時は、就業時間が終り、会社を出る頃には飢餓感に襲われ、駅から自宅まで、ただでさえ普通の人の倍の速さで歩く私が、走っている人を追い越すほど速足で歩いて、家までまっしぐらだった。
帰れば、米やパン、ことによったら金時豆が食べられる。豆腐や野菜は、あくまで引き立て役だったのだ。
しかし、買い置きしてあったビスケットやワッフルを全部捨て、アーモンド、クルミ、松の実だけの食事にすると、別に食欲はなく、少し食べるだけになった。
ビスケットやワッフルと一緒に食べていた時は、ナッツも沢山食べていたが、ナッツだけだと、あまり食べたくないし、空腹感も全くない。
この数ヶ月は夜にコンビニのおにぎりを1つだけ食べることを楽しみにしていたが、やはり空腹感があって、食べると大変に嬉しかったが、それをやめると、何のことはない。ちっとも空腹でないことが分かったのだ。代わりに、キャベツのサラダを食べてみたが、美味しいとは思ったが、歓喜するというほどではない。
確かに、コンビニで卵サンドを見ると、物凄く美味しそうに見えたが、パンに挟まれていなければさほどでないに違いない。
もし私が卵サンドを食べるとしたら、パンは捨てて卵だけ食べるだろう。そして、1日や2日食べていなくてそれを食べるとしても、むさぼり食うなどということはないだろう。
つまり、我々が普通に言う「お腹が空いた。何か食べたい」と言うのは、酒やタバコ、あるいは、麻薬を求めるのと同じなのだ。あるいは、刺激的な破壊行為やマスターベーションをしたがるのと同じである。
本来は、人間が食べなければならない量なんてほんのわずかで、私の場合、1日に、ナッツを、アーモンドなら20粒くらいで良いと思う。
イエス・キリストの時代のパンは、今のパンとはかなり違い、せんべいに近いと思われるほど薄くて硬いパンだったと思うが、小麦よりは大麦やライ麦で作られることが多かったのではないかと思う。
大麦やライ麦は、食物繊維が多く、小麦ほどは糖分が吸収されない。
徳川家康や水野南北、それに、昭和天皇は米は食べられず、麦ご飯を常食とされていたが、麦ご飯の麦は大麦である。
麦ご飯を食べていたことが、彼らが健康で長寿であった理由の1つであると思う。
よって、イエスの時代のパンは悪いものではなかったが、それでもイエスは、
「人はパンのみで生きるのではない」
「パンがなくても人は生きられる」
と言い、
「獣を屠って食べよ」
と敢えて言って、肉食も薦めたのである。魚はイエスもよく食べていたと思われる。
水野南北は、米は決して食べなかったし、美食を戒めたが、肉食自体を全面的には禁止していなかった。特に老人の場合は、消化が良いので、肉を少量食べることを奨めてもいた。
釈迦も肉食をしていたことは知られている。
特に昔は、肉や魚以外に適当な食べ物が手に入り難かったのだろう。
今でも、肉や魚は別に悪い食べ物ではない。
ただし、砂糖のたっぷり入った調味料やソースやタレを使わず、なるべく、そのまま食べればだ。
正しい食べ方をすれば、ほんの少しで良いし、少ししか食べる気にならないはずだ。
つまり、本当は、お腹いっぱいになるまで肉や魚を食べる必要はないし、それは馬鹿げたことである。
糖分のある甘い食べ物、それに、パンや米といった炭水化物を食べないようにすれば、努力などしなくても自然に少食・・・というか適切な量の食事となる。
食べることが楽しみではなくなるのだ。
そうすれば、嫌でも痩せた美しい身体になり、心身共健康になる。
食費もかからなくなる。
「食べる楽しみ無くして何の人生なんですか?」
と言うなら、勝手にすれば良い。
人生の本当の楽しみをまるごと逃すことになるのは気の毒だが、私には何もしてやれない。
「じゃあ、人生の本当の楽しみって何なのですか?」
と聞くなら馬鹿である。
聞けば何でも教えてもらえると思っているのは、学校教育の恐ろしい害悪である。
本当に大切なものは、自分で見つけるしかない・・・というのは、当たり前のことではないだろうか?
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単に甘いものが欲しいだけなのだ。
これは、ケーキやチョコレートを食べたいという意味だけでなく、噛めばすぐに甘くなる米やパンもそうであるし、焼肉やステーキを食べたいと言っても、それに付ける甘いタレや特製ソースとのコンビネーションによって食欲をそそられるだけなのである。
刺身が好きだと言っても、糖分が多い醤油がなければ食べたいと思わないだろうし、「熱いご飯と一緒に食べる刺身が最高だ」という人が多いように、米が本当の目的であるのだ。寿司というのも、米と魚が一体だから美味しいと思うのだ。
もし、タレもソースもついていないステーキ、砂糖の入っていないすき焼き、醤油がない生魚だけというなら、空腹だと言っているはずが、さっぱり食べたくないに違いない。
私は、今月(2014年3月)の21日からこの4日、砂糖や炭水化物をほとんど断った結果、こういうことに気付いた。
以前は、朝起きるのがとても楽しみだった。
1日1食の食事は朝に摂っているが、ビスケットやドーナッツ、ワッフルや、ことによったら、ヨウカンを食べていたのだから、朝、目が覚めると、もう目が爛々と輝き(無論、自分の目は見えないので、そんな感じであるという意味)、喜び勇んでベッドから出た。
また、夜に食事をしていた時は、就業時間が終り、会社を出る頃には飢餓感に襲われ、駅から自宅まで、ただでさえ普通の人の倍の速さで歩く私が、走っている人を追い越すほど速足で歩いて、家までまっしぐらだった。
帰れば、米やパン、ことによったら金時豆が食べられる。豆腐や野菜は、あくまで引き立て役だったのだ。
しかし、買い置きしてあったビスケットやワッフルを全部捨て、アーモンド、クルミ、松の実だけの食事にすると、別に食欲はなく、少し食べるだけになった。
ビスケットやワッフルと一緒に食べていた時は、ナッツも沢山食べていたが、ナッツだけだと、あまり食べたくないし、空腹感も全くない。
この数ヶ月は夜にコンビニのおにぎりを1つだけ食べることを楽しみにしていたが、やはり空腹感があって、食べると大変に嬉しかったが、それをやめると、何のことはない。ちっとも空腹でないことが分かったのだ。代わりに、キャベツのサラダを食べてみたが、美味しいとは思ったが、歓喜するというほどではない。
確かに、コンビニで卵サンドを見ると、物凄く美味しそうに見えたが、パンに挟まれていなければさほどでないに違いない。
もし私が卵サンドを食べるとしたら、パンは捨てて卵だけ食べるだろう。そして、1日や2日食べていなくてそれを食べるとしても、むさぼり食うなどということはないだろう。
つまり、我々が普通に言う「お腹が空いた。何か食べたい」と言うのは、酒やタバコ、あるいは、麻薬を求めるのと同じなのだ。あるいは、刺激的な破壊行為やマスターベーションをしたがるのと同じである。
本来は、人間が食べなければならない量なんてほんのわずかで、私の場合、1日に、ナッツを、アーモンドなら20粒くらいで良いと思う。
イエス・キリストの時代のパンは、今のパンとはかなり違い、せんべいに近いと思われるほど薄くて硬いパンだったと思うが、小麦よりは大麦やライ麦で作られることが多かったのではないかと思う。
大麦やライ麦は、食物繊維が多く、小麦ほどは糖分が吸収されない。
徳川家康や水野南北、それに、昭和天皇は米は食べられず、麦ご飯を常食とされていたが、麦ご飯の麦は大麦である。
麦ご飯を食べていたことが、彼らが健康で長寿であった理由の1つであると思う。
よって、イエスの時代のパンは悪いものではなかったが、それでもイエスは、
「人はパンのみで生きるのではない」
「パンがなくても人は生きられる」
と言い、
「獣を屠って食べよ」
と敢えて言って、肉食も薦めたのである。魚はイエスもよく食べていたと思われる。
水野南北は、米は決して食べなかったし、美食を戒めたが、肉食自体を全面的には禁止していなかった。特に老人の場合は、消化が良いので、肉を少量食べることを奨めてもいた。
釈迦も肉食をしていたことは知られている。
特に昔は、肉や魚以外に適当な食べ物が手に入り難かったのだろう。
今でも、肉や魚は別に悪い食べ物ではない。
ただし、砂糖のたっぷり入った調味料やソースやタレを使わず、なるべく、そのまま食べればだ。
正しい食べ方をすれば、ほんの少しで良いし、少ししか食べる気にならないはずだ。
つまり、本当は、お腹いっぱいになるまで肉や魚を食べる必要はないし、それは馬鹿げたことである。
糖分のある甘い食べ物、それに、パンや米といった炭水化物を食べないようにすれば、努力などしなくても自然に少食・・・というか適切な量の食事となる。
食べることが楽しみではなくなるのだ。
そうすれば、嫌でも痩せた美しい身体になり、心身共健康になる。
食費もかからなくなる。
「食べる楽しみ無くして何の人生なんですか?」
と言うなら、勝手にすれば良い。
人生の本当の楽しみをまるごと逃すことになるのは気の毒だが、私には何もしてやれない。
「じゃあ、人生の本当の楽しみって何なのですか?」
と聞くなら馬鹿である。
聞けば何でも教えてもらえると思っているのは、学校教育の恐ろしい害悪である。
本当に大切なものは、自分で見つけるしかない・・・というのは、当たり前のことではないだろうか?
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