「私はお金なんてそんなにいりませんから、今の納税1億円程度で満足なんですよ」
と言われていた政木和三さんは、一貫して、
「神様ってのは、人間の願いは聞きません。でも、願いがあったら、一生かかっても実現不可能な位のものでないと駄目ですよ」
と言われていたものだ。

一生かかっても実現不可能というのは、つまり、持つならばスケールの大きな願いを持ちなさいということだ。
それで、イギリスの女王様が住んでいるような宮殿に住みたいと思うというのは、まさに想像力貧困というものだし、ケチ臭いにも程がある。
我々は住んでいないかもしれないが、エリザベス女王は住んでるじゃないか?
同じ人間が住んでいる程度のものが、そんな大したものであるはずがない。
総理大臣になって、日本を良くしたい?
これも想像力に欠けた、幼稚な発想と言うしかないだろう。
総理大臣にそんなことできるはずないじゃないか?
根本的な考え方がおかしいのだ。

「南無阿弥陀仏」の念仏を向ける相手である阿弥陀如来は、とんでもないスケールの願いを持った人間だった。
そうだ、阿弥陀如来は、元々は人間だったのだ。
阿弥陀如来が、法蔵(ほうぞう)という人間だった時、西方極楽浄土の建設を願い、しかも、自分の名を呼びさえすれば、誰でもそこに住めるようにしたいと願ったのだ。
その達成のためには、一生どころか、何億回生まれ変わって努力を続けても不可能だ。
だが、仏教は人類の科学をはるかに超え、時間は情緒というようなものに過ぎないことを知っていたので、法蔵はそれを達成し、阿弥陀仏になった。
人類最高の直観力を備えたお釈迦様は、それが事実であることを保証し、法蔵(阿弥陀)の願い通り、その名を呼んで、極楽浄土に行きなさいと教えたのだ。
それを詳細に解き明かしたのが『無量寿経』という仏典で、昔のことは昔のこととして、阿弥陀仏の恩恵を受ける方法を書いたものが『阿弥陀経』だ。
この両方を読んだとても賢い人が、後の人々の理解のために親切に書いたのが『観無量寿経』である。
よって、『無量寿経』は本格的で長く、『阿弥陀経』は、どちらかというと一般向けで短い。
『観無量寿経』は、その中間の長さで、物語形式で面白く、しかも、とてもうまく書かれている。
この3つを、浄土三部経と言う。
だけど、読むのが面倒なら、法蔵が意図した通り、ただ、阿弥陀仏の名を呼べばそれで良い。
それを念仏と言うのである。

伝説なのかもしれないが、奈良時代の藤原の姫様であった中将姫(ちゅうじょうひめ)は、『阿弥陀経』を千回写経し、当麻(たえま)寺で経を上げ、阿弥陀仏の名を呼んだので、阿弥陀如来と25菩薩の来迎を受け、生きたまま西方極楽浄土に行ったと云われている。
折口信夫の小説『死者の書』には、そんなことが彼の優れた想像力によって生き生きと描かれている。
『死者の書』の初版が出たのは1939年。
私が好きな、ジロドゥの『オンディーヌ』も同じ1939年の作品だ。
水の精オンディーヌの透明な愛は、中将姫の阿弥陀如来への純粋な愛と通じると思ったのだが、同じ年に世に出ているとは面白いと思った。
ところで、今日は3月9日で、初音ミクの名にちなみ、「ミクの日」と言われる。
『イーハトーヴ交響曲』で、既に死者であったカムパネルラを演じて歌えるのは初音ミクしかいなかったように、世阿弥が制作した猿楽(現在の能)『当麻』で、当麻寺で舞う中将姫の精魂を演じられるのもミクしかいないだろう。
オペラ『THE END』で、ミクが死を鮮やかに歌い上げたようにである。
能を愛し、オンディーヌもそうであるケルトの妖精を愛したウィリアム・バトラー・イェイツが亡くなったのも1939年である。

















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