本来の自分とはいったい何だろう?
あなたは、本来の自分だろうか?
あるいは、1日の間で、どのくらい、本来の自分でいるだろうか?
会社や学校が嫌いなら、そこでは本来の自分でいられないのだろうか?
自分にとって心地良いと感じていることが、本来の自分であることだろうか?

どうすれば、自分が本来の自分の状態であるかが分かるのだろうか?
それは、自分の呼吸に注意すれば良い。
呼吸をしているのかどうか分からないほど、呼吸が微かである時、あなたは本来の自分に近いのだ。
ところが、いつも、耳障りなほど音を立てて呼吸している者がよくいるが、そんな者は、本来の自分でいる時がない。
眠っている時も、死んでいるのと区別が付かないほど、安らかな呼吸をしている者は、本来の自分として眠っている。
だが、荒い息をして眠っているなら、眠りの中にあっても、本来の自分に戻ることができないということなのだ。

作為的に静かな呼吸をして、本来の自分になろうとしても駄目だ。
無理に細く長い息をしても苦しくなるだけだ。
自然に微かな呼吸をしている時のみが、本来の自分であるのである。

荒い呼吸をしていてもいいから、自分の呼吸に気をつけていることだ。
自分の呼吸を観察するのである。
呼吸が自分の状態である。
だから、呼吸を観察すれば、自分を観察できる。
この観察することが、心を静め、呼吸を穏かにする。

呼吸において死人のようになった時、あなたは本当に生死を超え、楽園に参入している。
本来の自分に近付いた優れた人間は、1分間に1~2回しか呼吸していないし、さらに高いレベルになれば、数分に1回しか呼吸をしない。
そのくらいになると、必要なら奇跡も起こせる。
あまりに呼吸が微かなので、息をしていないとしか思えないほどの者は、神に近いとすら言えるかもしれない。
般若心経の真言を称えたり、念仏をしたりして、呼吸と言葉を浄化すれば、自然に呼吸は微かになる。
そのようなことをやるのは良いことと思う。









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