人間にとって実に嫌なものは、不安や恐怖である。
心配も同じことだ。
これは、未来の悪い予感である。
過去の後悔にしたって、それが元で、未来が悪いものになると思うから厭うのである。
未来に何の影響もないと分かっている失敗であれば、むしろ気持ち良いと思うものである。

不安や恐怖、あるいは、心配をなくす、あるいは、少なくするにはどうすれば良いか?
現実的には、特技を持ち、それを磨くことだ。
今やっている仕事に関係することで、特技を磨くべきだろう。
経理をやっているなら、徹底して会計やそれに関する法律に強くなり、財務が分かるようになることだ。
セールスをやっているなら、超一流セールスマンの本を繰り返して読んで良いところを学んだり、あるいは、心理学を徹底して勉強することだ。
事務をやっているなら、Excelに徹底的に強くなり、VBAで自在にプログラミングできるようになることだ。
さらには、私はよく勧めるのだが、AccessをVBAを含めてマスターすれば、このようなデータベースソフトは未来永劫存在するはずだから、生涯に渡って力を上げていける特技を持てる。

それでも最後の不安は消えないだろう。
しかし、後一歩だ。
人間は、絶対に、不安を覚え、恐怖し、心配するものだ。
実を言えば、それから逃れられる人間はいない。
自我があるからだ。
自我とは、不安、恐怖、心配を作り出してしまうのだ。
ところで、不安も恐怖も心配も、「想い」という一言で言い表せる。
不安を感じ、みぞおちのあたりに重苦しい感覚を感じたら、すぐにこう問うのだ。
「この想いは誰に起こったのか?」
真面目に問うのだ。
すると、答は、「私に」であるに決まっている。
それが分かれば、すかさず、
「私は誰か?」
と問え。
すると、その想い・・・不安、恐怖、心配は霧散し消える。
初めはうまくいかなくても、必ずや成功する。
それまで、勤勉にこれを繰り返すのだ。
その見返りは、喩えようもなく大きいだろう。









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