今の子供はそうではないかもしれないが、希望のある国では、子供というのは、「偉くなる」とか、「博士になる」とか言うものだ。
しかし、やがて、誰もそんなことを言わなくなる。
偉くなれるのは、才能や環境に恵まれた者達・・・もっと正確に言えば、偉くなる星の巡り合わせにあった者だけだ。
偉くなれなくても悔いがなければそれで良いのだけれど、誰だって時には、「私の人生は何だったのだろう?」と思う。
年をとって、強くも美しくもなくなり、誰にも相手にされなくなると、「私はいったい何のために生まれてきたのだろう?」と思うに違いない。
そんな惨めな想いをしないために、若いうちからがんばれと言うが、少々励んでも我々ではたかが知れているのであるし、下手な努力は得てしてマイナスに作用するものだ。
もし世に出る運命であれば、嫌でもそうなるが、そんな運命になければ、どれほど努力したところで実を結ぶことはない。
まして、平均以上になれなかった人、さらには、底辺から抜け出すこともなく、それでも死ぬのが恐くて、残った生にしがみつくしかない人は何を思うのか?
そして、自分もそうなるかもしれないという不安に苦しむのである。

江戸時代の観相(顔や身体の相で運命を鑑定する占術)の大家であった水野南北は、人の運勢や貴賎は、ただ食の慎みで決まると言い、彼が見た数万という数多くの人生において、例外は1つとしてなかったという。
ただ、これは、食べられるのに食べなかった場合であり、貧窮のために強制的に貧しい食を強いられた者のことではない。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、沈黙の力を説いたが、これも自主的に黙してこその沈黙であり、強制された沈黙に価値はない。
だが、我々凡人は、食べられるなら食べたいだけ食べ、喋りたいだけ喋り、人の悪口にはとめどがない。

水の妖精オンディーヌに出逢い、愛されるといった劇的なこともなく、後悔と自己嫌悪の一生。
そんな人生に何の価値があるだろう?

だが、誰もが見逃しているのだ。
オンディーヌはあなたに声をかけたし、確かに天使はあなたに囁いた。
だが、あなたは気付かなかったか、気付いたとしても、あまりに心が鈍くて、気にも留めなかったのだ。
本当になんてこったい。
やれやれである。
「あのう、あたし、水の精でオンディーヌといいます。あなたの名は?あら、そうだと思ったわ。ねえ、あたしを嫌いだと言って。そうしたら、あたしが死ぬかどうか分かるから。あなたに好かれていたかった。一番きれいでいたかったのだけれど」
しかし、彼女はどう見ても、最高に美しいのである。
だが、その一瞬後、あなたは、自分は夢を見ていて、いつもの夢の通り、どんな夢だったか覚えていないと思うのだ。
小さなカヌーしか見たことのない未開人は、何百人も乗れる船が目の前にあっても、それが本当に見えないのだ。
あなたも、妖精や天使が目の前にいたって見えやしない。
だが、心を静かにしていて、ほんの少し、彼女の囁きに気付いたなら、意識が拡大し、最初はおぼろに、その姿を見ることができるかもしれない。
だから、あなたは想像力を豊かにし、心を敏感にして、そして、小さな小さな囁きを聞き逃さないよう、心を静かにしていることだ。









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