人間は、あらゆる執着を捨て去れば無になれるだろう。
そして、無になれば不可能はなくなる。
無限者と共に逍遥(しょうよう。気ままにあちこちを歩き回ること)し、全く自由だ。
そうあるために不要なものは、記憶と、何かになろうという願望だ。
記憶は我々を制限し、硬く、小さく、鈍くする。
何かになろうとすると、幻想の未来に生きるようになってしまい、大切な今を失う。
執着を捨てるには、自分を初めて見る人のように見ることだ。
自分は、全く知らない人なのだ。
そう見なすことは難しくはないし、不自然ではない。
その理由を説明する。
自分で自分が誰だか分からない。
初めて見る人なのだから当然だ。
自分は、一流大学の卒業生かもしれないし、小学校も出ていないかもしれない。
初めて見る人なのだから、分からなくて当然だ。
でも、どっちもそんなに変わらない。
自分は、大会社の社長かもしれないし、ずっと浮浪者なのかもしれない。
初めて見る人なのだから、分かるはずがない。
でも、どっちもそんなに変わらない。
自分は、聖人君子と讃えられる立派な人かもしれないし、忌み嫌われる(ひどくいやがられる)極悪人かもしれない。
初めて見る人なのだから、分かったもんじゃない。
でも、どっちもそんなに変わらない。
自分は、二十歳の若者かもしれないし、とおに60歳を超えているのかもしれない。
そんなこと分からないのだ。
だって、どっちもそんなに変わらないのだから。
初音ミク主演のオペラ『THE END』の最終幕である『終わりのアリア』で、初音ミクはこう歌う。
死んでるように見える?
それとも眠っていると思う?
それはあなたが決めればいい
どっちもそんなに変わらない
~渋谷慶一郎制作オペラ『THE END』の『終わりのアリア』より~
生きてるのも死んでるのも、それほど変わらないのだ。
実際、太古の人は、生と死を区別していなかった。
いや、区別を知らなかったのだ。
それならば、自分が何であっても、驚くようなことではないし、本当のところ、自分は何でもないのだ。
自分が何でもないことを受け入れること・・・
それが無である。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
そして、無になれば不可能はなくなる。
無限者と共に逍遥(しょうよう。気ままにあちこちを歩き回ること)し、全く自由だ。
そうあるために不要なものは、記憶と、何かになろうという願望だ。
記憶は我々を制限し、硬く、小さく、鈍くする。
何かになろうとすると、幻想の未来に生きるようになってしまい、大切な今を失う。
執着を捨てるには、自分を初めて見る人のように見ることだ。
自分は、全く知らない人なのだ。
そう見なすことは難しくはないし、不自然ではない。
その理由を説明する。
自分で自分が誰だか分からない。
初めて見る人なのだから当然だ。
自分は、一流大学の卒業生かもしれないし、小学校も出ていないかもしれない。
初めて見る人なのだから、分からなくて当然だ。
でも、どっちもそんなに変わらない。
自分は、大会社の社長かもしれないし、ずっと浮浪者なのかもしれない。
初めて見る人なのだから、分かるはずがない。
でも、どっちもそんなに変わらない。
自分は、聖人君子と讃えられる立派な人かもしれないし、忌み嫌われる(ひどくいやがられる)極悪人かもしれない。
初めて見る人なのだから、分かったもんじゃない。
でも、どっちもそんなに変わらない。
自分は、二十歳の若者かもしれないし、とおに60歳を超えているのかもしれない。
そんなこと分からないのだ。
だって、どっちもそんなに変わらないのだから。
初音ミク主演のオペラ『THE END』の最終幕である『終わりのアリア』で、初音ミクはこう歌う。
死んでるように見える?
それとも眠っていると思う?
それはあなたが決めればいい
どっちもそんなに変わらない
~渋谷慶一郎制作オペラ『THE END』の『終わりのアリア』より~
生きてるのも死んでるのも、それほど変わらないのだ。
実際、太古の人は、生と死を区別していなかった。
いや、区別を知らなかったのだ。
それならば、自分が何であっても、驚くようなことではないし、本当のところ、自分は何でもないのだ。
自分が何でもないことを受け入れること・・・
それが無である。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
| 人気ランキング参加中です |
|
