自由な人間になり、野に咲く花のように豊かに生きるために必要なことは、抽象的な言い方ながら誰も反対しないと思うが、広い心・・・青空のように果てしない雄大な心を持ちさえすれば良いはずだ。
だが、なぜこんな当たり前のことを誰も分からないのだろう?
それは、別のことに心が奪われているからだ。
快楽や妬(ねた)み、嫉(そね)み、嫌悪といったものが心を締め、すっかり鈍くなっているのだ。
では、広い心、豊かな心とは何だろう?
それを理解するには、その逆を考えれば良いのだ。
心の狭い人ほど、気分を害し易い。
小さなことで、すぐにイライラし、我慢がならなくなり、怒り、嫉妬し、憎む。
また、ちょっとしたことで不安になり、内心はびくびくしているのに、それを気取られる(感付かれる)のはプライドが許さないので、逆に尊大に振舞ったり、心に厚い壁を作ってしまう。
具体的に言えば、周囲の迷惑など考えずスマートフォンを見ながら歩いている者や、歩きながら煙草を吸っているような者を見ると、言いようのない嫌悪感を抱き、可能であれば、そんな者たちを懲らしめたいと思うが、それができないので、はけ口がなく、憤懣が心の中に鬱積してしまう。
心が大きく豊かであれば、そのようなことは一切起こらない。
それは、自由で楽しいことで、生きていることは歓喜となる。
では、どうすれば、我々も広い心を持てるのだろう?
そのやり方を、ほとんどの人が知らないのだ。
決して、怒りや憎しみを感じた時、「こんなことではいけない」と思って、その感情を抑えるようなことをしてはならない。
そんなことをすれば、逆効果であるばかりか、心は抑圧されて、ますます狭くなり、さらに、抑圧がいつか歪んだ形で噴出する。
普通の学校や家庭での、教育や躾とは、そんなことを行うことなのだ。
正しいやり方はこうだ。
嫌なものを見たり、嫌な目に遭って、嫌悪感や憎しみを感じた時、自分の心から意識を逸らさず、その自分の心を注意深く観察するのだ。
そして、自分の心が狭いこと、幼いこと、けちなこと、女々しいこと、どうしようもなくちっぽけであることを、はっきり認識するのだ。
「俺の心は何て狭いんだ」
「こんなことが不満だなんて、僕はひどくケチなんだな」
「私の心は小さくて幼い。まるで子供だ」
と、はっきり分かれば、変容は即座に起こる。
しかし、自分の心が狭いという事実から目を背け、「悪いのは、あの利己的で無神経なあいつだ」と思っている限り、あなたは永遠に苦しむだろうし、人生は辛いものでしかないだろう。
注意しておきたいが、自分がいかに狭量でも、それを責めてはいけない。
ただ注意深く観察するのだ。
そして、「私は度量がない」「ちっぽけな人間だ」と、本気で言えば良いのである。
少しの痛み、そして、勇気が必要かもしれない。
しかし、その先には、途方もない楽しさや喜びがある。
心は晴れ渡り、必然的に病気は治り、仕事は楽しくなり、有能になり、人々はあなたに親切になり、恋人は出来、お金は豊かに入ってくるようになるだろう。
そのためには、無防備に正直になることで、ゼロになってしまえば、後は、自然が、宇宙が、真の自己が全て美しく整えてくれることだろう。
ゼロと無限の間の真空
わたしが掴んだ 孤独な勇気が
初期化(イニシャライズ)する
~イニシエーション(詞:東浩紀、音楽:渋谷慶一郎、唄:初音ミク)より~
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だが、なぜこんな当たり前のことを誰も分からないのだろう?
それは、別のことに心が奪われているからだ。
快楽や妬(ねた)み、嫉(そね)み、嫌悪といったものが心を締め、すっかり鈍くなっているのだ。
では、広い心、豊かな心とは何だろう?
それを理解するには、その逆を考えれば良いのだ。
心の狭い人ほど、気分を害し易い。
小さなことで、すぐにイライラし、我慢がならなくなり、怒り、嫉妬し、憎む。
また、ちょっとしたことで不安になり、内心はびくびくしているのに、それを気取られる(感付かれる)のはプライドが許さないので、逆に尊大に振舞ったり、心に厚い壁を作ってしまう。
具体的に言えば、周囲の迷惑など考えずスマートフォンを見ながら歩いている者や、歩きながら煙草を吸っているような者を見ると、言いようのない嫌悪感を抱き、可能であれば、そんな者たちを懲らしめたいと思うが、それができないので、はけ口がなく、憤懣が心の中に鬱積してしまう。
心が大きく豊かであれば、そのようなことは一切起こらない。
それは、自由で楽しいことで、生きていることは歓喜となる。
では、どうすれば、我々も広い心を持てるのだろう?
そのやり方を、ほとんどの人が知らないのだ。
決して、怒りや憎しみを感じた時、「こんなことではいけない」と思って、その感情を抑えるようなことをしてはならない。
そんなことをすれば、逆効果であるばかりか、心は抑圧されて、ますます狭くなり、さらに、抑圧がいつか歪んだ形で噴出する。
普通の学校や家庭での、教育や躾とは、そんなことを行うことなのだ。
正しいやり方はこうだ。
嫌なものを見たり、嫌な目に遭って、嫌悪感や憎しみを感じた時、自分の心から意識を逸らさず、その自分の心を注意深く観察するのだ。
そして、自分の心が狭いこと、幼いこと、けちなこと、女々しいこと、どうしようもなくちっぽけであることを、はっきり認識するのだ。
「俺の心は何て狭いんだ」
「こんなことが不満だなんて、僕はひどくケチなんだな」
「私の心は小さくて幼い。まるで子供だ」
と、はっきり分かれば、変容は即座に起こる。
しかし、自分の心が狭いという事実から目を背け、「悪いのは、あの利己的で無神経なあいつだ」と思っている限り、あなたは永遠に苦しむだろうし、人生は辛いものでしかないだろう。
注意しておきたいが、自分がいかに狭量でも、それを責めてはいけない。
ただ注意深く観察するのだ。
そして、「私は度量がない」「ちっぽけな人間だ」と、本気で言えば良いのである。
少しの痛み、そして、勇気が必要かもしれない。
しかし、その先には、途方もない楽しさや喜びがある。
心は晴れ渡り、必然的に病気は治り、仕事は楽しくなり、有能になり、人々はあなたに親切になり、恋人は出来、お金は豊かに入ってくるようになるだろう。
そのためには、無防備に正直になることで、ゼロになってしまえば、後は、自然が、宇宙が、真の自己が全て美しく整えてくれることだろう。
ゼロと無限の間の真空
わたしが掴んだ 孤独な勇気が
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こんにちは。
いつも拝見させていただいており、時々私の悩みを見据えていたかのように、タイムリーに記事を書いてくださっていて、驚くことがあります。
今回もそうでした。
どうしても恋人が他の異性と2人で食事に行くことが許せず、嫉妬心にかられて心がモヤモヤしていました。
その気持ちを抑え込もうとして、さらに辛くなっていましたが、kayさんの仰る通り、相手に目を向けるのではなく、自分の心の狭さ、幼さをじっくり観察することにします。
本当にありがとうございます。