今の私は、どんなことも、どんな人も決して信じない。
ガンジーだろうが、マザー・テレサだろうが、全く信じていない。
では、自分を信じるかというと、その自分がどこにも見当たらないのだ。
あるのは、脳に組み込まれたプログラムだけだ。
例えば、夏目志郎さんという、中国出身の成功した有名なビジネスマンがいたが、彼はビーフステーキが大好物でラーメンが大嫌いだったらしい。
彼は、なぜ自分が、ステーキが好きでラーメンが嫌いなのかは分からないと著書に書かれていた。
しかし、そんな好みを利用し、仕事(セールス)がうまくいったらステーキを食べ、失敗したらラーメンを食べると決めて、仕事の意欲を高めていたことがあったようだ。
彼のステーキ好き、ラーメン嫌いも、彼の脳に組み込まれたプログラムの働きだ。
だが、彼のプログラムを書き換えて、ステーキが嫌いでラーメンが好きになるようにすることなんて簡単なことだ。
思考レベル、肉体レベル、感情レベルの自分なんて、その程度のもので、全く信用できないのだ。
ガンジーやマザー・テレサが、あのような行いをしたのは、単に、彼らに組み込まれていたプログラムのためだ。
人間なんて、物質次元に関しては、コンピューターと全く同じである。
支配者は、昔は、力で人々を従わせようとしたが、それよりも、人々の頭のプログラムを書き換える方がずっと効果的だと気付いた。
一方で、自分のプログラムを書き換えたいと思う人も現れてきた。
支配者の目論みの方は、多少はうまくいったのかもしれない。
支配者は、国民のプログラムの全部ではなく、必要な部分を変えられれば良いと心得ていたし、そのために、恐怖と優越感を利用したのだ、
だが、自分で自分のプログラムを変えることは、恐怖と優越感が邪魔して、さっぱりうまくいかないのだ。
恐怖と優越感が鍵であるが、この2つは実は同じものだ。
ところが、私は、恐怖と優越感を消してしまったので(これらは同じものなので同時に消える)、それを土台に作られていた、昔から支配者によって組み込まれたプログラムが、私から全部消えてしまったのだ。
それは、どんなふうにやるかというと、以下に順を追って説明する。
貧乏で食べられないという人が食を慎むようになったりしない。
しかし、自発的に食を節すると、美食・大食プログラムが壊れる。
もてないから恋人を作るのを諦めても、性欲が無くなるどころか、それは歪んだ形で増大する。
だが、自発的に女のことを忘れると、やはり色情プログラムは壊れるのだ。
ただ、恐怖のためとか、別の欲望のためにすることは、やはり強制であり、自発的でない。
そして、何かになろうとするのは、恐怖や欲望のために駆り立てられているからなのだ。
だから、何かになろうなんて考えなければ良いのである。
「金持ちになる」、「有能になる」、「ひとかどの人物になる」、「尊敬されるに足る人間になる」、「優しい人になる」・・・そんなことを考えてはいけない。
なぜだろう?
未来において、何かになろうとするのは、現在を否定することだからだ。
人間は、今にしか生きられなのに、何かになろうとすると、その一番大切な今に生きず、未来に生きようとしてしまうのだ。
それなのに、子供達は、学校や親や企業やプロスポーツの宣伝で、「僕は大人になったらサッカー選手になる」なんて言わせられる。
25歳のサッカー選手になった未来(運命でなければ決してなれない)より、10歳の今が大切なのだよ。
7年後にすごい歌手になる(かもしれない)君より、11歳の君の方がずっと価値があるのだ。
花は蕾より価値のあるものではないし、実は花より大切なのでもない。
どれも等しく重要で、蕾であることをやめれば花は咲かず、花であることをやめれば実を結ばない。
今を大切にすることで、最高の未来を得られるのである。
そして、今を大切にするとは、恐怖や欲望から解放された自発性を持つことだ。
一言で言えば、自然であることである。
自然であるためには、いかなる権威も受け入れず、いかなる個人も決して崇拝しないことだ。
権威に従い、個人を崇拝することは人工的で不自然だからだ。
そんなことをやめれば、何が起こるかは全く分からない今を自発的に生きられるようになる。
何が起こっても、あなたは自在に対応できるのである。
それはそれは楽しいことである。
これが、冒険の人生ほど愉快なことはないということである。
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ガンジーだろうが、マザー・テレサだろうが、全く信じていない。
では、自分を信じるかというと、その自分がどこにも見当たらないのだ。
あるのは、脳に組み込まれたプログラムだけだ。
例えば、夏目志郎さんという、中国出身の成功した有名なビジネスマンがいたが、彼はビーフステーキが大好物でラーメンが大嫌いだったらしい。
彼は、なぜ自分が、ステーキが好きでラーメンが嫌いなのかは分からないと著書に書かれていた。
しかし、そんな好みを利用し、仕事(セールス)がうまくいったらステーキを食べ、失敗したらラーメンを食べると決めて、仕事の意欲を高めていたことがあったようだ。
彼のステーキ好き、ラーメン嫌いも、彼の脳に組み込まれたプログラムの働きだ。
だが、彼のプログラムを書き換えて、ステーキが嫌いでラーメンが好きになるようにすることなんて簡単なことだ。
思考レベル、肉体レベル、感情レベルの自分なんて、その程度のもので、全く信用できないのだ。
ガンジーやマザー・テレサが、あのような行いをしたのは、単に、彼らに組み込まれていたプログラムのためだ。
人間なんて、物質次元に関しては、コンピューターと全く同じである。
支配者は、昔は、力で人々を従わせようとしたが、それよりも、人々の頭のプログラムを書き換える方がずっと効果的だと気付いた。
一方で、自分のプログラムを書き換えたいと思う人も現れてきた。
支配者の目論みの方は、多少はうまくいったのかもしれない。
支配者は、国民のプログラムの全部ではなく、必要な部分を変えられれば良いと心得ていたし、そのために、恐怖と優越感を利用したのだ、
だが、自分で自分のプログラムを変えることは、恐怖と優越感が邪魔して、さっぱりうまくいかないのだ。
恐怖と優越感が鍵であるが、この2つは実は同じものだ。
ところが、私は、恐怖と優越感を消してしまったので(これらは同じものなので同時に消える)、それを土台に作られていた、昔から支配者によって組み込まれたプログラムが、私から全部消えてしまったのだ。
それは、どんなふうにやるかというと、以下に順を追って説明する。
貧乏で食べられないという人が食を慎むようになったりしない。
しかし、自発的に食を節すると、美食・大食プログラムが壊れる。
もてないから恋人を作るのを諦めても、性欲が無くなるどころか、それは歪んだ形で増大する。
だが、自発的に女のことを忘れると、やはり色情プログラムは壊れるのだ。
ただ、恐怖のためとか、別の欲望のためにすることは、やはり強制であり、自発的でない。
そして、何かになろうとするのは、恐怖や欲望のために駆り立てられているからなのだ。
だから、何かになろうなんて考えなければ良いのである。
「金持ちになる」、「有能になる」、「ひとかどの人物になる」、「尊敬されるに足る人間になる」、「優しい人になる」・・・そんなことを考えてはいけない。
なぜだろう?
未来において、何かになろうとするのは、現在を否定することだからだ。
人間は、今にしか生きられなのに、何かになろうとすると、その一番大切な今に生きず、未来に生きようとしてしまうのだ。
それなのに、子供達は、学校や親や企業やプロスポーツの宣伝で、「僕は大人になったらサッカー選手になる」なんて言わせられる。
25歳のサッカー選手になった未来(運命でなければ決してなれない)より、10歳の今が大切なのだよ。
7年後にすごい歌手になる(かもしれない)君より、11歳の君の方がずっと価値があるのだ。
花は蕾より価値のあるものではないし、実は花より大切なのでもない。
どれも等しく重要で、蕾であることをやめれば花は咲かず、花であることをやめれば実を結ばない。
今を大切にすることで、最高の未来を得られるのである。
そして、今を大切にするとは、恐怖や欲望から解放された自発性を持つことだ。
一言で言えば、自然であることである。
自然であるためには、いかなる権威も受け入れず、いかなる個人も決して崇拝しないことだ。
権威に従い、個人を崇拝することは人工的で不自然だからだ。
そんなことをやめれば、何が起こるかは全く分からない今を自発的に生きられるようになる。
何が起こっても、あなたは自在に対応できるのである。
それはそれは楽しいことである。
これが、冒険の人生ほど愉快なことはないということである。
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過去や未来に生き、今を蔑ろにしていると、
再認識させていただきました。
ありがとうございます。