長嶋茂雄さんが、バッティングの指導をされていた時、のってくると、「こう、くっとやって、すうすっ・・・だ!やってみろ!」とか言われた選手はさっぱり意味が分からず困惑することがよくあったらしい。
だが、普通の人は、こんな重要なことを、笑って見過ごしてしまうのだ。
ある天才的なヴァイオリニストに、演奏中はどんな感覚なのか尋ねたら、
「演奏が始まってしばらくは、頭の上の方で白くて丸いものが、ゆっくり回ります。その後は分からなくなるのですが」
といったようなことを言っていた。
これらから、天才と言われる人達には、凡人には理解し難い特別な感覚を持っていることが想像される。
それ(特別な感覚)を、能力を発揮すべき時にはいつでも呼び起こせるのだろう。
私は、これは、西洋のある魔法の秘儀と同じであることに気付いた。

私だって、子供の頃には、そんな「ある感覚」を知っていた。
その感覚を呼び起こすと、不思議なほど良い絵が描け、走り高跳びをやれば無敵で、その感覚と共に、庭で「にゃあにゃあ」言っていると、本当に猫が20匹も30匹も集まってきて壮観であった。
だが、親や教師は、そんな感覚のことを何も知らず、全く意味のない能力開発の方法を押し付けてくるので、やがて、何もする気がなくなってしまった。
あなたも、その感覚を掴めば、50mを8秒かかっていたなら6秒台の俊足になり、試験では、マークシートごときなら勉強していない問題でも百点が取れ、あれほどもてなかったのが、声をかけるごとに、どんな可愛い女の子でもみんなついて来る。
もっとも、我欲ばかりで使えば、その感覚を思い出すこともできなくなると思う。

その感覚は、呪文でも、呼吸の仕方でも、何かのポーズでもない。
そんなものとは全く違う。
言葉や形では、どうにも表現できないが、必ず存在するものだ。
それを、どうやって掴めば良いのだろう?

そのためには、芸術に親しむことだ。
荘厳な風景に出逢った時、我々は、心は澄み切って消えてしまい、全くの無思考の状態になる。
自然こそ、最高の芸術だからだ。
その、心が消えた処が、あなたがかつて持っていたはずの「あの感覚」の扉だ。
だから、あなたも、時間があれば、素晴らしい自然を見に行くのだ。
どんなに高額でも、宇宙飛行に参加したい人がいくらでもいるのはなぜだろう?
彼らは直感的に知っているのだ。そこに行けば、「あの感覚」と再び出逢えることを。
そのためなら数千万円はとても安いのだ。
岡本太郎は、フランスで初めてセザンヌを見た時、涙がとめどなく流れたという。
「あの感覚」が湧き起こり、これまで身に付いた汚れが、一気に浄化されてしまったのだ。
それから彼はまた汚れたが、30歳も過ぎて、18、19歳の若者達と一緒に、二等兵として中国大陸に送られてしごかれた時のことだ。
地面に倒れ、気が遠くなっていく時に見た、一輪の小さな花の美しさに心をかき消された。
それからだ。彼が目を剥くようになったのは。
岡本太郎の、あの異様な目を見開いた顔は、あの時の感覚を思い出すためのものなのだ。

あなたも、安っぽい娯楽はやめて、壮麗な風景に接し、至高の絵画や彫刻を観賞し、天界の音楽に心を溶け込ませるのだ。
そうすれば、忘れてしまっていた、あの大切な感覚を取り戻すことができる。
その感覚が強く、鮮明になり、馴染み深いものになれば、あなたには不安はなくなり、一切の恐怖を克服できる。
死すら恐くはなくなる。
あなたは、作り物ではない本当の自信に満ち溢れ、地球上を闊歩するようなるだろう。
もちろん、物質的なものなど、何でもなくなり、自由に手に入れるが、余計なものを得ようとはしないので、後悔もなく、落ち着いていられる。
あなたは、こんな重要なものを、世間の人達のように笑ってはならない。









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