岡田式静坐法で知られた、明治、大正の教育家、岡田虎二郎は、「努力、忍耐、克己の必要を全く感じない」と言ったらしい。
しかし、誰だい?こんなことを我々に教えたやつは。
岡田虎二郎は49歳で亡くなったが、死ぬ直前まで元気だったそうだ。
しかし、自分が死ぬことを知っていたのか、死の直前に、書いたものは全部燃やしたらしい。
文書だと、読んだ人が必ず誤解するからという理由と思う。
ところが、虎二郎の、そのような素晴らしい配慮を無視し、虎二郎の本を書いたり、虎二郎語録を作ったりする愚か者がいたということだ。
「努力、忍耐、克己の必要を全く感じない」なんて、いきなり言われたら、虎二郎が言ったように、普通の人は皆、大誤解をする。
しかし、それを本に書いた人は、人々が迷い、虎二郎の教えが誤解されることより、自己満足の方が大切だということなのだ。

虎二郎に意識を向ければ、虎二郎に通じてしまう人もいるかもしれず、そんな人には、虎二郎が言ったことの本当の意味が分かるのだろう。
だが、ほとんど全ての人はそうではないし、虎二郎のことを本に書くような人もそうなのだ。
努力は必要ないと言われると、普通の人は怠惰になれば良いのだと解釈する。
しかし、それでは「怠惰になる努力」だ。
怠惰なら怠惰で良いのだが、怠惰になってはいけないのだ。
ここらになると、普通の人にはもうチンプンカンプンなのだが、虎二郎の本を書いた人も、意味が分かって書いているのではないから、全然説明ができない。
努力ってのはだね、「何かになろう」とすることだ。
「怠惰になる」ってのも努力だ。
「今は年収200万円だが、いつか年収1000万円になる」ってのは努力の意思を感じさせる。
ところで、年収200万円と年収1000万円でどっちが偉いなんてこともない。
たまたまそうあるだけだ。
年収200万円の人が年収1000万円になろうってのも、年収1000万円の人が年収200万円になろうってのも、どっちも努力で、どっちも愚かなことだ。

私が岡田虎二郎について知っていることは、まず、そんな名前の人がいたらしいということだ。
そして、大勢の人達に尊敬されていたようだが、書いたものを、死ぬ前に全部燃やしたってこと。
それだけだ。
それだけで、虎二郎が優れた人であることが分かる。
以前は、私も、虎二郎について書かれた本を何冊も読み、いろいろ憶えていたが、全部忘れてしまった。
虎二郎について書かれた本の記憶は全て捨てたのだ。
それで、深刻な束縛から解放され、自由になったのである。

奥義ってのは、伝えようとして伝わるもんじゃない。
今は、名工とか、武道の達人といった道を究めた人がいないから分からないが、彼らは、いつも一緒にいる弟子や息子にさえ、本当に肝心なことは、どうやったって教えることは不可能なことを知っている。
だから、本当に優れた人、真理を知っている人、悟りを開いた人は皆、高弟達に、「自分で自分の道を見出しなさい」と言うのだ。
ただし、「自分で自分の道を見出しなさい」と言う相手は、相当なレベルの者たちだけだ。
普通の人達には、「あるだけのもので満足しなさい」と教えるのだ。
虎二郎の本を書いたのは、「自分で自分の道を見出しなさい」と言ってもらえなかった凡庸な者たちなのだろう。

虎二郎は、イソップ(童話)は薦めたらしい。アメリカで読んだのだろう。
教育については、小学生の時、ルソーの『エミール』の序文を読んで感銘を受け、生涯の方向を決めたという話もある。
しかし、エミールの誤りは、間接的に、クリシュナムリティが完全に解き明かし、修復していると思う。両方読むと参考になるかもしれない。









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