私の人生は、怒りの人生であるべきだ。
しかし、実際は、つい安穏を求めようとしたことが何度もあるが、それでは生きていることにならない。
では、なぜ怒るのだろうか?
人間が嫌いだからだ。
しかし、ここが肝心なのだが、なぜ人間が嫌いなのだろう?
馬鹿だからでも、不親切だからでも、お世辞を言ってくれないからでもない。
それは全くお互い様だ。
むしろ、小賢しい人、親切な人、あなたを持ち上げてくれる者達を、あなただって嫌だと思わないだろうか?
私が人嫌いなのは、世間の人が権威を受け入れ、権威に従って生きているからだ。
何の疑いもなくね。
そして、彼らは、あらゆる人・・・私も、誰も・・・自分と同じであることを強要するのだ。
そんな者達を嫌わず、怒らないとしたら、どうかしている。
私は、子供の頃から、本当はいかなる権威も否定したかったが、それができなかった。
それが負い目になっている。
だが、今後は、どんな権威も決して受け入れず、また、権威に平伏す人間も認めないだろう。
子供の頃、親がこうしなさいと言うことに対し、「なぜそうしなければならないのか?」と尋ねると、親は高圧的に、「そうするものなのだ」とあなたに押し付けたに違いない。
それならば、あなたはそうすべきではなかったのだ。
学校でも、教師が、「こうするのが当たり前だ」「俺がこうしろと言ったら、つべこべ言わずにそうしろ」と言ったことだろう。
そんな教師に対し、我々は健全な怒りを持ち、反逆しなければならなかった。
今は、世間が教師の代わりである。
なら、世間の教義や信念は全て否定するのだ。
それには、どうしても、あらゆる権威を、絶対に受け入れてはならず、そのためには戦うことは避けられない。
クリシュナムルティ、アインシュタイン、イェイツ、岡本太郎らは、一切の権威と戦う反骨精神の持ち主だった。
だから、たとえ権威に屈した者であっても、彼らには憧れを感じるのだ。
ところで、幸い、私は彼らのような特別な才能は無いので、彼らに比べてしがらみがなく、彼ら以上に徹底して権威と戦うことが可能だ。
実に嬉しいことである。
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しかし、実際は、つい安穏を求めようとしたことが何度もあるが、それでは生きていることにならない。
では、なぜ怒るのだろうか?
人間が嫌いだからだ。
しかし、ここが肝心なのだが、なぜ人間が嫌いなのだろう?
馬鹿だからでも、不親切だからでも、お世辞を言ってくれないからでもない。
それは全くお互い様だ。
むしろ、小賢しい人、親切な人、あなたを持ち上げてくれる者達を、あなただって嫌だと思わないだろうか?
私が人嫌いなのは、世間の人が権威を受け入れ、権威に従って生きているからだ。
何の疑いもなくね。
そして、彼らは、あらゆる人・・・私も、誰も・・・自分と同じであることを強要するのだ。
そんな者達を嫌わず、怒らないとしたら、どうかしている。
私は、子供の頃から、本当はいかなる権威も否定したかったが、それができなかった。
それが負い目になっている。
だが、今後は、どんな権威も決して受け入れず、また、権威に平伏す人間も認めないだろう。
子供の頃、親がこうしなさいと言うことに対し、「なぜそうしなければならないのか?」と尋ねると、親は高圧的に、「そうするものなのだ」とあなたに押し付けたに違いない。
それならば、あなたはそうすべきではなかったのだ。
学校でも、教師が、「こうするのが当たり前だ」「俺がこうしろと言ったら、つべこべ言わずにそうしろ」と言ったことだろう。
そんな教師に対し、我々は健全な怒りを持ち、反逆しなければならなかった。
今は、世間が教師の代わりである。
なら、世間の教義や信念は全て否定するのだ。
それには、どうしても、あらゆる権威を、絶対に受け入れてはならず、そのためには戦うことは避けられない。
クリシュナムルティ、アインシュタイン、イェイツ、岡本太郎らは、一切の権威と戦う反骨精神の持ち主だった。
だから、たとえ権威に屈した者であっても、彼らには憧れを感じるのだ。
ところで、幸い、私は彼らのような特別な才能は無いので、彼らに比べてしがらみがなく、彼ら以上に徹底して権威と戦うことが可能だ。
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今回読ませていただき自分の人生は何かと、ふと思うときに返ってくる言葉の中の一つに怒りがあったのを思い出しました。
世間や社会、肩書き、一般人などに怒りを覚えていますが、一番怒りを覚えているのは自分自身に対してなのだと。
これでいいのか?という疑問に対し
これでいいはずがない
そう思いながらも
だがお前は正しいのか?という言葉に
こんな自分が正しいとは思わない
だが、だからといってこのままで言いわけがない
そう思いながら何もできない自分に憤りを覚えるのが、自分の人生なのだと。
そう思った時もありました。
kayさんのブログを見ていると、忘れていたものを思い出すことがあるので本当に有難いです。
いつもありがとうございます。