クリスマス、正月といった、「権威ある祝日」には、よくよく注意しなければならない。
国家、民族、世間のロボットになりたくなければね。
私は、クリスマス、正月を、何ら特別な日と思っておらず、むしろ、憤りと怒りを持って反発する。

その理由を説明するために丁度良い、ちょっと素敵なお話があった。

1980年代前半に描かれた竹宮恵子さんの漫画『私を月まで連れてって!』は、現在よりさらに数十年先の21世紀後半を描いているが、今読んでもなかなかの未来描写と思う。
そして、この作品はSFであると同時に「ラブコメ」なのだが、その相乗効果により、次のようなことを実現させているように思うのである。
それは、読者の固定観念を壊してしまって、非現実を、すんなり受け入れさせ、悲しいことも、あまり深刻にさせないことである。
竹宮恵子さんは、萩尾望都さんとよく比較されたが、二人とも本当に天才だと思う。

さて、その『私を月まで連れてって!』の中に、こんなお話がある。
ウルサラという名の、女性用の白いドレスの第一人者である女性デザイナーがいた。
そのウルサラだが、彼女は、素晴らしい男性と5年間も同棲し、相手の男性は結婚を強く望んでいるのに、なぜかそれに応じない。
彼女が結婚を拒む理由は、彼女は、ある理由から、子供を持ちたくないからだった。
実は、彼女は、子供の頃、家が貧しく、他の少女達が、子供パーティーで着てくる白いドレスを羨んで見ているしかなかったのだ。
また、堅信礼という、宗教的に重要な儀式にも、おそらく、常識的なはずの白いドレスを用意できず、これらのことが、彼女の心に深い傷を負わせていた。
それで、彼女はデザイナーになってからも、白いドレスが欲しかった少女時代の願望を満たそうと白いドレスを創り続けたが、子供用の白いドレスは決して創らない。
いや、本当は、子供用の白いドレスを山ほど創っていたが、心の傷が大きくて、いくら創っても満足できず、それらを発表しないのだった。
そんな彼女が子供を持ちたくない理由は、自分に女の子でもできたら、いまだ消えない少女時代の執念をその子に押し付けてしまうことを恐れていたからだった。
だが、ある日、ウルサラは、少女の時の自分にそっくりな、12歳のニナに出会い、子供用の白いドレスに溢れた秘密の部屋に彼女を案内し、ニナに好きなドレスを選ばせ、それを着てもらう。
ニナはウルサラが最も気に入っているドレスを見事選び、その輝く姿は、ウルサラを過去の束縛から解放した。

21世紀後半の未来に貧困があるだろうかということは、あまり考えないでおこう。これは、ストーリーに必要だからね。
まず、このお話には、2つの疑念がある。
1つは、その時代になってすら、人々は、1人の少女の心に深い傷を負わせるほどに、低いレベルのままなのかということである。
確かに、どんな世界になっても、不幸そのものは必ずある。
しかし、誰かの不幸は、他の人達に、真の同情心や親切心を育てるために、神が用意したものであり、その機会を得たことを喜び、不幸な役を担ってくれた相手を愛さずにはいられないのである。
まあ、愛の無い私が書くと、どこか表現がおかしいかもしれないが、だいたいそんなものであることは、私にも分かるのである。
もう1つの疑念は、少女を特別に苦しめたのが、宗教的儀式であることだ。
堅信礼は、キリスト教やユダヤ教の、一種のイニシエーション(入信の儀式)で、伝統と権威ある儀式だ。
そして、これらのことは、どこか生々しく現実的であるからこそ、読者の心を揺さぶるのだ。

つまり、伝統と権威が、人々の心を、鈍く、暗く、そして、固くし、炎となって天に昇っていくような、あるいは、若い草木が天に向かって伸びるような成長を決してさせないのだ。
伝統と権威が、我々の精神を縛りつけ、制限付け、我々は、権威者の決めた範囲と方法でしか考えることができないようになり、国家の、民族の、世間の哀れな奴隷となるのである。

アンデルセンの『マッチ売りの少女』の、哀れな少女には、実際のモデルがいた。
大晦日(クリスマスにも似ている)という、伝統と権威ある祝日は、小さな女の子が飢えて凍死することを避けさせるための何の力もなく、むしろ、人々から慈悲心を消してしまい、少女を殺すことに手を貸しただけだった。
私だって、クリスマスや正月には辛い思い出や、惨めな記憶しかない。
私が、権威に反発し、世間に従うことを拒まずにいられない状態だったからである。

しかし、嘆くばかりでは、何の益にもならない。
我々は、伝統と権威の愚かな奴隷になることを拒否し、高く飛ぶことを覚えねばならない。
あの白いドレスが欲しかった少女の時のウスサラは、なぜ、苦しんだのだろう?
そんなことを真面目に考えなければならない。
彼女は、ただ、他の子供のことが羨ましかったのではない。
もっともっと深い辛さがあったのだ。
それは恐怖である。
白いドレスを持っていない自分は、この世で生きさせてもらえないと感じたはずなのだ。
白いドレスを着ることができない自分は、伝統が続く中で居場所がなく、すぐにも権威によって排除される存在であると感じ、彼女の小さな胸は凍り付いていたのだ。
そして、伝統と権威に反発する者が感じることも同じなのである。
だが、高みを目指す我々は、そんな伝統や権威を真正面から見据え、よく観察しなければならない。
そして、その時の自分の心の反応を、たとえば、病気の愛しい人の様子を観察するように、静かに見守るのだ。
一切の批判をしてはならない。
ただ、静かに静かに見るのだ。
苦しくても、目を逸らさず、勇敢に苦しみに耐えてね。
すると、何かが起こるのである。
それこそが、本当のイニシエーションである。
目には見えない存在達が、あなたを招くのである。

『私を月まで連れてって』の『白いドレス』のお話が載ったものを、下にご紹介しておく。









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