個性的な人間というのは、珍しい経験を持った人のことだ。
大金持ちに家に生まれ、玄関から屋敷までたっぷり歩く必要があり、バスケットボールができそうな広い豪華な居間で、執事に給仕されながら贅沢な料理を食べてきた人間と、狭い部屋にちゃぶ台を置いて、毎日、サンマと大根卸しを食べさせられ、父親が時々ちゃぶ台返しをする家(今どき、そんな家は滅多にないが)で育った人間の個性が異なるのは当然だろう。
別に金持ちでなくても、幼い頃からピアノの厳しいレッスンを受けている子は他の子とは違うし、武道を叩き込まれた子はもっと個性的である可能性が高いかもしれない。
いずれにしろ、人間の個性なんて経験が作ったものだ。
そして、誰だって、ある程度は個性的なのである。
ところで、上に挙げたような、金持ちであるとか、ピアノを習った、あるいは、武道をやっていた等からくる個性というのは、まだ分かり易い。少数派ではあろうが、そんな子がいるってことは、不思議なことではないと一般的にも了解されているからだ。つまり、ある意味、そんな人間はまだ平凡なのだ。
だが、厄介なのは、あまり注目されないような部分で、変わった経験をしてきた(させられた)人間だ。そんな者は、非常に個性的であるが、それが誰にも理解されないのだ。
私はある人気歌手の自伝を読んだが、彼女の父親は底なしの演歌好きで、美空ひばりさんを崇拝していたが、昔のある美少女アイドルのファンでもあり、娘にそのアイドルと同じ名前を付けるという、言ってみれば我がまま勝手な男だった。そして、娘を歌手にすべく、彼女が幼い時から、歌の我流の猛特訓をさせる。
その歌手は、割合に平凡な人間を装っているが、実際は、恐ろしいほど個性的であるに違いない。
彼女の発言、表情には、ひどく不自然なものが感じられ、それが彼女にストレスを与えているように思われるのである。
5年連続で紅白にも出るし、売れているからいいじゃないかと言われるかもしれないが、それはたまたまだ。同じような経験を持つ人間には、悲惨な状況になっている者の方が圧倒的に多いのである。
ただ、いずれにしても、それぞれの人の運命であるし、私は決して否定的に考えている訳ではないことをお断りしておく。
その歌手とは、水樹奈々さんなのだが、私も、彼女が主演で主題歌を歌っているアニメのブルーレイやDVDの多くを揃えているほどのファンである。
あなたも、ひょっとしたら、目立たない部分で変わった経験をしてきて、普通の人には理解し難い個性を持っているかもしれない。
特殊な宗教を持つ家庭に育ち、セックスは汚らわしいものと叩き込まれたり、日本史の中で一番偉いのは坂本竜馬だと信じて疑わない父親を持ったりしたら、かなり困った個性を持つことも有り得るだろう。
もちろん、他にも、色々と問題のある経験をさせられてしまった人間は多いことだろう。
だが、そんな個性的な人間でも、他の平凡な人間については理解し易い。
そして、そんな時、単に理解され難い個性派であるという以上に困ったことが起こるのだ。
自分が、他の人間とは違うというのは気付いているし、それ自体は悪いことではないはずだ。
だが、自分が他の人間とかなり異なっていることで、「自分は高貴である」「自分は偉い」「自分は選ばれた人間だ」と思い込んでしまうことである。
そうではないのだ。
ただ、変わった経験を持っているというだけのことなのだ。
そのことを本当に受容できると、これまでの心の重荷がすーっと消えていくのだ。
「ピアノが弾ける」とか、「武道ができる」といった、世間でも分かり易い、そして、賞賛されることも多いこととは違う、表向きには誉められないばかりか、蔑まれるような個性を持った人間は、平凡な他の人間を軽蔑し、嫌悪するようになる場合が多い。
劣等感の裏返しで、自分は特別だという意識が強くなってしまうのだ。
いや、確かに特別かもしれない。
しかし、それがどんな形で特別であったとしても、他の人間に比べ、偉いわけでも、貴いわけでもないのだ。
単に、個性が異なるというだけで、それは、経験が異なっているというだけのことなのだ。
それを受け入れることができれば、そんな自己満足のケチ臭い自己価値ではない、自分の中にある、本当に貴い光を見つけることができる。
個性的な人間であっても、周囲の平凡な人間を軽蔑したり、嫌悪してはならない。
たとえ、周りにいる人間が、本当に蔑むべき性質を持っているように見えても、彼らはそんなふうになる経験を持っているというだけのことなのだ。
彼らから見れば、あなたの方が蔑み疎むしかない存在かもしれない。
しかし、そんなことはどうでも良い。
個性など、表面的なものだ。
何度も述べるが、それは、単なる経験の違いなのだ。
言ってみれば、個性は天気のようなものだ。
豪雨が降っていても、雲っていても、雲の上は太陽が輝き、星がきらめく。
そんな高いところに昇るのだ。
そのためには、自分の個性から起こる思考をただ静かに眺め、巻き込まれずにいることだ。
そうやっていれば、自分が本当は太陽であることが分かるだろう。
あくまで娯楽的にだが、こういった個性、人間性について扱った小説、アニメに『BLOOD-C』というものがある。参考になるかどうかは分からないが、まあ、面白いとは思う。
アニメでは、上にも述べた水樹奈々さんが、主題歌の作詞と歌唱、そして、ヒロインの声まで担当しているのが、何とも宿命的で興味深い。
小説は電子書籍も用意されているのが有り難い。
ブルーレイは安価な北米版が日本のほとんどのプレーヤーで再生出来、添付のDVD(!)は、PCでならリージョンコードを変更すれば再生できる(ただし、変更回数は普通5回に制限されている)。お金のある人は、面倒が一切ない国内版を買われたし。
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大金持ちに家に生まれ、玄関から屋敷までたっぷり歩く必要があり、バスケットボールができそうな広い豪華な居間で、執事に給仕されながら贅沢な料理を食べてきた人間と、狭い部屋にちゃぶ台を置いて、毎日、サンマと大根卸しを食べさせられ、父親が時々ちゃぶ台返しをする家(今どき、そんな家は滅多にないが)で育った人間の個性が異なるのは当然だろう。
別に金持ちでなくても、幼い頃からピアノの厳しいレッスンを受けている子は他の子とは違うし、武道を叩き込まれた子はもっと個性的である可能性が高いかもしれない。
いずれにしろ、人間の個性なんて経験が作ったものだ。
そして、誰だって、ある程度は個性的なのである。
ところで、上に挙げたような、金持ちであるとか、ピアノを習った、あるいは、武道をやっていた等からくる個性というのは、まだ分かり易い。少数派ではあろうが、そんな子がいるってことは、不思議なことではないと一般的にも了解されているからだ。つまり、ある意味、そんな人間はまだ平凡なのだ。
だが、厄介なのは、あまり注目されないような部分で、変わった経験をしてきた(させられた)人間だ。そんな者は、非常に個性的であるが、それが誰にも理解されないのだ。
私はある人気歌手の自伝を読んだが、彼女の父親は底なしの演歌好きで、美空ひばりさんを崇拝していたが、昔のある美少女アイドルのファンでもあり、娘にそのアイドルと同じ名前を付けるという、言ってみれば我がまま勝手な男だった。そして、娘を歌手にすべく、彼女が幼い時から、歌の我流の猛特訓をさせる。
その歌手は、割合に平凡な人間を装っているが、実際は、恐ろしいほど個性的であるに違いない。
彼女の発言、表情には、ひどく不自然なものが感じられ、それが彼女にストレスを与えているように思われるのである。
5年連続で紅白にも出るし、売れているからいいじゃないかと言われるかもしれないが、それはたまたまだ。同じような経験を持つ人間には、悲惨な状況になっている者の方が圧倒的に多いのである。
ただ、いずれにしても、それぞれの人の運命であるし、私は決して否定的に考えている訳ではないことをお断りしておく。
その歌手とは、水樹奈々さんなのだが、私も、彼女が主演で主題歌を歌っているアニメのブルーレイやDVDの多くを揃えているほどのファンである。
あなたも、ひょっとしたら、目立たない部分で変わった経験をしてきて、普通の人には理解し難い個性を持っているかもしれない。
特殊な宗教を持つ家庭に育ち、セックスは汚らわしいものと叩き込まれたり、日本史の中で一番偉いのは坂本竜馬だと信じて疑わない父親を持ったりしたら、かなり困った個性を持つことも有り得るだろう。
もちろん、他にも、色々と問題のある経験をさせられてしまった人間は多いことだろう。
だが、そんな個性的な人間でも、他の平凡な人間については理解し易い。
そして、そんな時、単に理解され難い個性派であるという以上に困ったことが起こるのだ。
自分が、他の人間とは違うというのは気付いているし、それ自体は悪いことではないはずだ。
だが、自分が他の人間とかなり異なっていることで、「自分は高貴である」「自分は偉い」「自分は選ばれた人間だ」と思い込んでしまうことである。
そうではないのだ。
ただ、変わった経験を持っているというだけのことなのだ。
そのことを本当に受容できると、これまでの心の重荷がすーっと消えていくのだ。
「ピアノが弾ける」とか、「武道ができる」といった、世間でも分かり易い、そして、賞賛されることも多いこととは違う、表向きには誉められないばかりか、蔑まれるような個性を持った人間は、平凡な他の人間を軽蔑し、嫌悪するようになる場合が多い。
劣等感の裏返しで、自分は特別だという意識が強くなってしまうのだ。
いや、確かに特別かもしれない。
しかし、それがどんな形で特別であったとしても、他の人間に比べ、偉いわけでも、貴いわけでもないのだ。
単に、個性が異なるというだけで、それは、経験が異なっているというだけのことなのだ。
それを受け入れることができれば、そんな自己満足のケチ臭い自己価値ではない、自分の中にある、本当に貴い光を見つけることができる。
個性的な人間であっても、周囲の平凡な人間を軽蔑したり、嫌悪してはならない。
たとえ、周りにいる人間が、本当に蔑むべき性質を持っているように見えても、彼らはそんなふうになる経験を持っているというだけのことなのだ。
彼らから見れば、あなたの方が蔑み疎むしかない存在かもしれない。
しかし、そんなことはどうでも良い。
個性など、表面的なものだ。
何度も述べるが、それは、単なる経験の違いなのだ。
言ってみれば、個性は天気のようなものだ。
豪雨が降っていても、雲っていても、雲の上は太陽が輝き、星がきらめく。
そんな高いところに昇るのだ。
そのためには、自分の個性から起こる思考をただ静かに眺め、巻き込まれずにいることだ。
そうやっていれば、自分が本当は太陽であることが分かるだろう。
あくまで娯楽的にだが、こういった個性、人間性について扱った小説、アニメに『BLOOD-C』というものがある。参考になるかどうかは分からないが、まあ、面白いとは思う。
アニメでは、上にも述べた水樹奈々さんが、主題歌の作詞と歌唱、そして、ヒロインの声まで担当しているのが、何とも宿命的で興味深い。
小説は電子書籍も用意されているのが有り難い。
ブルーレイは安価な北米版が日本のほとんどのプレーヤーで再生出来、添付のDVD(!)は、PCでならリージョンコードを変更すれば再生できる(ただし、変更回数は普通5回に制限されている)。お金のある人は、面倒が一切ない国内版を買われたし。
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