永遠の人気者であるに違いない禅僧の一休さんには、数多くの逸話があるが、実際の話ではなく、後の世の人が作ったものが多いのだろう。
例えば、橋の前に「このはし、わたるべからず」と書かれてあるのを見て、ど真ん中を平気で渡ったとか、「絵の中の虎を捕まえてみろ」と言われて、「では誰か、虎を追い出して下さい」と言ったとかは、どうも作り話っぽい。

だが、これも本当にあったことかどうかは分からないが、一休さんらしい、こんなお話がある。
一休さんは臨終の際、弟子達に封印された遺言書を渡し、「本当に困った時に開けよ」と言い残した。
そして、ある時、本当に大変な困難に見舞われた弟子達がそれを開けると、そこには、「心配するな、なんとかなる」と書かれていたという。
この、「心配するな、なんとかなる」を座右の銘としている人もいると思うが、良いことであると思う。

一休さんは、般若心経の解説も書いているが、そういったものは、どうしても理屈をこねてしまうことになる。
世界的発明家の中山正和さんは、般若心経に書かれた般若波羅蜜多(はんにゃはらみつた)という行は、単に、「クヨクヨしない練習なんですよ」と著書に書かれていたが、これこそ本質であると思う。
本来であれば、一休さんも、「般若心経とは、心配するな、なんとかなるということなんだよ」とでも言っておけば良かったような気もする。特に、現代人にはね。

ところで、プロ野球の横浜DeNAベイスターズの監督の中畑清さんは巨人の若手選手だった時、当時、巨人の監督だった長嶋茂雄さんに、「調子はどうだ?」と聴かれ、かなり調子が悪かった中畑さんが、「まあまあです」と答えたところ、長嶋さんに、「馬鹿野郎!嘘でも絶好調だと言え」と言われて、即座に、「はい!絶好調です」と言い直して、何かに目覚めたという話をテレビ番組で聞いたことがある。
この「絶好調です」も、真似して口癖とすることで、うまくいっている人もいると思うが、これでうまくいくかどうかは、人によると思う。
単純で明るく、欲のない人ならうまくいくと思う。
しかし、欲深い人は、「絶好調だから成功する」、「絶好調だから儲かる」と考えてしまう。
中畑さんの「絶好調です」というのは、今、現在、絶好調なのであって、過去も未来もないのである。

たとえ絶好調だろうが、受験に合格するかどうかは分からない。
受かるときは受かるし、落ちる時は落ちる。
大好きなあの子が恋人になってくれるかどうかは、所詮、相手次第というところもある。映画や小説のようにはいかない。
しかし、落ちたら落ちたで絶好調だし、彼女を他の男に取られても、それでなんとかなったということなのだ。

「絶好調です」と、「心配するな、なんとかなる」というのは、組み合わせるべきだ。
一休さんが本当に、「心配するな、なんとかなる」と教えたのかどうかは知らないが、一休さんなら、究極的にはこう言いそうだ。
「心配するな。なんとかなってる」

上にも述べた、中山正和さんの「クヨクヨしない練習」とは、中山さん自身述べられていたが、「考えても仕方がないことは考えない」ということだ。
そして、世の中のことは全て、「考えても仕方がない」ことばかりなのだ。
ならば、一切何も考えないことだ。
『灼眼のシャナ』という、小説、アニメ、あるいは、漫画で、高校1年生の坂井悠二が死の直前に悟ったことは「大事なことは、ただやるってことだったんだ」である。
ヒロインのシャナも、シャナについている「神」アラストールも、これには感心していたのだろう。
「考えずにやったら暴走するじゃないか?」と言う人がいるかもしれない。
そうではない。
欲にとりつかれて何かやった時に暴走するのだ。
あるいは、誰かの邪まな想いに操られて行動した結果、悲惨なことになるのだ。
だから、クヨクヨしない練習とは、考えない練習だ。
頭の中で、つまらない考えが浮かんだことに気付いたら、その考えを追いかけず、考えることをやめることだ。
そして、全ての考えはつまらないのである。
早い話、何かを考え始めたら、すぐに、その考えを捨てるのだ。
そうであれば、あなたのやること、否、あなたの存在自体がミラクルなのだ。
そんな練習をすべきだ。
私は、この練習に励んでいるので、今現在絶好調であり、何でもなんとかなっているのである。









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