本を読むってことは、その本を、その場で自分が書くってことだ。
どういうことか分かるだろうか?
本が外にあるのではない。その本が、自分の中にあるのだ。
絵画を見れば、あなたの中にある神秘な存在が、その瞬間にその絵を構築して、あなたの網膜に映してみせるのである。
音楽を聴けば、あなたは、その曲の作者になっている。
ある楽章のある音を、どういうつもりでその音にしたのか、あるいは、全く考えずに音が浮かんだのか、そんなことも全部分かるだろう。
エマーソンは述べている。シェイクスピアを読む子供達を観察すれば、彼らがシェイクスピアそのものになっているのがはっきり分かると。
そして、彼はこうも言う。
いかなる英雄の物語を読んでいても、それはあなたの物語でしかないのだと。
人と人が会うことは、ジュピター(神々の王)とジュピターが会うことだ。
そう思えと言うのではない。そうであることを知べきなのだ。
我々が目を向けて見たものは全て、内なる何者かが、一瞬で造り上げた結果である。
もし、悪いもの、嫌なものを見ているなら、あなたの中にそれがあるだけのことだ。丁度、フィルムに光が当たって、スクリーンに像を結んだようなものだ。
だからって、安っぽい成功哲学が言うように、そのフォルムを変えるなんてことが意図的にできる訳ではない。
しかし、変えてもらうことはできる。
英国の作家コリン・ウィルソンは、同国の偉大なSF作家H.G.ウェルズを崇拝していて、そのウェルズの『ポーリーの物語』(未翻訳と思う)の中の言葉を、若い時からの心の支えにしていた。
それは、
「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」
だった。
とにかく、あなたが見るもの、聴くものは、全てあなたが創ったのだ。
それなら、一流の本を読み、一流の音楽を聴くことだ。
そんな素晴らしいものが、「元々」あなたの中にあるのだ。
どんなに優れた交響楽団の、どんなに素晴らしい演奏だって、何度も聴けば、あなたは心の中で、その演奏をそっくりそのまま再現できる。それは、憶えたのではなく、元々、あなたの中にあったからだ。
惚れ惚れする音楽を聴いたなら、それを創り出した、あなたの内にある力に惚れ惚れとすれば良い。
難しい漢字で書かれた仏教の経典や、中国の老子を見ても、あなたは、その意味をチャンと分かっている。
今、あなたの内なる神が、それを一瞬で書いたのだからだ。
その神と和らげば(親しめば)、何でも分かる。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻で、著者ベアード.T.スポールディングは、4歳の時の貴重な思い出を語っている。大学予備校の教師にアルファベッドを見せられ、ベアードが、それが分からないと言うと、教師は、「そんな態度からは、今日限りサヨナラしなさい。自分はチャンと分かっているという態度でいなさい」と彼をたしなめた。
ベアードはその態度でいたから、名門大学を14歳で卒業できたのだ。
まずは、『バガヴァッド・ギーター』や『老子』を読み、それらが元々、自分の中にあることを確かめると良いと思う。
人類至高の知恵が既に自分の中にあるのだ。それは驚きであるかもしれないが、それが事実であり、これほど嬉しいことはないのである。
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本が外にあるのではない。その本が、自分の中にあるのだ。
絵画を見れば、あなたの中にある神秘な存在が、その瞬間にその絵を構築して、あなたの網膜に映してみせるのである。
音楽を聴けば、あなたは、その曲の作者になっている。
ある楽章のある音を、どういうつもりでその音にしたのか、あるいは、全く考えずに音が浮かんだのか、そんなことも全部分かるだろう。
エマーソンは述べている。シェイクスピアを読む子供達を観察すれば、彼らがシェイクスピアそのものになっているのがはっきり分かると。
そして、彼はこうも言う。
いかなる英雄の物語を読んでいても、それはあなたの物語でしかないのだと。
人と人が会うことは、ジュピター(神々の王)とジュピターが会うことだ。
そう思えと言うのではない。そうであることを知べきなのだ。
我々が目を向けて見たものは全て、内なる何者かが、一瞬で造り上げた結果である。
もし、悪いもの、嫌なものを見ているなら、あなたの中にそれがあるだけのことだ。丁度、フィルムに光が当たって、スクリーンに像を結んだようなものだ。
だからって、安っぽい成功哲学が言うように、そのフォルムを変えるなんてことが意図的にできる訳ではない。
しかし、変えてもらうことはできる。
英国の作家コリン・ウィルソンは、同国の偉大なSF作家H.G.ウェルズを崇拝していて、そのウェルズの『ポーリーの物語』(未翻訳と思う)の中の言葉を、若い時からの心の支えにしていた。
それは、
「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」
だった。
とにかく、あなたが見るもの、聴くものは、全てあなたが創ったのだ。
それなら、一流の本を読み、一流の音楽を聴くことだ。
そんな素晴らしいものが、「元々」あなたの中にあるのだ。
どんなに優れた交響楽団の、どんなに素晴らしい演奏だって、何度も聴けば、あなたは心の中で、その演奏をそっくりそのまま再現できる。それは、憶えたのではなく、元々、あなたの中にあったからだ。
惚れ惚れする音楽を聴いたなら、それを創り出した、あなたの内にある力に惚れ惚れとすれば良い。
難しい漢字で書かれた仏教の経典や、中国の老子を見ても、あなたは、その意味をチャンと分かっている。
今、あなたの内なる神が、それを一瞬で書いたのだからだ。
その神と和らげば(親しめば)、何でも分かる。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻で、著者ベアード.T.スポールディングは、4歳の時の貴重な思い出を語っている。大学予備校の教師にアルファベッドを見せられ、ベアードが、それが分からないと言うと、教師は、「そんな態度からは、今日限りサヨナラしなさい。自分はチャンと分かっているという態度でいなさい」と彼をたしなめた。
ベアードはその態度でいたから、名門大学を14歳で卒業できたのだ。
まずは、『バガヴァッド・ギーター』や『老子』を読み、それらが元々、自分の中にあることを確かめると良いと思う。
人類至高の知恵が既に自分の中にあるのだ。それは驚きであるかもしれないが、それが事実であり、これほど嬉しいことはないのである。
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ああ、そういう意味だったのか。それから20年ほど経ちますが、やっと答えに出会えました。時間がかかりましたが、これもまた人生の醍醐味と捉えようと思います。
しかし難解な本を自分が書いたのだ。。そう思えるかどうか・・。心配する小さな自分もいるのですが、ゆっくりと、少しずつ、トライしてみようと思います。
絵や音楽を聴いて、また文章に出会い、魂が震えるような感動を覚えることがあります。
そんな時はおそらく、kayさんのおっしゃるようになっているのでしょうね。
南無阿弥陀仏