最近、集中力の訓練をお薦めしていることについて、もう少しお話したい。
何かの物(小さな石や花、絵など)や、身体の一部分(額や胸や下腹等)に、自然に意識が集中するように求めることは素晴らしいことである。
しかし、世間の瞑想指導家が言うように、「集中しよう」と思わない方が良い。
精神が未熟だったり、不安定な場合、自我の思いで無理に集中しようとすると、悪霊や邪霊の影響を受ける恐れがあるからだ。
「集中する」のではなく、「集中させていただく」のだと思うのである。
そして、その方が集中しやすいのだ。
勉強やスポーツでも、「集中しろ」と指導するのは無能な指導者だし、そう言わることによって集中するなんてことはない。
集中が必要な時に、「集中させていただく」のだと思えば、自然に集中するのである。

好きな人のことをじっと考えて集中することも良いことなのだが、それで感情がどろどろしてくるなら、それは本物の愛ではないので、その人のことは忘れることだ。
そうではなく、その人のことを考えると、何もいらないと思え、他に何も考えることができないほどなら、どうぞ、ずっと考えていると良い。

物や自分の身体の一部ではなく、もっと他の何か・・・例えば、太陽や、月や、美の概念や、ピカソの絵、メンデルスゾーンの音楽といったもので、それについて考えていると自然に集中するなら、それがあなたの才能に結び付いているかもしれない。
私は少し前から、冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』の第5幕『銀河鉄道の夜』で、初音ミクが「ケンタウルス、露を降らせ」と歌うシーンに、自然に深く集中することができるようになり、それによって、実に多くの恩恵を得ているのである。

また、私は、小学4年生の時、土星についてじっと考えることが好きだった。すると、大学生の従兄に譲ってもらった天体望遠鏡で土星を見ようと思ったら、何の手がかりもなしで、夜空の星の中から簡単に土星を特定できるようになってしまった。これは、このブログでも何度も書いたが、本当のことであるが、別に驚くことではないと思っている。
さらに深く土星について集中していると、土星の様子すら心に浮かべることができる。これもまた、不思議なことではなく、人間の精神には、そんな力は元々備わっている。その力をあなたも顕在化させると良い。それは、直接に人生の力になる。
土星が、世間の科学で言われる通り、ガス惑星であるのか、アメリカのジョージ・アダムスキーが言うような、高度な文明が栄えた惑星であるかも分かるようになるだろう。私は土星について何かを主張する気は全くない。証拠は何もないし、それ(証拠物件)が与えられないということは、世間に何か言う必要はないということであり、それは不幸なことではなく、むしろ恵みである。

阿弥陀如来のことを知りたければ、阿弥陀如来のことを考えさせていただくことだ。
「南無阿弥陀仏」と静かに念仏を唱え、その姿を見せていただきたいと思い続けるのだ。
経典によれば、人がそう真摯に願えば、阿弥陀如来は姿を見せてくれると書かれてあり、法然もその通りであることを認めている。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、イエス・キリストは神という言葉をなるべく多く使うように教えたが、これも、精神を集中する訓練のつもりで行うよう注意していたと思う。

以上のことから、精神集中の訓練について、何か取り入れることがあれば幸いである。









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