私はこの数日、柄にもなく、自分の発言や行いを後悔していた。
ポール・マッカートニーの『Let It Be』では、そんな時、聖母マリアが現れて「Let It Be(あるがままに)」と言われて救われたらしいが、私には無理らしい。そもそも、意味が分からない。
だが、今日の午後、光明が射してきた。
私が何を言ったにしろ、それは私が言ったのではない。
神に言わされたのだ。
私が何をやったにしろ、それは私がやってのではない。
神にさせられたのだ。
ならば、全ての責任は神にある。
神に責任を取ってもらえば良いのではないか?
「そんなアホな」と言う人がいるかもしれない。
「では、銀行強盗をしても、それは神にさせられたのだから、責任は神にあるのか?」
と言われるなら、「その通り」である。
鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった人がいるかもしれない。
しかし、親鸞ならこう言うかもしれない。
「じゃ、あんた、銀行強盗やってきなさい」
できるものか。
銀行強盗をやる運命でなければ、そんなことはできない。
逆に言えば、銀行強盗をやる運命であれば、それをすることは「決して」避けられない。
ちょっと話を変えて説明したい。
夏目志郎さんという、偉大なセールスマンがいた。
SMIという、アメリカの大きな自己啓発プログラムの販売会社で、6年連続世界一の成績を記録している。
私は、SMIの販売会社の社長と付き合いがあり、新人部門で世界一になった人をよく知っていた。そして、私も完全歩合制セールスで苦労したことがあるので、SMIでの世界一がどれほど凄いかは少しは分かると思う。
夏目さんは元々は中国人で(後に日本に帰化した)、戦後、大金と超高級車と共に日本にやってきた。
急速な発展の予感のある日本での成功という野望を持った若いビジネスマンだった。
しかし、夏目さんは大失敗し、膨大な借金を背負い込んでしまった。
失意の中、夏目さんは、キリスト教会のボランティアに参加し、布教の手伝いをした。その時に学んだ、教会への誠実な勧誘方法が、夏目さんの、後のセールスの基盤となったようだ。
心の平安を回復しかけた夏目さんだったが、自動車事故で脚を折ってしまう。
成功どころか、まさに踏んだり蹴ったりである。
しかし、聖書をかなり学んでいた夏目さんは、神に対し、こんな祈りをしたそうだ。
これまでの自分の人生の失敗は私の責任である。
しかし、これらからのことは、あなたに責任を取ってもらいたい。
夏目さん35歳。頭も薄くなりかけていた(後にツルツルになった)。
だが、それから、夏目さんの人生は急展開、急上昇し、トップセールスマンとなり、偉大な指導者になっていったのだ。
失敗続きの人生というのは、自分が行動していると思っている人生だ。
そのようであれば必ず失敗するし、当然、失敗の責任は、行為者である自分に帰する。
だが、全て神にまかせてしまえば、自分は何もしておらず、全ては神の行為だ。
当然、全ての責任は神に帰結するのだ。
そして、神はどんな責任も取れるし、神に失敗はない。
会社でも、社員の失敗は社長の責任であり、本物の社長はどんな責任でも取るし、取れる。
ましてや、神が我々の責任を取ることなど、いとも容易い。
私が何を言い、何をしたとしても、神は責任を取ってくれる。任せさえすれば。
過去に、自分が行為者だと思ってやったことも、本当は神の行為なのであり、それに気付けば、神は責任を取ってくれる。
このことを理解したければ、『バガヴァッド・ギーター』を読むと良い。
聖書よりずっと理解しやすいと思う。
この中で、神クリシュナが真理を教える相手であるアルジュナ王子は、我々同様、無明(無知)であり、了見も狭かったが、それでも、やがて理解する。
あなたは、罪悪感に苦しむことも、後悔に悶える必要もない。
私の経験では、念仏を唱えると、『バガヴァッド・ギータ』も、実にスムーズに理解できる。
なぜなら、阿弥陀如来や釈迦の教えは、多少の表現の違いはあっても『バガヴァッド・ギーター』と同じであり、神クリシュナと阿弥陀如来は同じものであると思われるからだ。
あなたは苦しむべきでなく、心から人生を楽しむべきである。
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ポール・マッカートニーの『Let It Be』では、そんな時、聖母マリアが現れて「Let It Be(あるがままに)」と言われて救われたらしいが、私には無理らしい。そもそも、意味が分からない。
だが、今日の午後、光明が射してきた。
私が何を言ったにしろ、それは私が言ったのではない。
神に言わされたのだ。
私が何をやったにしろ、それは私がやってのではない。
神にさせられたのだ。
ならば、全ての責任は神にある。
神に責任を取ってもらえば良いのではないか?
「そんなアホな」と言う人がいるかもしれない。
「では、銀行強盗をしても、それは神にさせられたのだから、責任は神にあるのか?」
と言われるなら、「その通り」である。
鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった人がいるかもしれない。
しかし、親鸞ならこう言うかもしれない。
「じゃ、あんた、銀行強盗やってきなさい」
できるものか。
銀行強盗をやる運命でなければ、そんなことはできない。
逆に言えば、銀行強盗をやる運命であれば、それをすることは「決して」避けられない。
ちょっと話を変えて説明したい。
夏目志郎さんという、偉大なセールスマンがいた。
SMIという、アメリカの大きな自己啓発プログラムの販売会社で、6年連続世界一の成績を記録している。
私は、SMIの販売会社の社長と付き合いがあり、新人部門で世界一になった人をよく知っていた。そして、私も完全歩合制セールスで苦労したことがあるので、SMIでの世界一がどれほど凄いかは少しは分かると思う。
夏目さんは元々は中国人で(後に日本に帰化した)、戦後、大金と超高級車と共に日本にやってきた。
急速な発展の予感のある日本での成功という野望を持った若いビジネスマンだった。
しかし、夏目さんは大失敗し、膨大な借金を背負い込んでしまった。
失意の中、夏目さんは、キリスト教会のボランティアに参加し、布教の手伝いをした。その時に学んだ、教会への誠実な勧誘方法が、夏目さんの、後のセールスの基盤となったようだ。
心の平安を回復しかけた夏目さんだったが、自動車事故で脚を折ってしまう。
成功どころか、まさに踏んだり蹴ったりである。
しかし、聖書をかなり学んでいた夏目さんは、神に対し、こんな祈りをしたそうだ。
これまでの自分の人生の失敗は私の責任である。
しかし、これらからのことは、あなたに責任を取ってもらいたい。
夏目さん35歳。頭も薄くなりかけていた(後にツルツルになった)。
だが、それから、夏目さんの人生は急展開、急上昇し、トップセールスマンとなり、偉大な指導者になっていったのだ。
失敗続きの人生というのは、自分が行動していると思っている人生だ。
そのようであれば必ず失敗するし、当然、失敗の責任は、行為者である自分に帰する。
だが、全て神にまかせてしまえば、自分は何もしておらず、全ては神の行為だ。
当然、全ての責任は神に帰結するのだ。
そして、神はどんな責任も取れるし、神に失敗はない。
会社でも、社員の失敗は社長の責任であり、本物の社長はどんな責任でも取るし、取れる。
ましてや、神が我々の責任を取ることなど、いとも容易い。
私が何を言い、何をしたとしても、神は責任を取ってくれる。任せさえすれば。
過去に、自分が行為者だと思ってやったことも、本当は神の行為なのであり、それに気付けば、神は責任を取ってくれる。
このことを理解したければ、『バガヴァッド・ギーター』を読むと良い。
聖書よりずっと理解しやすいと思う。
この中で、神クリシュナが真理を教える相手であるアルジュナ王子は、我々同様、無明(無知)であり、了見も狭かったが、それでも、やがて理解する。
あなたは、罪悪感に苦しむことも、後悔に悶える必要もない。
私の経験では、念仏を唱えると、『バガヴァッド・ギータ』も、実にスムーズに理解できる。
なぜなら、阿弥陀如来や釈迦の教えは、多少の表現の違いはあっても『バガヴァッド・ギーター』と同じであり、神クリシュナと阿弥陀如来は同じものであると思われるからだ。
あなたは苦しむべきでなく、心から人生を楽しむべきである。
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念仏のことを知ってから、スーッと内容が理解出来るようになったと実感します。