災難は忘れた頃にやってくると言う。
災難のない人生なんてない。
どれほど、あらゆる悪いことに備えていたって、備えのない部分に目印でもあるかのように、そこを襲われる。
不死身の英雄アキレスだって、唯一の弱点である踵に矢が当たって死ぬのだ。
ましてや、普通の人間は、身体も心も弱点だらけだ。たかが人間の浅知恵で防備を固めたところで、たかが知れている。
「隙あり」ではなく、「隙だらけ」なのである。
どんなに仲の良い夫婦がいたって、なぜか夫の好みのタイプの女性が身近に関わって彼が浮気し、それまでが良かった夫婦ほど凄惨な争いになったりすることが多いものだ。
子供の教育に万全を尽くし、心身両面に贅沢に栄養を与え、一生安泰で幸福に過ごせるようにあらゆることをした子供は、表向きにろくでなしになる場合はまだ良い方で、実際に親の望むような地位や人間性を持つに至ったように見えても、その裏側、心の奥に深い闇を作ってしまっているのだ。

私はゲームというものを全くしないのだが、ゲームには、人生ゲーム、学園生活ゲーム、恋愛ゲーム、戦争ゲーム、スポーツゲームといったものがあるとして、もし、悪いことが何も起こらないとしたら、なんともつまらないゲームになるだろう。人生ゲームで、儲かる一方、計画は成功する一方では、すぐに飽きてしまうし、こんなゲームを買う者はいない。
ただ、ゲームが流行る理由の1つに、実人生に起伏が少ないので、せめてゲームの中で波乱や冒険を体験しようとか、現実の恋愛がまるでうまくいかないので、好みのタイプの異性と結ばれる可能性の高いゲームで、それを満たそうとするのかもしれない。ゲームの製作者も、そのようなユーザーをターゲットにしてゲームを開発するのだろう。
ゲームというものは、現実世界よりも勝率が高かったり、因果関係が極端に単純で結果を予想しやすいのだろう。
しかし、現実の人生は、人間が作ったゲームに比べ、刺激という点では劣るように見えるかもしれないが、はるかに多くのイベント(出来事)や可能性に満ちている。
そして、良いこと、悪いことを含め、予期しなかった事が起こるのを歓迎すれば、やがて、我々は人生というゲームの傍観者であると分かるようになる。

とはいえ、やはり、現実というものは、ゲームなどと比べ、はるかに意地悪と感じることだろう。
それはそうだ。我々は、現実に対する支配力が弱いからだ。ゲームなら、ちょっとテクニックを覚えれば、どんな美少女も俺のものだが、現実では手も足もでない。
しかし、現実で通用するテクニックを身につければ、うまくいくのだと考える者は多いし、そのテクニックを教えようなんて者も沢山いる。
だが、ここが要点なのだが、本当は、我々の現実をコントロールする力は全くゼロなのである。
悪い出来事は不意に起こる。
そして、それを無事切り抜けた時、冷静に振り返ると、それができたのは、自分にとってはただの偶然である。努力や奮闘をしようがしまいが、勝つ時は勝ち、負ける時は負ける。
そして、悪い出来事の半分は、好ましい結末にならない。
まずい結果に終った場合も、うまくいった時と同様の精神状態を持てれば、あなたにもう悪いことは起こらない。
うまくいって喜んでも、過ぎてしまえばすぐに忘れ、悪い結果だとしても、通り過ぎた鳥が鏡に映らないように、心に何の痕跡も残さないようなら、あなたが傷付くことは決してない。
そうすることによって、あなたは宇宙の所有者に近付くのである。
「諦めた時に願いが叶う」ということがあるが、本当はそうではないのだけれど、確かにそんな感じがするものだ。
ただ、悪いことが起こった方が、後の報いも大きいような気はするのである。それで、むしろ、悪いことが起こる方が嬉しいように思えることもあるのである。絶世の美女を得る前なんてのは、最悪は避けられないものである。









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