法然上人は、ただひたすら念仏をせよと教えたが、道元は、ただ座れ・・・つまり、ひたすら座禅をしろと教えた。
道元は、『正法眼蔵』という名著を書いてはいるが、これはあくまで僧侶のためのものかもしれない。道元自身は専ら座禅を薦めたのである。

ところが、日航の社長や日銀の副総裁などを歴任した実業家の柳田誠二郎氏は、学生時代、熱心に座禅をやったところ、かえって身体も心も病んでしまい、命も危ない状態になった。彼は、良い先生(名僧と言われる禅僧)に教わっていたはずであったが、そんなことになってしまったのだ。ただ、座禅が悪いのではなく、柳田氏側に問題があったのだろう。
柳田氏は、友人に薦められて、岡田虎二郎が主催する、岡田式静坐法の道場に行き、30分ほど座ったら世界が変わったという。
柳田氏が、座禅の時と同じように、胸を張って座ったら、岡田虎二郎は、柳田氏の襟首をつかみ、ぐっと押し下げたという。その姿勢のまま座っていたのだ。
柳田氏は、静坐も座禅も同じであると言う。
いずれも、胸を張って座ってはならない。
しかし、いずれにしても、座禅も静坐も、我流でやってはならず、良い先生に直接教わる必要があると思われる。

座禅や静坐は、健康法という面もある。
実際、柳田氏は、ひどく健康を害していたはずが、岡田式静坐法でみるみる回復し、百歳で亡くなるまで静坐を続け、健康であったようだ。
また、座禅も静坐も、悟りを開くための行である。
だが、岡田虎二郎は、静坐は、修行ではないと言う。つまり、念仏と同じく、絶対他力であり、自己の力で悟りを開くのではなく、神仏であるか宇宙エネルギーのようなものであるかは分からないが、何かの力を借りる易行である。
岡田虎二郎は、努力、忍耐、克己の必要、全くなしと断言している。

つまり、静坐も念仏も同じであるのだと思う。
実際、岡田虎二郎は、法然を賞賛し、親鸞についても、「法然は良い弟子を持った」と述べていたようだ。

静坐は、現世の恵みも多大と、虎二郎は言うが、一方、念仏は、葬式用と誤解されている。
しかし、法然も親鸞も、念仏の現世利益の効果を決して否定していないばかりか、その利益は想像もできないほどの大きなスケールであることを述べている。
法然は、そのことを、『選択本願念仏集』で完璧に堂々と説き、親鸞も、15首の歌から成る『現世利益和讃』で、念仏の桁外れの効用を説いた。
岡田虎二郎の静坐も、これによって難病を治したり、健康を向上させた人は多いが、その他にもこんなことがあった。
岡田式静坐法では、腹を重視する。
ある男が、自分は金に窮していると言うと、虎二郎は、「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」と応えたと言う。
静坐がそうであるなら、念仏も同じであろう。ただ、念仏で金を求めるのではなく、そんなことは仏様に任せてしまうのだ。そうすれば、悪いことになるはずがない。









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