辛いことや嫌なことばかりが起こるように感じることもあるかもしれない。私もいつもそう思っていた。
しかし、それも人生だ。
映画『タイタニック』で、ジャックは富豪達にこう言った。
「朝、目が覚めると、未知の1日が始まる。どんなカードが配られても、それも人生」
ジャックを貧民と知っている上流階級の人達も、おそらくはジャックの強さに敬服し、人生を祝福して乾杯した。

同じような話が、「20世紀最大の詩人」と言われた、アイルランドの詩人・劇作家W.B.イェイツの戯曲『カルヴァリー』にある。
イエスに対し、ローマ兵士達が言う。
「お前の神は我々の神ではない。サイコロが我々の神だ。予想できないことでさえあれば、起こることが最善だ」
イエスは、彼らの強さに敬服した。
(ただ、この戯曲は、人々のイエスに対する幻想を打ち壊す役割があったので、このような表現になったのだと思う)

CLAMPの漫画『カードキャプターさくら』で、エリオルが言う。
「スピネル、この世で一番楽しいことは何か知っているかね?」
「何ですか?エリオル」
「予想しないことが起こることさ」
ここに、エリオルの強さが示されているように思うのだ。

嫌なことが起こったり、自分が不幸だと思うのは、まだ、人生を自分の思うようにしようとする傲慢さがあるからだ。
人間には、人生や世界をコントロールする力など全くない。
しかし、全て神に任せ切ってしまえば、あらゆる変化に対応でき、運命を楽しんでいける。
苦しいと思えば、ジャックのように、「これも人生」と思えば良いが、もっと良いのは、信じてもらえるかどかは分からないが、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることだ。
阿弥陀如来は、無限のエネルギーと創造の力を持つ、何らかの精神だ。人間に理解できるものではないので、古代の聖賢達は、それを仏の姿に喩えた。ただし、絶対的な実在である。
その精神は、人が自分に意識を向ければ、人と自分との間に創造的エネルギーを交流させ、調和させると決めたのだ。それを、人間に理解できる言葉では、救いと言うのだ。
そのことを経典の作者は、「私の名を呼べば、必ず救う」というのが阿弥陀如来の誓願であると言ったのであり、そして、それは、真理である。
そして、人が阿弥陀如来に意識のフォーカスを合わせる最も良い方法は、その名を呼ぶことであると解明したのが、中国の善導のような高僧達であり、法然や親鸞がそれを学んで、我が国の人々に教えたのである。
「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば、光と調和するのであり、そうであれば、いかなる悪いことも消え、良いことに変わってしまう。
法然は、寝る前に、10回でも良いから念仏を唱えよと言った。それで全てが変わるだろう。









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