聖母マリアが現代人の前に現れた話としてよく知られているのは、フランスのルルド(1858年)、ポルトガルのファティマ(1917年)、クロアチアのメジュゴルユエ(1981年)などでのものがある。尚、クロアチアの独立は1991年なので、当時は、ユーゴスラビアのクロアチア地方ということになる。
ファティマやクロアチアでは、聖母マリアはよく語った。
しかし、ルルドではそうではない。ルルドでマリアが発した言葉は、たった1つだった。
ルルドでマリアを見たのは、ベルナデッタという名の14歳の少女であり、ベルナデッタはルルドの洞窟の前に現れるマリアに祈りを捧げたが、誰にもマリアの姿は見えなかった。それでも、そのベルナデッタの敬虔な姿に感動して、マリアがそこにいることを信じた人も少しはいたが、多くの人々はそうではなく、ベルナデッタは非難され、彼女は辛い立場になる。
それで、ベルナデッタは、マリアに、「あなたの名前を教えて下さい」と頼んだ時、マリアが「ケ、ソイラ、インマクラダカウンセプシウ」と言ったのが、初めてで最後の言葉だった。
ベルナデッタはその意味が分からなかったが、言葉を覚え、司祭のところに駆け込み、「ケ、ソイラ、インマクラダカウンセプシウ」と言ったので、その司祭は信じた。それは、無学なベルナデッタが知るはずもない言葉だったからで、それは、「私は無原罪の宿りです」という意味であった。これは、聖母マリアの別名である。

ところで、私は、ベルギーで起こった聖母マリアの出現が最も感慨が深いのである。
それは、ボーレングという村で、数人の少年少女達に、1932年11月29日から翌1933年の1月3日まで33回起こった。マリアは沈黙を続け、何も語らなかった。
少年の1人が、「あなたは無原罪の乙女ですか?」と尋ねた時、マリアは無言で頷いたという。
そして、言葉を求めると、いつもただ一言、「よい子でいなさい」とだけ言ったという。
そして、この出現が終ってから10日後の1月15日、ボーレングから80kmほど離れたバンネという美しい村で12歳の少女マリエッタの前に2度現れた。
マリアはそれぞれ、「私は貧しい人々の乙女」「病人をなぐさめるために来た」とマリエッタに言った。

ボーレングで、マリアが少年少女達に言った「よい子」とは、どんな意味なのだろう?
道徳的な人であるという意味であろうか?
マリアは、「いつも祈りなさい」とも言ったようだ。すると、「よい子」とは、「いつも祈る子」ではないだろうか?
そして、私は、マリアがマリエッタに言った、「私は貧しい人々の乙女」「病人をなぐさめるために来た」という言葉における、「貧しい」「病人」の意味が重要と思うのである。
これは単に、経済的に貧しいとか、身体が病んでいるという意味ではないと思う。「心が貧しい」「心が病んでいる」という意味に捉えれば、これは、我々全ての者のことである。つまり、煩悩にまみれた凡夫のことである。
浄土三部経において、釈迦は、ただ、阿弥陀仏の名を呼べと言い、そこから、「南無阿弥陀仏」という念仏が起こった。
マリアの言う「祈りなさい」も、「アヴェ・マリア」を唱えることであると言って良いと思う。
グノー、シューベルトなど、多くの大音楽家達が作曲した『アヴェ・マリア』という聖歌があるが、これは、「アヴェ・マリア」の言葉で始まる。
アヴェ・マリアの意味は、「こんにちはマリア」とか「おめでとうマリア」であると言われるが、それよりも、マリアに対する崇敬や、マリアを讃える心を表したものと言って良いと思う。
「心の貧しさ」「心の病」を逃れることのできない凡夫は、ただ、「アヴェ・マリア」の祈り言葉にすがるしかないのだと思う。
マリアの教えも釈迦の教えも同じものであると思うのである。









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