神仏が現世利益をもたらすかと言うと、確実にそうであるということは、おそらく誰でも経験的に分かると思う。
不誠実で自己中心的な者が少しの間良い思いをすることはあっても、それが長続きすることは決してなく、必ず天罰としか言えないような報いを受けている。
逆に、向上心を持って愚直に努力したり、陰日なたの無い行いをする者は、初めのうちこそ、軽んじられたり、損な役回りになって悔しい思いもするが、やがては、それなりに報いられることは、絶対的に間違いがない。
だが、本人は良いと思ってやっていても、残念なことに、その者の了見が狭く、大きな目で見れば、調和を乱し、誰かを苦しめたりしていれば、原因不明の体調の悪化に苦しんだり、事故に遭ったり、不運で怪我をしたり、あるいは、家族や恋人とのトラブルが起こったりするのである。
そのような様子を、静かで公平な目で見るなら、この世に神仏は必ずおり、一切は神仏が動かしているということは、疑いようがないのである。
野球の王貞治さんが駆け出しの頃、彼を指導した人が、「これほど努力する青年が成功しないなら、この世に神も仏もない」と言ったという話を見たことがあるが、王さんほどではなくても、愚直な努力が報われなかったという話など1つもない。

とはいえ、王さんのように、目標に向かって真摯に努力ができる者もいれば、そうではない者もいる。
また、誰しも、卑しい意地悪な人間になりたい訳ではないはずだが、どうしても、弱い者いじめをしたり、不誠実なことをしてしまう性向を持った者もいる。
いや、こういった人達の方が実際ははるかに多いに違いない。
そして、こんな人達は、自分の力でも、あるいは、いかなる素晴らしい教育者の手によっても、決して性根が治ったり、改心して良い人になったり、猛省して努力家になったりなどしない。
誰にもそんな力はない。そんなことができるのは神仏だけである。

洗礼のヨハネは、「悔い改めよ」と言ったが、それを聞いて悔い改めた人は、おそらく、1人もいなかったのだ。
それで、イエスは偉大な奇跡を行って見せたが、彼の高弟である12使徒達さえ、心を変えることができず、イエスは嘆いたのだ。
日蓮もまた、悔い改めを説き、法華経に従って生きることを教えたが、誰もそんなことはできなかったのは明らかなように思う。
だが、阿弥陀如来だけは、世の大部分の人がそうであることを見抜き、ただ自分の名を呼べば救ってやろうと約束した。そして、人類を救えるのは阿弥陀の教えだけだという釈迦の言葉を、自らを省みても、「それしかない」と否応なく受け入れ、法然や親鸞は、ただ、阿弥陀仏の名を呼ぶ、「南無阿弥陀仏」の念仏を行うことだけを教えたのである。

最初に述べた、必ず天罰を受けるような行いをしていたとしても、念仏を唱えれば、天罰を免れ、恵みを得られるのだが、ほとんどの人は念仏を唱えようとは思わない。
ただ、悪辣な行いをせずにいられない自分の穢れた心を素直に見ることができれば、もう念仏以外に救われる道はないということがはっきり分かる。

『レイアース』という、ちょっと名作のアニメ作品がある。
異世界の魔法使い達が地球を侵略に来るのだが、地球上には、3人の女子中学生達だけが残され、彼女達は、軍隊でも太刀打ちできないような相手を敵に回して戦うことになってしまう。
この3人の少女達は、自分は良い人間でありたいと思っていた。それで、たとえ苦しい思いをしても、そうであるよう考え、行動してきた。
そして、戦いが始まっても、彼女達は、自分の正義を貫こうとする。しかし、そんな彼女達に、地球の魔神達は手を貸さない。
しかし、少女達が、自分の想う善や正義は、自己中心的で、自分を慰めるだけのものでしかなかったことに気付き、自分の心を素直に見つめ、その心を魔神達に晒した時に、魔神達は少女達と一体化し、自分達の全てを少女達に与え切る。
念仏も全く同じと思う。虚栄心を捨て、自分が浅ましい凡夫であると理解し、自分には他に何もできないことを悟って、阿弥陀如来に一切を任せた時に、既に救われていることを知るのである。









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