今月末で、私が1日1食の菜食主義者になってから5年が経つことになる。
私の食事の内容は、拒食症と勘違いされるかもしれない。
現在は、食事は朝だけで、食べるのは、ナッツ(アーモンド、クルミ、松の実)と素朴なビスケット、それにドライアンズの実を2つだ。
だが、私は全く拒食症ではなく、いつも空腹だし、食欲は大いにある。
できることなら、昼に、大好きなパスタやオムライスやラーメンなどを大いに食べたいと思うし、食べようと思えば美味しく食べられる。
肉や魚を長く食べなければ、そのようなものは全く食べたくならないという人もいるが、私はそんなことは全くない。今でも、焼肉もステーキも大好きである。しかし、確かに5年間食べていないし、今後も食べないだろう。

さて、拒食症というのは、その反対の過食症と共に、摂食障害の1つである。
拒食症というのは、無理なダイエットから始まることが多いと聞くが、それで言えば、私も、5年前に無理なダイエットを始めたように見えるかもしれない。
だが、私は拒食症になりそうな気配は全く無かった。
拒食症になるのは、次のような人ではないかと思うのだ。

拒食症になる人は、太ることへの嫌悪感や罪悪感、そして、恐怖感を持っているのだと思う。
それは、痩せて美しくありたい、痩せることで愛されたいと強く願っているのだが、逆に、太ったら、自分は醜いし、誰にも愛されないと思っているのだろう。
そして、美しく痩せた自己イメージを愛し、それに合致しない自分がどうしても許せず、憎むのである。
しかし、元を正せば、やはり、痩せて美しくなり、愛され、もてて、良い思いをしたいという欲望があるのではないかと思うのだ。

だが、私はそのようでは全くなかった。
痩せて美しい身体になりたいとは思ったが、その思いはさして強くはなかった。
まして、痩せてモテようとか、自慢しようと思ってもいなかった。まあ、全くないということもなかったのだろうが、ほとんど考えなかったのだ。
水野南北が、食を慎めば幸運に恵まれると言ったのは知っているが、実を言うと、水野南北を知ったのは、1日1食になって少し後のことだった。だから、別に幸運を得るためというのでもなかった。
では、何のためかというと、どうもはっきりしないのだが、仙人にでもなろうと思ったのだろう。
食を断つことで、神秘的な力を得た者の話はいくらか知っていたので、食を極端に少なくすれば、何か不思議なことが起こると思ったのだろう。
そして、魔法の力と引き換えに、空腹の辛さに耐えることは、何か、苦しい楽しさみたいなものがあったように思うのだ。
だが、それとて、仙人になってやろうという欲望ではなく、ある種のロマンであり、遊んでいたようなものだったと思う。
つまり、私は、欲望の成就のために食を慎んだのではないということだ。
「仙人になるという目標が出来て楽しいな」といったようなものだったのだ。
そして、空腹に耐える自分がちょっと好きだというくらいだった。
これで参考になるだろうか?

もう何度も言うし、これはしっかりと理解していただきたいのだが、私は、極端な少食を薦めたことなどは絶対に一度も無いのだ。
無理に1日1食みたいなことはしないで欲しいとも思う。
肉や魚も、適度になら食べれば良いと思う。
優れた聖者の中にも、肉食をする者もいるのだ。
例えば、ニサルガダッタ・マハラジは普段から、少量とはいえ肉食だった。
マード・マクドナルド・ベインは、チキンや卵が大好きで、ヤク(牛とほぼ同じと思う)の肉も好んで食べたが、世界中を渡り歩く彼には、食事を選んでいられない事情もあったし、特にチベットでは、ヤクを食べなければ、他に食べるものがなかったのだ。
私は、自分で獣を殺すなら、大いに肉食をしても良いと思っている。殺すまででなくても、原形から解体するならそれでも良い。
しかし、私は、ニワトリ一羽殺せないし、まして、牛や豚を殺すのは、精神的にも全く無理で、解体すらできないだろう。だから、食べないことにしているのである。それに、今は、他の食べ物がいくらでも手に入る。しかし、肉しかないのであれば、食べるのではないかと思うのだ。
私は、菜食主義者になっても、初めの頃は、会食の際に出されれば魚なら美味しく食べていた。
そして、会食の席では、かなりの量を食べることもあったし、それは楽しかったのである。
だが、今は、本当に一緒に食事をしたい相手としか会食をしないのである。そして、会食をするなら、肉は食べないが、魚なら食べるだろう。そもそも、魚を食べることは良いことであるとすら思っているのだ。

食事というには、可能な限り同じ時間にして、満腹するまで食べて自分を甘やかさなければ、それで十分であると思う。
ただ、本気で仙人を目指す志でもあるのなら、断食や厳しい食の慎みも止めはしない。しかし、その際には、死も覚悟して欲しいと思う。
私は今年は一月近い断食もしたが、実際、死んでも良いと思ってやっていたのである。
そうでないなら、無理はしないことだ。神だって、あなたが楽しく食事をすることを喜ばれると思うのである。
参考程度に、私が普段食べているものを下にご紹介しておく。実に安くて美味しく、また、品質も良くて、気に入っている。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ