二宮尊徳とも言われる二宮金次郎は、老子や荘子の無為自然の思想を否定する。
「畑を無為自然に放っておいたらどうなる?雑草が生え放題で荒れ果てるだろう?家を手入れせずに無為に放置すればどうなる?どんどん壊れていって、あばら家になるんじゃないかね?」

だがね、尊徳さん。
畑を荒れさせたくなくても、荒れてしまうこともある。
逆に、荒れさせようと思ったところで、荒れさせることも出来ないものだ。
どんな人に、どれほど、家の手入れをしろと言われても、出来ない者はいる。
逆に、何も言われなくても、年がら年中、小まめに手入れをせずにいられない者もいる。
人は、自分の思うように整えることも荒れさせることも出来ないのだ。

私など、真面目に野良仕事をするくらいなら家出するだろうし、それも叶わないなら、餓死したっていいくらいだ。
家を荒らしたくはないが、私には、真面目に手入れし、整理整頓をするなんてことは絶対に出来ないのだ。
サミュエル・ベケットという、ノーベル賞も取った作家は、1日中ベッドで過ごしても平気だったが、ノーベル賞の授賞式には面倒だからって行かなかったのだ。
私は、自分に、ノーベル賞を取るような才能がなくて良かったと本当に思っている。
私は本当に怠け者だ。だが、それで失敗したり、人に迷惑をかけても、罪悪感だけは感じないようにしたい。
なぜなら、自分の意志で勤勉になったり、怠惰になれたりするのではないからだ。

荒れさせることが無為自然なら、整えることも無為自然なのだ。
全ては、運命の定めた通りにしかならず、人がそれを変えるなんてことは出来ない。
では、荒れ果てる運命であるなら不幸なのかというと、そうではない。
アンドリュー・ルーミスという、素晴らしいアメリカのイラストレーターがいた。1959年に亡くなっているのに、いまだ彼が書いた描画法のテキストは有名で、彼の親族が2004年に、それら全てを絶版にして再出版の意思がないことを示しても、世界中から再販の要求があり、ついに、2011年から復刻版が順次、出版されるようになった。
そのテキストの中に、こんなことが書かれていたのを覚えている。
「貧しく育った画家が豪華な部屋を描くことはできない。でも、彼はあばら家を実に美しく描くんだ」

人生がどうなるか、自分がどんな家に住み、どんな成果を上げるかなんて分からないし、自分の思うようになど決してならない。
でも、あばら家だって美しいのだ。豪華な家に住んでいながら不幸な者もいれば、あばら家に住んでいても幸福な者だっている。
人生を自分の好きなように出来ると思う傲慢さが、あらゆる不幸の原因なのだ。
では、我々はどうすればいいかというと、神様に全部任せ切ってしまうことだ。
神様を信頼することだ。いや、神様を疑わないことだ。
羊飼いは反抗的な羊の世話もするように、神様の思し召しを受け入れない人間だって、神様は面倒を見る。
ただし、聖書の詩篇23にあるように、鞭と杖を使ってね。
別に痛い目に遭わなくたって、素直に神様に面倒を見てもらえば、楽で良いのだけれど、なかなかそうはいかないのだ。間違った欲望のために、過ぎたものを求めたり、神様を疑って心配ばかりするからだ。

しかし、実際は、神様を疑わないことも難しい。
人間には心があり、心とは疑うものだからだ。
だが、「我は誰か?」と、自分に静かに問い続ければ、心が死んだように静かになる時が来る。
その時、神様は、「億万長者にしてあげましょうか?」と尋ねるが、私はこう答える。
「それがあなたの思し召しならそうなるように。でも、出来れば避けさせて下さい」
そう答えれば、我々のような凡人なら、かなり豊かにしてくれるのである。まあ、聖人にはなれないかもしれないがね。

落としたのは金の斧でしたと言ったら、神様は金の斧をくれるかもしれない。少なくとも、そんな小さなことで怒ったりはされない。
しかし、金の斧を持って幸福になれる者もいれば、鉄の斧を持っていれば幸福なのに、金の斧を得たばかりに大きな不幸に見舞われる者もいるのだ。
スーフィー(イスラム教神秘主義)に、こんな言葉がある。
「神様を信頼しろ。だが、驢馬はちゃんとつないでおけ」
驢馬をつなぐのは、神様を疑っているからじゃあない。
うまい酒を飲むためだ。つながなくてもいいなら、酒だって不味いに違いない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ