40年以上にも亘って歌い継がれているアニメソング『キューティーハニー』は、「この頃はやりの女の子、お尻の小さな女の子」から始まる。
いつの時代もスリムな女性には一定の憧れがあるものだが、ある時期からその傾向が度を越えていたと思われる。それが40年程前なのかもしれない。
ところが、おかしなことに、『キューティーハニー』の原作者である、巨匠・永井豪さんの描く女の子達のお尻は決して小さくない。むしろ、お尻だけでなく、一般的に細い方が良いと言われる脚も共に、「立派」で逞しい感じの美少女が永井流と思うのである。
そして、やはり40年くらいも前からかもしれないが、特に少女漫画や女の子向けアニメで、極端にお尻や脚が細い女の子が描かれることがよくあるのだが、かなりスリムなタイプが好みの私でさえ、子供の頃からそれらの、下半身が「か細い」女の子の絵を、あまり美的に感じなかった。

初音ミクの映像を見ても、ミクは十分にスリムなのであるが、決して脚が物凄く細いわけではなく、むしろ、しっかりとした太さのある逞しい脚をしている。そうでないと、バランスが悪く感じるに違いないのだ。巡音ルカは、ミクよりずっと脚が長いので、その分すらりとして見えるが、やっぱり逞しい脚をしていると思う。
まして、「この頃はやり」のアイドル達は、若くても体形を保つために努力しているらしいが、それでも、やはり下半身が逞しく、がっしりしているのである。むしろ、街で、もっともっと、本当に細い腰や脚をした女性を見かけることがよくある。

下半身の逞しい女の子でなければ、アイドルになど決してなれない。
人間は「頭寒足熱」でなければならないというのは、生命エネルギーの源は肚(腹)や腰や太腿あたりにあるからで、そこが貧弱では生命力が強くない。
アイドルなんて、肉体も精神も極めて強靭でなければやってられるものではない。可愛い、美人、性格が良いというのは大切なことであっても、アイドルにとっては2番目以降であって、まずはエネルギーである。
そして、エネルギーがあれば魅力的にもなるのである。アイドルだって、必ずしも美人ばかりではない。無論、総合的にはきれいな子が多いのだが、中には、普通以下なんじゃないかと思われるような人もいる。しかし、それでアイドルになった子は、特に人気が出る。極めて強い生命力があるので、目には見えなくても、ファンはその輝きを感じて惹き込まれるのだ。

肚を中心に渦巻く生命エネルギーは、いくら栄養のあるものを食べても増える訳ではなく、活用することもできない。
必要なことは、先ほども述べた「頭寒足熱」ということで、これは物理的な温度のことばかりでなく、あまり頭で考えず、腹に任せるという態度が大切だということだ。
感情的な煩いごとは特に悪く、何事も気にしない、さっぱりした性格であることが、アイドルのオーディションなどでも重視されているに違いない。
また、修養を通じて、心を静かに出来る者は、生命力が高い。
人気アイドルにも、剣道の有段者であったり、書道をやらせたら師範並といった、隠れた特技のある人が多いものである。
若いうちは、目立ち、喝采を浴びることで自己の存在意義を確かめたがる傾向が強いのは仕方がないが、私としては、アイドルになれるほどの人達は、もっと良い道に進んで欲しいというのが、正直な願いだ。そして、金や栄誉は獲られなくても、もっともっと素晴らしい世界があるのである。

初音ミクが、もっと下半身がスリムに描かれていたり、もっと感情的なイメージを与えていたら、世界的に人気を得ることはなかっただろう。
ミニスカートから覗く太腿が案外に逞しく、また、あまり何も考えていない雰囲気が、心の静かさという最大の美点を表し、男も女も虜にするのだ。
我が国の国宝指定第一号(彫刻部門。昭和27年指定)である、京都広隆寺の弥勒菩薩像は、おそらく男性なのだろうが、その割には非常に華奢な身体つきで、特にウエストが細く、身長が160~170センチとすれば、せいぜいが70センチ程度だろう。それは、食を慎んでいる様子を表しているのだろう。ところが、腰から下となると、これが実に逞しいのである。
この弥勒菩薩像は、「半跏思惟像(はんかしいぞう)」と言われるように、また、海外からは、「東洋の詩人」と言われるように、深い思索に耽っている様子なのも確かだが、弥勒菩薩は慈悲の菩薩であり、何かあれば、その逞しい足腰ですぐに駆けつけるのである。

生命エネルギーが高いとは、下半身を通じ、宇宙から無限に引き出せる気(プラーナ)のエネルギーが全身や魂に行き渡った状態であるが、そのためには、物質的にも精神的にも足熱頭寒でなければならない。
そのためには、昨夜も述べた通り、理屈の頭を退けて心で神話を読むことが効果的である。
また、上に述べた広隆寺の弥勒菩薩像を、写真で良いからよく見て、そのイメージを浮かべながら、「南無弥勒仏」と唱えれば、たちまち、エネルギーに満ちてきて、何をやってもうまくいく。
私には、あの弥勒菩薩像が初音ミクそのものに感じるが、名前もまた、弥勒(369)とミク(39)と似ているのである。
さらには、弥勒菩薩は、「未来仏」と呼ばれ、遠い未来に地上に降り立つのだが、ミクは漢字では「未来」であり、初音ミクとは、「未来から来た初めての音」という意味でもある。
尚、弥勒菩薩が肉身で地上に現れるのは遠い未来だが、弥勒菩薩の生命体は、聖霊として我々の内に流れ入るのであり、呼べばいつでも答えてくれるのである。

世界的音楽家の冨田勲さんが初音ミクをソリストに採用して『イーハトーヴ交響曲』を制作、公演したことで、世界は滅びを免れたのであるが、この事実は未来に明らかにされるかもしれない。そして、今年の夏以降、いよいよ、『イーハトーヴ交響曲』の全国公演が始まる。日本から世界に力強い平和の波が流れていくだろう。我々は、無(6)になることで、弥勒(369)であるミク(39)と融合し、止揚して聖霊を現すのである。
冨田勲・初音ミク 無限大の旅路 ~イーハトーヴ交響曲~









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