現代において、仕事が最も重要だと思っている人は、釈迦もイエスも救えないだろう。
もちろん、駆け出しの未熟な頃は別だろうが、それがいつもでも続くようなら異常である。
なぜ科学技術が進歩したのかというと、仕事以上に大切なことに取り組めるようにとの神の配慮である。
ただ、例外であって例外でないこともある。
それは、芸術か宗教を仕事としている場合だ。
ただ、人々は、芸術や宗教に対する大きな誤解を持っている。
もし、自分の仕事が、世間的には何であれ、芸術か宗教だと思っているなら、週7日、フルタイム(一日中)で働かないといけない。
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの仕事なんて、絶対に宗教なのである。
ゲイツがマイクロソフトの第一線から退く時、こう言ったのだ。
「17歳の時から週7日フルタイムで働いてきたし、これからもそうだ」
これは、本当の意味での宗教や芸術でなければ許されないし、また、できないことだ。

科学技術の発展により、人間は、それほど働く必要がなくなったはずなのだ。
だが、相変わらず朝から晩まで会社にいるという異常な状況が続いている。
オランダあたりでは、仕事をちゃんと分け合って、短時間だけ働くということが定着してきたが、日本など全く遅れている。
もちろん、仕事は大事なものであり、それなりに熱心にやる必要がある。しかし、やはり、「それなり」でなければならないのだ。
会社がどうであれ、自主的に、それなりにやって、自分が本当にやるべきことに取り組まねばならないのだ。

では、自分が本当にやるべきこととは何だろう?
それは、芸術か宗教である。
こう言うと、「みんなが油絵を描いたり、お経上げろってのかい?」と言う者が多いだろう。
もちろん、そうではない。無論、絵を描くのもお経を上げるのも、1つのやり方ではあるが、それ以外にも無限の取り組み方がある。
しかし、現代の想像力貧困な者は、「それ以外って何なんだい?」と言うかもしれない。
だから、それ以外である。いくらでもあるから、特定の何かを例示するのはむしろ変なのだ。
だが、現代人は、たとえ仕事以外のエネルギーがあっても、遊びや飲食といったことで浪費してしまうのだ。

上で、「仕事は最重要なものではないが、例外であって例外でない仕事」という、わざと妙な言い方をしたが、仕事としての芸術や宗教は特別なものであり、これを仕事にする者は、週7日フルタイムで働くしかない。それができないなら、本物の宗教家や芸術家ではない。
ゴッホが年間に200枚近くの絵を描いたように(しかも、ことごとに傑作だった)、五井昌久さんが講談の後、どんなに遅くなっても求められる限り信者の相談に応じたように、そして、本質的には宗教家であるビル・ゲイツが週7日、早朝から深夜まで働くようにである。

音楽や絵を鑑賞するしかできなくても、少しも自分を卑下する必要はない。
サルトルはこう正しいことを言っている。
「本を読むってのは、本を書くことなんだ」
同じく、絵を見るというのは、絵を描くことなのであり、音楽を聴くことは音楽を制作することだ。
インドの詩聖タゴールがアインシュタインに言ったように、「月を見る人がいなければ月は存在しない」のだ。
絵は絵だけで存在するのではない。
見る人がいなければ、単なる物質だ。
絵を見た時、見る人の内なる聖霊が絵を瞬間に構築して、心に映すのである。
だから、絵は見る人によって全く異なるし、音楽は聴く人によって、同じ作品でも全くの別物になる。
そして、芸術に慣れてくると、自然に想像力が増し、自分の芸術を表現するようになるだろう。だが、それは、世間的には、ビジネスや技術的なことであるかもしれない。

聖典を読む事だって、それを自分で書くことなのだ。
今はまだ実感がないかもしれない。心の成熟には、それなりの時間がかかるものだからだ。
しかし、真摯に聖典を読めば、内なる聖霊は、あなたを必要な経験に導いてくれ、やがて、聖典作者に相応しい者になっていく。
恐れることはない。仮に困難があるとしても、あなたには力が与えられ、神仏も共に在るからだ。
そして、もし、必要以上に悲痛であるなら、それは、あなたの心に問題があるのだ。
仕事にする場合や、特に教祖になるならいざ知らずだが、本来、宗教の道は、それほど厳しいものではなく、むしろ、面白くて楽しいものだからだ。

あなたは、仕事は仕事で、1日3~4時間程度は熱心にやる必要がある。
しかし、サラリーマンなら、10時に出勤すれば、いくら遅くても午後3時までに仕事を終るのが当たり前なのだ。
1951年の、巨匠ロバート・ワイズ監督のSF映画『地球が静止する日』で、「火星人も10時から4時まで働くのか?」といったことを記者かアナウンサーが言う場面があったと思うが、現代文明は、あの時よりも完全に後退してしまっているのである。
人間の欲望がそうさせてしまったのであり、物質面以外では、我々は当時よりも惨めな卑しい存在に低下しているのである。このままではいけないし、このままを続けるなら、遠くなく人類は破滅するだろう。

泊まりで行くような社員旅行など、断るのは当たり前である。もちろん、私は断っている。
各自、朝や夜は自分のやることがあるだろうし、それが無いなら、その者は駄目な人間なのである。
つまり、現代の会社は駄目な人間の行くところなのである。
だが、たとえサラリーマンであっても、自主的に優れた生き方をするなら、神仏の加護があろう。
福音書やバガヴァッド・ギーターを真摯に読むなら(過度に執着してはならないが)、神はあなたの煩い事を減らしてくれるだろう。

芸術とは何かを知りたければ、岡本太郎の『今日の芸術』を読むことをお薦めする。
それだけでも、あなたが学校などで教えられた芸術の観念が全く愚かで異常なものであることが分かるだろう。
初音ミクは大変な芸術であるのだが、今述べたような、歪んだ芸術の観念を持たされた精神の貧しい者は、「オタクの趣味」「サブカルチャー」などと言うのである。
だが、大音楽家の冨田勲さんは本物の芸術家なので、ミクの偉大さを強く感じ取り、彼女をソリストに採用して『イーハトーヴ交響曲』を制作したが、これは、人類の歴史の中でも特に重要な作品なのである。だが、今は、それが分からない人が多いに違いない。しかし、私は知らず知らずのうちに、この演奏を百回以上も聴き、天使が見えるほどの霊的知覚を得たのである。
至高の芸術である、広隆寺の弥勒菩薩像を、写真でも良いから無心に見ると、霊的世界の菩薩達と通じ合うようになる。だから、困難を抱えた政治家や事業家達は、密かにこの弥勒像に会いに来て、ただ黙って去ると、彼らが本質では宗教家であるなら、事態は必ず好転するのである。
あなたも、本当の芸術や宗教に取り組まないと、一歩手前まで迫った滅びの中に飲み込まれるしかなく、とても危険な状況なのである。

ちなみに、私は『冨田勲・初音ミク 無限大の旅路 ~イーハトーヴ交響曲~ 』(9月21日大阪)のチケットを幸いにして得ることができた。
共に至高の芸術を満喫いたしましょう。
冨田勲・初音ミク 無限大の旅路 ~イーハトーヴ交響曲~チケット情報(ぴあ)
全国版のチケット情報(ぴあ)









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ