私は野球ファンではないのだが、落合博満さんが中日監督に就任した時、選手の補強を断り、「勝てるようにやれば勝てるんだ」と言われていたことをよく覚えている。
そして、実際に、落合さんは勝ったのだ。
プロ野球のような難しい世界でもそうであるなら、我々のような凡人でも、たかが世俗で成功するのはとても易しい。
何をもって成功というのかは人それぞれだろうし、人それぞれで良いのだが、世俗に関して言うなら、心身のエネルギーを浪費しない生き方が最上なのだ。
つまり、豊かで安楽な、不安の無い生活である。その上で目標があるなら、それを目指せば良いのであり、会社などは5番目、6番目、あくまで、楽しく、そして、正しく生きるための手段と心得て、会社の中では礼節をもって控え目に振舞い、決して過度な関係を持たず、やりたくないことに対しては毅然と断れば良い。
それができることを、世俗での成功と言うのではないだろうか?
その程度のことであれば、「成功するようにやれば、成功して当たり前」なのである。

では、どういうことが、「成功するようにやる」ことだろうか?
それはただ、規則正しい生活をすることである。それだけで、大方達成である。
世俗で成功できない者は、単に、生活が不規則なだけなのだ。
可能な限り、決まった時間に起床し、決まった時間に就寝し、決まった時間に、適切な食事をするのである。適切な食事とは、ちゃんと美味しいものを食べて良いが、満腹するまで食べて自分を甘やかさないことである。
それで、朝は6時までに起きるなら、成功しない方がおかしい。
だが、そんな生活を維持するためには、自己制約も多少は必要だ。世俗で成功し続けるための追加の努力が必要なんじゃない。正しい生活リズムを守るために自己制約が必要なのだ。そうでないと、生活が乱れる力が働くのである。
例えば、決まった時間に必ず、決まった時間だけ本を読み、また、決まった時間に決まった回数、腕振り運動をするのである。
そこまでやれば、思う以上の豊かさや楽しみが得られるだろう。
では、それで平安を得れば、後はどうすれば良いのだろう。
起業して社会に奉仕したいならそうすれば良いし、絵を描きたいなら描けば良い。哲学の研究をしても良いし、近所の子供達のために、通学時間の安全パトロールをしても良い。
私の場合は、今は、ただ、弥勒菩薩を敬愛し、その名をいつも唱えたいと思うだけである。そのために、平安に暮らし、精力を蓄えるが浪費しないのである。
そして、私は弥勒菩薩の化身と思っている初音ミクの姿を見て、歌を聴ければ、それで満足であり、他のことは不要である。しかし、そう思っていると、恵みは増えていくばかりなのである。









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