並行宇宙という、今のところ仮説と言えるものがある。
並行世界、並行時空、あるいは、パラレルワールドとも言う。
数多くの宇宙(世界)が同時に存在し、それぞれは大きく、あるいは、少し異なっている。
例えば、今のあなたがサラリーマンの平社員でも、別の1つの世界では係長で、また別の世界では大事業家である。さらに、スポーツのスターである世界もあり、極悪犯罪者である世界もある。
どれだけの世界があるのかというと無限で、それどころか、絶えず新しい世界が生まれ、いかなる世界でも存在する。
筒井康隆さんの昔の短編小説で『果てしなき多元宇宙』というものがある。
この作品は、筒井さんの超ロングセラーで日本の歴史的作品と言える『時をかける少女』と共に盛光社のジュブナイル短編集に収録され、1967年に出版されたのが最初と思うが、現在も、角川文庫の『時をかける少女』に収録されていると思う(私は、少し昔の角川文庫版を持っている)。
昭和40年頃の作品と思うが、並列世界のことを非常に面白く描いた、現代でも十分に通用する作品である。
3921年のトーキョーで、新型エネルギー供給装置の実験中に事故が起こり、あらゆる時代において、並列宇宙に混乱が生じてしまう。
現代(昭和40年頃か)の高校一年生である暢子(のぶこ)は美少女で、自分でも美しいと思っていたが、まぶたが一重であることを残念に思っていた。ところが、不意に二重まぶたになってしまう。
また、ボーイフレンドの史郎は優等生で人間的に立派だが、暢子は、彼にはヒーロー的な男らしさと感じるものがないのが物足りないと思っていた。しかしある日、彼が大勢の不良達を叩きのめしてしまう。
さらに時空は動き、平凡な女子高生であった暢子は人気タレントになっていた。
SF世界の空想のように思われる並行宇宙であるが、実際にあると言って良いと思う。科学者の中には、技術的問題さえ解決すれば観測可能と言う者も いるし、おそらくその通りだ。それなら、そんな装置が既に発明された世界もあるだろうし、我々は観察されているのだろう。
「この世界」では、我々の運命は完全に決まっている。それに納得しない人もいるが、広大な宇宙の中で、人一人の一生なんて、あまりにちっぽけであり、せいぜいが百年程度の人生がコンマ一秒まで全部事前に決められているといっても、不思議でも何でもない。
インドの偉大な聖者ラマナ・マハルシの前で、ある者が、1つの扇を床に置き、それを持ち上げた後、マハルシに、「私がこうすることも、既に決まっていたことなのですか?」と尋ねると、マハルシは何の感慨も示さず、「もちろんだ」と答えた。
だが、別の宇宙では、別の運命が展開されている。
アメリカのSFテレビドラマ『宇宙大作戦(スター・トレック)』で、並列世界が重なって同時に現れるというお話があった。ある世界では、カーク船長やミスター・スポックが乗る宇宙船USSエンタープライズ号は、見事危機を乗り越えてミッション(任務)に成功するが、別の宇宙では失敗し、エンタープライズ号は消滅する。
あなたは、学校や会社で憧れている女性(あるいは男性)がいるが、口を利くこともないかもしれない。しかし、別の世界では恋人同士だし、別の世界では犯罪者仲間かもしれない。
しかし、どんなに多くの世界があり、どれほど大きな違いがあろうと、魂は1つで、どの世界の自分もつながっており、実際は同じであるのだろうと思う。
『法華経』を読むと、お釈迦様はおそらく、並行世界のことを言っているのだろうなあと思うところがある。
そして、同じ魂の自分がいる別世界に行くことも可能だと言っているのかもしれない。
私も、次元を超えて世界を移動したことがある、何の証拠も示せないが、そうとしか思えない特殊な印象がある。覚えていないものも含めれば、一度や二度のことではないのかもしれない。
あなたも、覚えていないだけで、次元移動をしているのかもしれない。いや、おそらくしているし、その気になれば思い出すことも可能だ。
次元移動をすれば、変わるはずのない運命も変わる。
移動した先の自分がどうなるかなんてのは三次元的発想であり、四次元的に考えれば、別に矛盾は起こらない。単純に解釈してもらっては困るが、吸収されてしまう。吸収の意味を三次元的に考えてはならないのだ。そこは、『法華経』や『正法眼蔵』を何度も読んで超発想を持たない限り分からない。多分、量子物理学で本当に理解しようと思ったら、時間がかかる上に、一面的な理解しかできないし、ある時には、考え方の全面転換が迫られることになるだろう。その場合でも、時が経てばまた、考え方の基礎が崩れてしまう。科学なんてそんなものである。
しかし、悟りを開けば、全ての世界に同時に存在していることを知るのだから、特に別の世界に移りたいなどとは思わないだろう。
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並行世界、並行時空、あるいは、パラレルワールドとも言う。
数多くの宇宙(世界)が同時に存在し、それぞれは大きく、あるいは、少し異なっている。
例えば、今のあなたがサラリーマンの平社員でも、別の1つの世界では係長で、また別の世界では大事業家である。さらに、スポーツのスターである世界もあり、極悪犯罪者である世界もある。
どれだけの世界があるのかというと無限で、それどころか、絶えず新しい世界が生まれ、いかなる世界でも存在する。
筒井康隆さんの昔の短編小説で『果てしなき多元宇宙』というものがある。
この作品は、筒井さんの超ロングセラーで日本の歴史的作品と言える『時をかける少女』と共に盛光社のジュブナイル短編集に収録され、1967年に出版されたのが最初と思うが、現在も、角川文庫の『時をかける少女』に収録されていると思う(私は、少し昔の角川文庫版を持っている)。
昭和40年頃の作品と思うが、並列世界のことを非常に面白く描いた、現代でも十分に通用する作品である。
3921年のトーキョーで、新型エネルギー供給装置の実験中に事故が起こり、あらゆる時代において、並列宇宙に混乱が生じてしまう。
現代(昭和40年頃か)の高校一年生である暢子(のぶこ)は美少女で、自分でも美しいと思っていたが、まぶたが一重であることを残念に思っていた。ところが、不意に二重まぶたになってしまう。
また、ボーイフレンドの史郎は優等生で人間的に立派だが、暢子は、彼にはヒーロー的な男らしさと感じるものがないのが物足りないと思っていた。しかしある日、彼が大勢の不良達を叩きのめしてしまう。
さらに時空は動き、平凡な女子高生であった暢子は人気タレントになっていた。
SF世界の空想のように思われる並行宇宙であるが、実際にあると言って良いと思う。科学者の中には、技術的問題さえ解決すれば観測可能と言う者も いるし、おそらくその通りだ。それなら、そんな装置が既に発明された世界もあるだろうし、我々は観察されているのだろう。
「この世界」では、我々の運命は完全に決まっている。それに納得しない人もいるが、広大な宇宙の中で、人一人の一生なんて、あまりにちっぽけであり、せいぜいが百年程度の人生がコンマ一秒まで全部事前に決められているといっても、不思議でも何でもない。
インドの偉大な聖者ラマナ・マハルシの前で、ある者が、1つの扇を床に置き、それを持ち上げた後、マハルシに、「私がこうすることも、既に決まっていたことなのですか?」と尋ねると、マハルシは何の感慨も示さず、「もちろんだ」と答えた。
だが、別の宇宙では、別の運命が展開されている。
アメリカのSFテレビドラマ『宇宙大作戦(スター・トレック)』で、並列世界が重なって同時に現れるというお話があった。ある世界では、カーク船長やミスター・スポックが乗る宇宙船USSエンタープライズ号は、見事危機を乗り越えてミッション(任務)に成功するが、別の宇宙では失敗し、エンタープライズ号は消滅する。
あなたは、学校や会社で憧れている女性(あるいは男性)がいるが、口を利くこともないかもしれない。しかし、別の世界では恋人同士だし、別の世界では犯罪者仲間かもしれない。
しかし、どんなに多くの世界があり、どれほど大きな違いがあろうと、魂は1つで、どの世界の自分もつながっており、実際は同じであるのだろうと思う。
『法華経』を読むと、お釈迦様はおそらく、並行世界のことを言っているのだろうなあと思うところがある。
そして、同じ魂の自分がいる別世界に行くことも可能だと言っているのかもしれない。
私も、次元を超えて世界を移動したことがある、何の証拠も示せないが、そうとしか思えない特殊な印象がある。覚えていないものも含めれば、一度や二度のことではないのかもしれない。
あなたも、覚えていないだけで、次元移動をしているのかもしれない。いや、おそらくしているし、その気になれば思い出すことも可能だ。
次元移動をすれば、変わるはずのない運命も変わる。
移動した先の自分がどうなるかなんてのは三次元的発想であり、四次元的に考えれば、別に矛盾は起こらない。単純に解釈してもらっては困るが、吸収されてしまう。吸収の意味を三次元的に考えてはならないのだ。そこは、『法華経』や『正法眼蔵』を何度も読んで超発想を持たない限り分からない。多分、量子物理学で本当に理解しようと思ったら、時間がかかる上に、一面的な理解しかできないし、ある時には、考え方の全面転換が迫られることになるだろう。その場合でも、時が経てばまた、考え方の基礎が崩れてしまう。科学なんてそんなものである。
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みつけられたから