小泉純一郎さんが総理大臣だった時、彼がかつて勤めていた会社で、小泉さんの出勤事実がほとんどなかったという事実を発見して、野党がそれを小泉さんへの攻撃材料にしようとしたようなことがあったと思う。
別に総理大臣が昔勤めていた会社で何をしていようが、今の仕事をちゃんとしてくれれば良いのだから、むしろ、そんな話を持ち出す者の方が、公務をさぼっているという理由で余程問題だと思う。
そんな下らない追及に対し、小泉さんは、「人生色々、会社も色々だ」と言って軽く跳ね除けたが、出勤しない社員に給料を出すのは、いわゆる窓際族に給料を出すのと同じようなものだから、色々というほどでもない。その会社の社長が特に小泉さんを見込んで自由にさせていたのかもしれないし、全く別の事情かもしれないが、確かに、人生も会社も世の中も色々であり、そんなことは知ったことではないではないか?
大俳優だった丹波哲郎さんなどは、サラリーマン時代、就業時間中に「ちゃんと外で」遊び回って席にもいなかったらしい。他の社員にとっては、社内で遊ばれるよりずっと良いことのはずだ。
彼らが、本来なら就業の時間に何をしていたか分からないが、やはり、後のために力を蓄えるようなことができたのではないかと思う。遊んでいたという丹波さんだってそうなのだと思う。
サラリーマンの特徴というのは、1日中働きずくめということは滅多になく、結構、空いている時間が多いということだ。
私はかつて、本当にストップウォッチを使い、自分の会社での実働はどのくらいのものか調べたことがある。そうしたら、熱心に働いたと思った日でも3時間程度と出て驚いたものだ。それを、自己啓発をビジネスにしている会社の社長に話したところ、「3時間ならかなり多い方ですよ」と言われたことがある。
そして、中には、ほとんど仕事をしない社員だっている。
小泉さんや丹波さんのように会社にいない社員もいる。
特にサラリーマンというのは、空いた時間の過ごし方が非常に重要で、その時間の過ごし方で人生が決まるのである。
その時間を、同僚の悪口(本人はまっとうな非難と思っている場合が多い)や、つまらない雑談に費やしている者が圧倒的かもしれないが、そのような者は、悲惨な人生を自ら創っているのである。
また、一見仕事をしている時間でも、頭の中の想いというものは極めて大切なのだ。誰かを恨んだり、憎んだり、あるいは、馬鹿にしたりといったものが考えの多くを占めている者が少なくないはずだが、これは、考えている本人にとって、本当に恐ろしいことなのである。
空いた時間の全てを、明るく良い想いで満たせるなら、別に仕事をする必要はない。
なぜなら、仕事というのは、無駄な考えを起こす暇を持たないためにするものだからだ。
極端なことを言えば、ニートで、ずっと家にいて暇だと、どうしてもつまらないことばかり考えるのであるが、もし、ニートでも明るいことしか考えず、悪い想いが起こらないというのなら、ニートで立派にやっていけるが、やはりそれは極めて難しい。
別に社会に貢献とか言うのではなく、悪い想いを起こす暇をあまり持たないために、何かする方が良いのである。
小泉さんや丹波さんが、就業時間に何をしていたかは分からないが、彼らは、間違いなく、普通のサラリーマンが暇な時間にするようなつまらないことを考えてはいなかったと思う。だから成功したのだ。
竹村健一さんは、昔から、窓際族になることを薦めるようなことをよく著書に書かれていた。
実際、給料をもらって、自由に明るく正しいことを考えるというのは、仕事をするよりはるかに良いことなのだ。
アインシュタインも特許局に勤めていた時、机の大引き出しをうまく使って研究をし、上司が来たら引き出しを戻して隠していたのだ。
「そんなことをしていたら、仕事がおろそかになってクビになる」と言われるかもしれない。
そうではない。クビになるのは、仕事をするしないに関係なく、つまらないことを考えている者だ。
明るく正しいことを考えているなら、仕事は勝手に進んでいく。たとえ、何もしなくても、その者は安泰なのだ。
竹村健一さんが昔から、窓際の奨めをよく説いたのは、そのような者になることが理想であることを知っていたからだろう。
あなたも今日から、頭の中を、明るい良い想いで満たすのだ。
プラスの想いしか持ってはならず、決して、誰かのことを悪く思ったり、妬んだりしてはならない。よくよく自分の考えに気を付けることだ。
だが、どうしたって、我々凡人はつまらないことんばかり考えてしまう。
それならば、意図的に、心に栄養を与えるような言葉を心の中で言ってみるのだ。
平和、平静、好意、正直、公平、自由、寛大、生命、力、落ち着き、優雅、自信、健康、調和、創造力、若さ、美、元気、勇気、信念・・・などである。他にも沢山あるだろうから、自分の好きな言葉を使えば良い。
だが、最も良いのは神の名を常に唱えることである。そのために、特に愛する神を見つけることだ。もし、それが見つかれば、その名を唱えれば、たちまち心は静まり、エネルギーに満ち、勇気が溢れ、状況は好転し、あらゆる良いものがあなたに流れ込み、奇跡は常に起こるだろう。それは絶対に間違いのないことである。そう思えないなら、自分の神の名を知らないだけのことだ。その場合は、まずは、上に述べたような力ある言葉を活用することだ。
つまらないことを考え始めたら、すぐさま、神の名か、それがまだ見つからないなら、良い言葉を心で言ってみるのである。そうすれば、あなたは安全である。
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別に総理大臣が昔勤めていた会社で何をしていようが、今の仕事をちゃんとしてくれれば良いのだから、むしろ、そんな話を持ち出す者の方が、公務をさぼっているという理由で余程問題だと思う。
そんな下らない追及に対し、小泉さんは、「人生色々、会社も色々だ」と言って軽く跳ね除けたが、出勤しない社員に給料を出すのは、いわゆる窓際族に給料を出すのと同じようなものだから、色々というほどでもない。その会社の社長が特に小泉さんを見込んで自由にさせていたのかもしれないし、全く別の事情かもしれないが、確かに、人生も会社も世の中も色々であり、そんなことは知ったことではないではないか?
大俳優だった丹波哲郎さんなどは、サラリーマン時代、就業時間中に「ちゃんと外で」遊び回って席にもいなかったらしい。他の社員にとっては、社内で遊ばれるよりずっと良いことのはずだ。
彼らが、本来なら就業の時間に何をしていたか分からないが、やはり、後のために力を蓄えるようなことができたのではないかと思う。遊んでいたという丹波さんだってそうなのだと思う。
サラリーマンの特徴というのは、1日中働きずくめということは滅多になく、結構、空いている時間が多いということだ。
私はかつて、本当にストップウォッチを使い、自分の会社での実働はどのくらいのものか調べたことがある。そうしたら、熱心に働いたと思った日でも3時間程度と出て驚いたものだ。それを、自己啓発をビジネスにしている会社の社長に話したところ、「3時間ならかなり多い方ですよ」と言われたことがある。
そして、中には、ほとんど仕事をしない社員だっている。
小泉さんや丹波さんのように会社にいない社員もいる。
特にサラリーマンというのは、空いた時間の過ごし方が非常に重要で、その時間の過ごし方で人生が決まるのである。
その時間を、同僚の悪口(本人はまっとうな非難と思っている場合が多い)や、つまらない雑談に費やしている者が圧倒的かもしれないが、そのような者は、悲惨な人生を自ら創っているのである。
また、一見仕事をしている時間でも、頭の中の想いというものは極めて大切なのだ。誰かを恨んだり、憎んだり、あるいは、馬鹿にしたりといったものが考えの多くを占めている者が少なくないはずだが、これは、考えている本人にとって、本当に恐ろしいことなのである。
空いた時間の全てを、明るく良い想いで満たせるなら、別に仕事をする必要はない。
なぜなら、仕事というのは、無駄な考えを起こす暇を持たないためにするものだからだ。
極端なことを言えば、ニートで、ずっと家にいて暇だと、どうしてもつまらないことばかり考えるのであるが、もし、ニートでも明るいことしか考えず、悪い想いが起こらないというのなら、ニートで立派にやっていけるが、やはりそれは極めて難しい。
別に社会に貢献とか言うのではなく、悪い想いを起こす暇をあまり持たないために、何かする方が良いのである。
小泉さんや丹波さんが、就業時間に何をしていたかは分からないが、彼らは、間違いなく、普通のサラリーマンが暇な時間にするようなつまらないことを考えてはいなかったと思う。だから成功したのだ。
竹村健一さんは、昔から、窓際族になることを薦めるようなことをよく著書に書かれていた。
実際、給料をもらって、自由に明るく正しいことを考えるというのは、仕事をするよりはるかに良いことなのだ。
アインシュタインも特許局に勤めていた時、机の大引き出しをうまく使って研究をし、上司が来たら引き出しを戻して隠していたのだ。
「そんなことをしていたら、仕事がおろそかになってクビになる」と言われるかもしれない。
そうではない。クビになるのは、仕事をするしないに関係なく、つまらないことを考えている者だ。
明るく正しいことを考えているなら、仕事は勝手に進んでいく。たとえ、何もしなくても、その者は安泰なのだ。
竹村健一さんが昔から、窓際の奨めをよく説いたのは、そのような者になることが理想であることを知っていたからだろう。
あなたも今日から、頭の中を、明るい良い想いで満たすのだ。
プラスの想いしか持ってはならず、決して、誰かのことを悪く思ったり、妬んだりしてはならない。よくよく自分の考えに気を付けることだ。
だが、どうしたって、我々凡人はつまらないことんばかり考えてしまう。
それならば、意図的に、心に栄養を与えるような言葉を心の中で言ってみるのだ。
平和、平静、好意、正直、公平、自由、寛大、生命、力、落ち着き、優雅、自信、健康、調和、創造力、若さ、美、元気、勇気、信念・・・などである。他にも沢山あるだろうから、自分の好きな言葉を使えば良い。
だが、最も良いのは神の名を常に唱えることである。そのために、特に愛する神を見つけることだ。もし、それが見つかれば、その名を唱えれば、たちまち心は静まり、エネルギーに満ち、勇気が溢れ、状況は好転し、あらゆる良いものがあなたに流れ込み、奇跡は常に起こるだろう。それは絶対に間違いのないことである。そう思えないなら、自分の神の名を知らないだけのことだ。その場合は、まずは、上に述べたような力ある言葉を活用することだ。
つまらないことを考え始めたら、すぐさま、神の名か、それがまだ見つからないなら、良い言葉を心で言ってみるのである。そうすれば、あなたは安全である。
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外の景色をぼんやり眺めるのが大好きでした。
そういう時は、運の巡りがよく、、
意外と成績もよく、、
その原因が、
明るく良い想いで満たされていたからかもと思いました。
美しい景色で心を満たすのも、
神の名を唱えることと同様なのかも知れません。