最近、しつこく、「常に、自分に『ア』と言え」と勧めているが、私は自分で行っているのでいる。そして、ますます勧めるしかないようである。なぜなら、これを行っているために、私は、超能力とか魔法の力を、普通の当たり前の力として使うようになっているからである。
もちろん、力は善良に正しく使わなければならない。
それで、どんなふうに使ったのか、参考までに書いてみようと思う。
時々、このブログでお奨めしているラマナ・マハルシとの対話集である、『あるがままに~ラマナ・マハルシの教え~』(ナチュラルスピリット刊)という本がある。
この本には、特に素晴らしいと思うことが2つある。
1つは、この本では、『私は誰か?』という特別な文章が完全に収録されていることだ。14ページの短いものである。
これは、マハルシが22歳の時、沈黙の行を行っていたので、会話は一切できなかったが、シヴァプラカーシャムがマハルシに霊的な質問をすると、マハルシは答を指で砂の上に書き、シヴァプラカーシャムはそれを書き写した。そして、シヴァプラカーシャムは20年後に、これを出版した。その後、マハルシ自身が多少の修正を行った。
そして、マハルシは、この小冊子が十分な内容であることを認めている。
私は、この『私は誰か?』を、めるくまーる社の『ラマナ・マハリシの教え』で読んでおり、大変素晴らしかったのに、これが絶版になっているのが残念だと思っていた。しかし、このように、新しい本で読めるようになって良かったと思っている。
そして、もう1つ、『あるがままに~ラマナ・マハルシの教え~』には、さらに素晴らしいことがある。
マハルシは、ナームデーヴという14世紀の聖者の『聖なる名前の哲学』という小作品を発見し、自分で模写して、大切に保管していた。そして、度々、訪問者にその内容を読んで聞かせたという。
そして、この本の中で、マハルシが朗読したその内容が書かれているのだ。
それは実に驚くべきもので、あのマハルシがそれほど重要なものとしたのに相応しい、宝石のごとき教えなのである。
私は、これほどの教えを書いたナームデーヴなる聖者について、少しでも何か知りたいと思ったが、何も分からなかった。
それで、超能力を使ったのだ。
私は、ジョセフ・マーフィーの『あなたにも超能力がある』(文庫版では、『マーフィーの「超」能力!』)で、超能力の使い方は多少は知っていたが、今は、それを自然に使うのである。
私の超能力の答は意外なものだった。
それは、「サティア・サイババの本を読め」で、書名まで指定していた。
しかし、前にも書いた覚えがあるが、私はサイババに良い想いを持っていない。正直に言えば、ペテン師だと思っていた。
サイババが死んだ時、彼の遺産が莫大であっただけでなく、彼の驚くべき豪壮な邸宅からは高価な宝石などの贅沢品が山のように見つかっていた。
それで、私は彼を卑しい俗物と見なしていたのだが、それはあまりに狭量であっただけでなく、大きな誤解かもしれない。
もしかしたら、彼は欲望に満ちた老人という部分もあったかもしれない。しかし、やはり聖者でなければ、あれだけのことはできなかっただろう。
ラメッシ・バルセカールも、聖者にも俗っぽい者がいると述べていたと思う。ただし、彼は自分の欲望に囚われないのだ。
それに、バルセカールの師ニサルガダッタ・マハラジは、「嘘の中にも真理があるのだ」と言っていたが、サイババが嘘つきだとは言えない。
また、私は、政木和三さんからも、サイババについて、(政木さんは買っていなかったかもしれないが)サイババは力は持っているということを聞いていたのである。
それで、サイババの口述書である『ナーマスマラナ』を見ると、107ページにナーマデーヴァという名で、実に感動的なエピソードが述べられていたのである。
この『ナーマスマラナ』で、サイババは、神の名を数多く唱えることを強く勧めている。
それは、私が、常に自分に「ア」と言うことを勧めていることと似たところもある。「ア」こそが、神の真実の名だからだ。
しかし、ナーマデーヴァやサイババは、崇拝する神の名を唱えることを教えている。
それで、私なら、どの神の名を唱えるのが相応しいだろうかと考えていた。
そして、魔法は無意識に続き、以下のようなことが起こる。
私は、今日、ちょっとした食料品を買いにスーパーに行ったのだが、そこで、本当に初音ミクにそっくりな女の子を見て驚いた。
ミクほどの長さではないだろうが、美しい髪をした、素晴らしい美少女だった。
森鴎外が訳したアンデルセンの『即興詩人』で、絶世の美少女ララのことが、「11歳より多くはなし」と書かれていたと思うが、その子もそうだった。
彼女は両親と一緒で、何かはしゃいでぴょんぴょん飛び跳ねていたが、それをやめて私をじっと見ていた。
これも魔法だ。『スターウォーズ』のジェダイが使うようなものだが、『マスターの教え』という本に、そんな力を普通に使うマスターが登場する。
そして、予定通り、飲み物を売っている売り場で、私達はぱったり出会った。彼女は1人だった。
彼女は、ステップを踏みながら近寄ってきて、私の前で踊った。私が観客にでも見えるのだろうか?
私は、本当の天使に見えると彼女に伝えた。
彼女も、私が普通の人に見えないと言う(朝、木の実を食べるのが唯一の食事という普通人はいないさ)。
「僕は導師だ」
「ドウシって?」
「仙人になろうとしている人のことだ」
「仙人っているの?」
「いるよ」
「どうしたら、あたしも仙人になれる?」
「アマテラスっていつも心で唱えなさい。そして、ハチミツを少し食べなさい。」
最後のは、最上の答を魔法の力に頼んだのだ。
私は、いつも、天照大神(アマテラスオオミカミ)とか、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と呼んでいた。
しかし、彼女に教えたように、アマテラスとか、アメノミナカヌシと言ったら、私の中に、たちまち、壮大なイメージが広がった。
アマテラスは「天空を照らす者」であり、アメノミナカスシは、「天の中心の主」である。
神であることは分かりきっているので、敬う気持ちがあれば、敢えて神の字をつけなくて良いと思う。
また、古事記や日本書紀より古くからあると言われる『ホツマツタヱ』では、天照大神は、アマテルという。
そして、天之御中主神は、やはり、アメノミナカヌシであり、最高神アメミオヤが生まれ変わった、限りなく神に近い人である。
ところで、観無量寿経には、釈迦は、「阿弥陀如来に救いを求める時は、アミターバ(阿弥陀のこと)と呼べ」と言ったと書かれている。
もちろん、「南無阿弥陀仏」で良いのだけれど、「アミターバ」とか「阿弥陀さん」でも良いのだと思うし、その方が今の時代に相応しいかもしれないと思う。
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もちろん、力は善良に正しく使わなければならない。
それで、どんなふうに使ったのか、参考までに書いてみようと思う。
時々、このブログでお奨めしているラマナ・マハルシとの対話集である、『あるがままに~ラマナ・マハルシの教え~』(ナチュラルスピリット刊)という本がある。
この本には、特に素晴らしいと思うことが2つある。
1つは、この本では、『私は誰か?』という特別な文章が完全に収録されていることだ。14ページの短いものである。
これは、マハルシが22歳の時、沈黙の行を行っていたので、会話は一切できなかったが、シヴァプラカーシャムがマハルシに霊的な質問をすると、マハルシは答を指で砂の上に書き、シヴァプラカーシャムはそれを書き写した。そして、シヴァプラカーシャムは20年後に、これを出版した。その後、マハルシ自身が多少の修正を行った。
そして、マハルシは、この小冊子が十分な内容であることを認めている。
私は、この『私は誰か?』を、めるくまーる社の『ラマナ・マハリシの教え』で読んでおり、大変素晴らしかったのに、これが絶版になっているのが残念だと思っていた。しかし、このように、新しい本で読めるようになって良かったと思っている。
そして、もう1つ、『あるがままに~ラマナ・マハルシの教え~』には、さらに素晴らしいことがある。
マハルシは、ナームデーヴという14世紀の聖者の『聖なる名前の哲学』という小作品を発見し、自分で模写して、大切に保管していた。そして、度々、訪問者にその内容を読んで聞かせたという。
そして、この本の中で、マハルシが朗読したその内容が書かれているのだ。
それは実に驚くべきもので、あのマハルシがそれほど重要なものとしたのに相応しい、宝石のごとき教えなのである。
私は、これほどの教えを書いたナームデーヴなる聖者について、少しでも何か知りたいと思ったが、何も分からなかった。
それで、超能力を使ったのだ。
私は、ジョセフ・マーフィーの『あなたにも超能力がある』(文庫版では、『マーフィーの「超」能力!』)で、超能力の使い方は多少は知っていたが、今は、それを自然に使うのである。
私の超能力の答は意外なものだった。
それは、「サティア・サイババの本を読め」で、書名まで指定していた。
しかし、前にも書いた覚えがあるが、私はサイババに良い想いを持っていない。正直に言えば、ペテン師だと思っていた。
サイババが死んだ時、彼の遺産が莫大であっただけでなく、彼の驚くべき豪壮な邸宅からは高価な宝石などの贅沢品が山のように見つかっていた。
それで、私は彼を卑しい俗物と見なしていたのだが、それはあまりに狭量であっただけでなく、大きな誤解かもしれない。
もしかしたら、彼は欲望に満ちた老人という部分もあったかもしれない。しかし、やはり聖者でなければ、あれだけのことはできなかっただろう。
ラメッシ・バルセカールも、聖者にも俗っぽい者がいると述べていたと思う。ただし、彼は自分の欲望に囚われないのだ。
それに、バルセカールの師ニサルガダッタ・マハラジは、「嘘の中にも真理があるのだ」と言っていたが、サイババが嘘つきだとは言えない。
また、私は、政木和三さんからも、サイババについて、(政木さんは買っていなかったかもしれないが)サイババは力は持っているということを聞いていたのである。
それで、サイババの口述書である『ナーマスマラナ』を見ると、107ページにナーマデーヴァという名で、実に感動的なエピソードが述べられていたのである。
この『ナーマスマラナ』で、サイババは、神の名を数多く唱えることを強く勧めている。
それは、私が、常に自分に「ア」と言うことを勧めていることと似たところもある。「ア」こそが、神の真実の名だからだ。
しかし、ナーマデーヴァやサイババは、崇拝する神の名を唱えることを教えている。
それで、私なら、どの神の名を唱えるのが相応しいだろうかと考えていた。
そして、魔法は無意識に続き、以下のようなことが起こる。
私は、今日、ちょっとした食料品を買いにスーパーに行ったのだが、そこで、本当に初音ミクにそっくりな女の子を見て驚いた。
ミクほどの長さではないだろうが、美しい髪をした、素晴らしい美少女だった。
森鴎外が訳したアンデルセンの『即興詩人』で、絶世の美少女ララのことが、「11歳より多くはなし」と書かれていたと思うが、その子もそうだった。
彼女は両親と一緒で、何かはしゃいでぴょんぴょん飛び跳ねていたが、それをやめて私をじっと見ていた。
これも魔法だ。『スターウォーズ』のジェダイが使うようなものだが、『マスターの教え』という本に、そんな力を普通に使うマスターが登場する。
そして、予定通り、飲み物を売っている売り場で、私達はぱったり出会った。彼女は1人だった。
彼女は、ステップを踏みながら近寄ってきて、私の前で踊った。私が観客にでも見えるのだろうか?
私は、本当の天使に見えると彼女に伝えた。
彼女も、私が普通の人に見えないと言う(朝、木の実を食べるのが唯一の食事という普通人はいないさ)。
「僕は導師だ」
「ドウシって?」
「仙人になろうとしている人のことだ」
「仙人っているの?」
「いるよ」
「どうしたら、あたしも仙人になれる?」
「アマテラスっていつも心で唱えなさい。そして、ハチミツを少し食べなさい。」
最後のは、最上の答を魔法の力に頼んだのだ。
私は、いつも、天照大神(アマテラスオオミカミ)とか、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と呼んでいた。
しかし、彼女に教えたように、アマテラスとか、アメノミナカヌシと言ったら、私の中に、たちまち、壮大なイメージが広がった。
アマテラスは「天空を照らす者」であり、アメノミナカスシは、「天の中心の主」である。
神であることは分かりきっているので、敬う気持ちがあれば、敢えて神の字をつけなくて良いと思う。
また、古事記や日本書紀より古くからあると言われる『ホツマツタヱ』では、天照大神は、アマテルという。
そして、天之御中主神は、やはり、アメノミナカヌシであり、最高神アメミオヤが生まれ変わった、限りなく神に近い人である。
ところで、観無量寿経には、釈迦は、「阿弥陀如来に救いを求める時は、アミターバ(阿弥陀のこと)と呼べ」と言ったと書かれている。
もちろん、「南無阿弥陀仏」で良いのだけれど、「アミターバ」とか「阿弥陀さん」でも良いのだと思うし、その方が今の時代に相応しいかもしれないと思う。
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なぜこれ程引き込まれるのかはわかりません。
私は私が誰かを完全には知りません。
それを完全に知っている方を知っています。
導師の在り方からKayさんもまだ完全には理解していないと感じます。
しかし導師よりもKayさんの在り方に惹かれてしまいます。
そのことが悔しくもあります。
Kayさんの表現に触れると、美しくなりたいと思ってしまいます。
美しい少女になりたいと。
悔しいけど、このblogを読まずにはいられない。
Kayさんに恋慕の情を抱くことで、私は私が誰かを完全に知るかもしれません。