当たり前だと思っていることでも、「本当にそうか?」と改めて問えば、実は怪しいものだということがよくある。
例えば、「僕は彼女を愛している」と思っていても、「本当に?単に性的魅力に眩んでいるか、それだけじゃないにしても、幻想のような思い込みに過ぎないのじゃないかのかね?」と考えれば、実は、ほとんどの場合が、その通り(本当の愛じゃない)だということが分かってしまう。
ただ、女性の場合は、本来は、直感的に、「この人は愛すべき人」ということが分かるので、結局うまくいくのである。ただし、現代の女性は男性化してしまっているので、間違った結び付きが多くなってしまったのだが。

わき道に逸れかけたので、元に戻るが、当たり前を疑うことで、真理という貴重な宝が得られることもある。
「1たす1は2」というのだって、もちろん、当たり前でない。
「1たす1は1」という発想があったから、ガリレイは落下速度が重さに関係ないことに気付いた。それまでは、重い物体は軽い物体より速く落ちると考えられていたが、ガリレイは、「では、重い物体Aと軽い物体Bをくっつけたら、落ちる速さは、Aより遅く、Bより速くなるはずだが、合体した物体はAよりも重くなるので、Aより速くなってしまい、矛盾する」と気付き、落下する速さは重さに関わらず同じであると考えた。
そして、当時の実験設備では落下運動の検証は難しかったので、斜面を転がり落ちる実験で、その考え方の正しさを確認した。

ジョージ・アダムスキーは、「1たす1は3」だと言う。
2つのものが合わされば、必ず、第3のものが生まれるからだ。例えば、男と女から子供が出来るのもその1つだ。そして、それは、さらに連鎖を生む。
アダムスキーは、これを老子の思想だと言う。
老子は、「一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む」(『老子』第42章)と言ったのである。
※非常に貴重で深い意味であり、正確な意味を知りたい場合は、五井昌久著『老子講義』第20講をご参照願う。
やはり深い英知を持っていたアリストテレスは、「2は不完全で、3で完成する」と言った。だから、2つのものを「両方」とは言っても「全部」とは言わないが、3つになって初めて「全部」と言うのだ。アリストテレスの自然科学は、この考え方を根本にしていると思う。

さて、20世紀の初めに、インドの偉大な聖者ラマナ・マハルシは、人類にとって、極めて重大な問いを発した。
それが、「私は誰か?」である。
彼が使ったタミル語では、「ナン(私)、ヤー(誰)」であるらしい。
私は誰か?
あまりに当たり前のように思える問いである。
しかし、これは、人間、神、宇宙の謎を解く鍵であり、最も貴重な真理への道しるべなのである。

しかし、この問題の答をここで簡単に述べることなど不可能なので、ちょっとした、面白い、簡単な喩え話をしておく。
上に述べた、老子とアリストテレスにも関係して興味深い。
本日まで、アメリカのオバマ大統領と中国の習近平国家主席が米中首脳会談を行った。
ところで、アメリカは不思議な国だ。そうではないかね?
コロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、ヨーロッパのありとあらゆる国が植民地としていたのに、いつか1つにまとまり、世界一の大国になってしまった。
これは奇跡であり、我々はもっと深く見直した方が良い事実だ。

さて、ここからは、荘子のように、「デタラメを言うからデタラメに聞け」と最初に言っておくので、そのつもりで読んでいただきたい。
アメリカには昔、宇宙人の関与があったのだ。
宇宙人達は、アメリカで英語が使われるようにし、しかも、最も基本的な I AMという言葉の先頭にGodという言葉を、ある不思議な方法で隠した。
それで、I AMと言う時、(God)I AMという響きをアメリカでは持つようになった。これは、「神であるのが私である」とでも言ったもので、「私は神である」ということを、深い意識の中に共鳴させることができたのだ。
以降、アメリカでは、I AMという言葉に神秘な力が溢れるようになった。誰でも、I AMと言う度に、奇跡を起こした。
アメリカでは、国家のモットー(日常の行為の目標や方針)を、実に、「我々は神を信じる」とし、それを全国民に浸透させるため、全ての貨幣や紙幣にそう書くようになったのは、日本人には想像もできないことだが、驚くべき事実である。
だから、独立さえあり得なかったアメリカが、隔絶した力を持つ大国になったのだ。
日本もまた、宗教としては事実上存在しない神道を、まるで空気のように自然に浸透させたある不思議な存在の業により、驚くべき力を持っていた。
だが、御存知のように、アメリカも日本も衰えが顕著だ。
宇宙人に関与した組織がアメリカと日本を見捨てる動きがあるからだ。
だが、現在はまだ見捨ててはおらず、検討段階といったところだ。しかし、かなり彼らも手を引いているので、綻びがひどくなってきている。

そして、かつて、中国には、ギリシャとは別の英知が降り立っている。ここから易経が生まれ、老子もその系統の存在である。
そうでなければ、あれほどの知恵が生まれたりしない。
中国に降り立った「ある者」は、ギリシャに降り立ち、プラトーンに英知を与え、時を経てアメリカに流れてきたものとは異質の力だ。
それは、長い間、潜んだままで時を待っていたが、近代になって活性化を始め、アメリカを超えようとしている。
ただ、今のところ、障害が多く、急激に本当の実力を持つことはないが、放っておくと、重大な事態となる。
このあたりは、ルドルフ・シュタイナーが霊視し、かなり公表しているが、彼も、途中から口を閉ざしたような感がある。
興味があれば、シュタイナーの本を当ってもらいたい。

さて、アメリカと中国の問題は我々の手に負えない。
それよりも、我々は、マハルシが与えてくれた鍵を得るべきなのである。
日本は、古代日本の英知と共に、インド、ギリシャ、そして、中国のある存在の英知が終結する地であったのだ。ただ、世界の闇の勢力の力で、すっかり堕落しかけている。日本を本当の神国にしてはならない理由でもあるのだろう。
我々は、今は、個人的に英知を得るしかないのである。
幸い、我々はそれができるのである。
だから、恐れる必要はない。

ギリシャと中国に関与した宇宙的存在の英知は、日本のある2つの宗教団体に別々に関与している。
一方の教祖は極めて理知的で美しい文章を残し、もう一方の教祖は霊能と極めて高貴な人間性を示した。
一方が科学に、一方は芸術により深く関わっている。
だが、いずれが上というのではない。
お互い、多少の批判はし合っているが、本当は補い合わなければならない関係なのだ。
これは、ルドルフ・シュタイナーの『悪の秘儀』を読めば気が付くかもしれない。

我々は、マハルシの「私は誰か?」という問いに答えなければならない。
それは、実に意外な答である。
だが、おかしなことに、不思議でもなんでもない答なのだ。
言っていくが、少しも難しくはない。しかし、絶望的なほど難しいのだ。
だから、マハルシの示した実習に励むべきである。
だが、日本人は楽なのだ。上に挙げた、2人の天才的な教祖達が優れた教えを残しているからである。

















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