野球の監督なんてギャンブルだと思う。
そう言うと、「いや、データを基に判断しているのだ」と言う人がいるだろう。
しかし、「代打を誰にするか?」「打たせるかバントさせるか?」について、それほど大変なデータ計算をしているとは思えない。
野球のテレビ中継で、解説者が、「次はフォークでしょう」とか、「ここはバントですね」とか言うと、大方は当る。ところが、監督が意外な策を取ってくることもある。
例えば、解説者が、自信を持って、「代打はA選手」と言ったのに、監督は意外なB選手を代打に送る。まあ、そんな場合、監督は昼間の練習を見て、B選手の調子が良さそうだったからとか、他にもいろんな理由があるのかもしれないが、さほどの理由でない場合が多いに違いない。ただ、良い監督というのは、個人的な思い込みをだけは排除する能力があるのだろう。
監督の意外な策がもし成功すれば、翌日の新聞には、監督がその策を取った「深い理由」がまことしやかに書かれるかもしれないが、そんなのは「取って付けた」ものでしかない。逆に、奇策での失敗は割合に無視される。奇策というのは、成功すれば面白いのであり、失敗するのは当然過ぎて面白くないからだ。マスコミというのは、スポーツに限らず、正しいことを書くのではなく、面白いことを書くのだ。そうでないと人気が出ないし、世間はますますそのようなものになってきているのだ。
切羽詰った状況で、監督の特殊な采配が当るなんてことは、実際はほとんどない。
ただ、厳しい状況で、監督が次にどんな手を打つのか、そして、それが成功するか失敗するのかを見るのはとても面白い。
しかし、その時の監督ほど面白くないものはないだろう。だって、それは、絶対に確信なんてない、ただのギャンブルなのである。そして、期待されていることも分かっているので、本人は、なんて損な役なんだろうって思っているはずだ。
そういった状況での、落合博満さんの「渋ちん顔」を思い出す。彼は、本当に正直な人だろう。本当は、誰だってあんな表情しかできないはずなのだ。そして、彼は演技をせずに正直な顔をしてしまう。だから監督としては人気が出なかったのだ。
あんな時は、いかにも自信満々な顔をして(原監督のように)、それが成功した時のインパクトを大きくし、失敗した時は派手に椅子を蹴っ飛ばして、観客や視聴者を喜ばせないといけないのに、落合さんは、それをやらなかったのだ。
私は、落合さんが就任1年目に言ったことをよく覚えている。
「選手は一生懸命やればいいんだ。負ければ俺が恥をかけばいいんだ」
落合さんは、本当に、「負ければ俺が恥をかく」と思っていたのであり、「勝てば俺が賞賛される」とは思っていなかった。だから、彼は名監督になったのだが、実はこれは、ギャンブルに勝つ心構えと同じであることに気付く。
本物のギャンブラーってのは、自分が勝とうなんて思っていない。相手に負けさせるのである。
ギャンブルというのは、テクニックが介在することもあるが、ほとんどは偶然の運で勝負が決まる。
特に、一発勝負のギャンブル・・・すなわち、「丁半勝負」は、いかなるテクニックも通用しない。
そんな時、イカサマでもしない限り、どうあがこうが勝つか負けるかは半々だ。
本当は、そんな時に勝つ方法があるのだが、それは人間にはほとんど不可能だ。しかし、負けることは意外に簡単なのだ。
その簡単なことを、相手にやらせれば良いのだ。実際、一流ギャンブラーは、そうやって常に勝つのである。

落合さんが、ひょっとしたらさり気なく言ったのかもしれない、「負ければ俺が恥をかく」というのは、金言と言って良い。
同じような理由で、優れた経営者というのは、夢のような儲け話に決して乗らないものだ。リスクを回避し、確実に儲かることに全力を尽くすのである。
だから、自分の頭では「これは儲かるぞ、素晴らしい」と思っても、それに対して、「いや社長、それはうまくいくとは限りませんぜ」と言う者がいれば、一応は不快に思って激怒もするのだが、頭が冷えると、その者の言うことを聞こうとするのである。
株取引というのも、絶対にギャンブルなのだ。それを自覚せずに悲惨な目に遭う者が何と多いことか!しかし、「いや、株はギャンブルでない。科学だ、経験だ、テクニックだ」と嘘を言って煽る者が多いのである。しかし、断言するが、株はギャンブルである。
だが、名監督、名経営者、名ギャンブラーのやり方ができるなら、株でも勝てるだろう。
バイトで資金をためて株取り引きに熱中し、あれよあれよという間に数百億円の巨大資産を作った青年がいたが、あれもまた、名監督のやり方だ。
彼は、株取引の高度な知識や技術に興味はないらしい。もちろん、常に勝つ訳ではない。どんな名監督でも百戦百勝は不可能だし、名経営者でも一時的には損をすることもあるのと同じだ。
彼は、ある意味、あまり考えない。「こんな時は売ってしまうしかないじゃない」と、売る時を知っていて、そんな時は思い切りよく売ってしまう。妙な「考え」でそれを引き伸ばさないのだ。
深い読みなんてしない。そんなものはあてにならず、トータルでは大きく間違うことをよく知っているのだ。これもまた、名監督と同じだ。
彼は、当たり前の読みに徹している。だが、この「当たり前の読み」を明晰に見るのが難しいのだ。彼は、「リズムを大切にしている」と言うが、当たり前の読みにはリズムがあるのだ。リズムは大切だ。自然には美しいリズムがある。あの『バガヴァッド・ギーター』にも、その大切さが書かれているのである。
別に株取引を勧める訳ではないが、私が普段書いている方法で想念を消せれば株でも勝てる。だが、想念を消して株取引ができる人は、まずいない。

こういった話題は面白いので、書いていると、ついつい時間を忘れる。
このあたりでやめておくが、重要なことがあると思うので、良ければ参考にして欲しい。









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