この頃、私は、あまりものを考えなくなった。
何か考え始めると・・・それは大抵、下らないことなのだが、すぐに考えるのを止めてしまうことができる。
どうしてかというと、心の中で、ある言葉をずっと繰り返しているからである。
今はまだ、時々、それを唱えるのを忘れてしまうこともあるが、良からぬことを想うと、ほぼ間違いなく、言葉を唱えることを思い出すので、悪想念も結構なことである。
時々、般若心経の呪文を10万回唱えたとか、何かの真言を百万回唱えたとか言う人がいるかもしれないが、そんなことにあまり意味はないと私は思う。
生きている限り、起きている間中、ずっと唱えることが大切なのである。
仕事中もかと言うなら、仕事中もである。
それで仕事になるのかというと、私はならないような気がするが、結果として、いつもより素晴らしい仕事になっているのである。
ミルトン・エリクソンという、アメリカの精神科医は、仕事を前に無意識に入ってしまい、その後の記憶が全くないのだが、日常の意識に戻った時には、仕事は完璧な形で終っているのである。
エリクソンは、初対面の人の父親の名前でも軽く言い当てるような人だったが、怪しい人じゃあない。それどころか、どんな難しい精神病でも簡単に治してしまうので、「魔法で治している」とまで言われた驚異的な精神科医だった。世界で最も有名な精神科医のフロイトが実際は、患者を1人も治すことができなかったのと大変な違いである。
また、エリクソンは、手のつけられない不良少年をたった一言の会話で、完全に更生させたこともあったが、おそらく、彼には普通のことなのだ。
まさしく、普通の人からみれば魔法使いである。
考えなくなって仕事はできる。
いや、考えるから、エリクソンのような素晴らしい仕事ができないのだ。
最初に述べた通り、私は、起きている間中、ずっと、ある言葉を繰り返すことを目指している。
それで何が楽しいかというと・・・実に楽しみなのである。
10年後には、いったいどうなっているだろう?
仙人になって、いよいよ神を目指しているかもしれない。
「10年もかかるのか?」と言われるだろうか?
10年も楽しめるのだ。
この行を行う限り、生活は保障されるのである。だから、何の心配もいらない。だから、ただ楽しめば良い。
「毎朝」、ずっと美味しい木の実とビスケットを食べ続けることができるのだ。これが天国でなくて何だろう?
誰がそれを保障するのだろうか?
もちろん、神様である。
どんな聖者もそうであることを請け負っているが、それは、しばらく行をやれば分かることだ。
これを理想的な人生というのだろう。
それは生きたまま天国に入るようなものであるが、大人が天の国に入るのは難しいものらしい。
イエスは幼子のようになれば、天の国に入れると言った。無論、生きたままである。
子供というのは、やって来るものはそのまま受け入れるが、過ぎてしまえば忘れてしまうのだ。
いつも良い言葉を繰り返していれば、過ぎたことを考えることはできない。結果として、天国にいつもいることになるのである。
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何か考え始めると・・・それは大抵、下らないことなのだが、すぐに考えるのを止めてしまうことができる。
どうしてかというと、心の中で、ある言葉をずっと繰り返しているからである。
今はまだ、時々、それを唱えるのを忘れてしまうこともあるが、良からぬことを想うと、ほぼ間違いなく、言葉を唱えることを思い出すので、悪想念も結構なことである。
時々、般若心経の呪文を10万回唱えたとか、何かの真言を百万回唱えたとか言う人がいるかもしれないが、そんなことにあまり意味はないと私は思う。
生きている限り、起きている間中、ずっと唱えることが大切なのである。
仕事中もかと言うなら、仕事中もである。
それで仕事になるのかというと、私はならないような気がするが、結果として、いつもより素晴らしい仕事になっているのである。
ミルトン・エリクソンという、アメリカの精神科医は、仕事を前に無意識に入ってしまい、その後の記憶が全くないのだが、日常の意識に戻った時には、仕事は完璧な形で終っているのである。
エリクソンは、初対面の人の父親の名前でも軽く言い当てるような人だったが、怪しい人じゃあない。それどころか、どんな難しい精神病でも簡単に治してしまうので、「魔法で治している」とまで言われた驚異的な精神科医だった。世界で最も有名な精神科医のフロイトが実際は、患者を1人も治すことができなかったのと大変な違いである。
また、エリクソンは、手のつけられない不良少年をたった一言の会話で、完全に更生させたこともあったが、おそらく、彼には普通のことなのだ。
まさしく、普通の人からみれば魔法使いである。
考えなくなって仕事はできる。
いや、考えるから、エリクソンのような素晴らしい仕事ができないのだ。
最初に述べた通り、私は、起きている間中、ずっと、ある言葉を繰り返すことを目指している。
それで何が楽しいかというと・・・実に楽しみなのである。
10年後には、いったいどうなっているだろう?
仙人になって、いよいよ神を目指しているかもしれない。
「10年もかかるのか?」と言われるだろうか?
10年も楽しめるのだ。
この行を行う限り、生活は保障されるのである。だから、何の心配もいらない。だから、ただ楽しめば良い。
「毎朝」、ずっと美味しい木の実とビスケットを食べ続けることができるのだ。これが天国でなくて何だろう?
誰がそれを保障するのだろうか?
もちろん、神様である。
どんな聖者もそうであることを請け負っているが、それは、しばらく行をやれば分かることだ。
これを理想的な人生というのだろう。
それは生きたまま天国に入るようなものであるが、大人が天の国に入るのは難しいものらしい。
イエスは幼子のようになれば、天の国に入れると言った。無論、生きたままである。
子供というのは、やって来るものはそのまま受け入れるが、過ぎてしまえば忘れてしまうのだ。
いつも良い言葉を繰り返していれば、過ぎたことを考えることはできない。結果として、天国にいつもいることになるのである。
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心を消す原理をこの前投稿されていましたが、
自我を無くすためには、kayさんがおっしゃっていたように「私は誰かと問い続ける」や「自分が存在する感覚に集中する」、
または念仏やマントラを唱えることが、唯一の道なのでしょうか。
余計な雑念が起こることが習慣的になっているため、それを抑えるには
マントラや瞑想のような状態を習慣化させるしか、方法はないのでしょうか?
実際仏陀や仙人やキリストは、どのようにして知恵や悟りを得たのでしょうか。彼らが偉大なのも、瞑想しながら日々をすごした結果なのでしょうか。
よかったら自我を消す方法について、今度また記事を書いていただけたらと思います。