レベルが高過ぎて理解できないという人は私にはいくらでもいる。
別に有名人でなくても、身近にも一杯いる。
しかし、ある意味、どれほどの人物であっても、同じ人間であることも確かであり、理解できないと言っても、「さっぱり理解できない」ということはない。
だが、本当にさっぱり分からないという人もいる。
例えば、合気道の創始者である植芝盛平や、思想家の安岡正篤(やすおかまさひろ)なんて人はそうである。彼らに比べれば、現代の知恵者なんて吹けば飛ぶようなものではないかと思うのである。
イエス・キリストや法然のような人は、いかにレベルが高くても、愚民に合わせるよう大変な配慮をしたんだろうと思う。
植芝盛平や安岡正篤も、身近な人達は、彼らが気さくで優しい人だったと言うが、時代の状況からやむを得なかったのかもしれないが、彼らは高い位置から降りてくることはあまりなかったと思う。
私は、植芝盛平が書いた『武産合気(たけむすあいき)』を読もうとして、とにかくのっけから全く分からず、落胆したことがあった。しかし、この本でも、植芝盛平は、明治時代の志士といった高度な人向けではなく、もちろん、志ある者のためではあっても、戦後の人向けに、「ゆるく」書いたのだと思うのだ。
その後、私は、多くの種類の『古事記』を読み、いくらかの神道家の本を読み、大祓詞という祝詞を5千回唱えた後に、再び『武産合気』を読み、1%分かっただけでも、あまりに凄いので感動したのである。だが、99%はやはり分からないのだ。
植芝盛平や、やはり同時代の偉人である中村天風の両方の弟子であった佐々木の将人(まさんど)さんは、やはり戦時中の人であり、また、並外れた人とはいえ、今年(2013年)の2月まで生きておられたのであり、私が敬愛すべき関英男博士と共著で本を書いたりもしていたし、また、非常にくだけた人で理解し易いと感じたが、この佐々木の将人さんを通して知る植芝盛平は、やはり、神人であったとしか思えないのである。

安岡正篤は、積んだ学問だけでも、いかなる現代人とも全く違うのだろうと思う。彼は、歴代首相の指南役で、昭和天皇の信頼も厚かったと聞く。そして、昭和天皇が、太平洋戦争の終結をラジオを通じて国民に告げた詔書(しょうしょ。天皇が発する公文書)を最終的に完成させたとも言われる。あの詔書の表現的な部分だけでも、並の人間に書けるようなものではない。ごく簡単なことだけを言っても、国民の希望をできるだけ消さないと同時に、罪のある軍部の顔すら立てた。軍部に腐敗はあったが、高い志のある者がいることを深く理解し、彼らの心にすら深く配慮したのを感じるのである。
とにかく安岡正篤は大変な知者で、おそらく、あの人の本を直接読んでも、あまり理解できる人はいないと思う。
しかし、あの人が、一般聴衆のために、非常に分かり易く語ったことを、さらに優しく書にした『易経講座』を読んだだけで、とんでもない知識と知恵のある人だということは私でも感じることができたのである。

私は、有名な宗教家の五井昌久さんの本は、学生の頃からよく読んでいたが、難しくはないし、面白いと思っていた。
しかし、植芝盛平や安岡正篤らが五井さんを大変に敬い、先生とすら呼んでいたのを知って驚いたことがあった。つまり、五井さんがそれほど偉大な人であったことにちっとも気付かなかったのである。
だが、最近、五井さんの偉大さが少しは分かることができた。
私は、長年、『老子』を読んでいたが、あまりよく分かっていたと思えず、おそらく、さっぱり分かっていなかったのだろう。
英文学者で詩人、画家の加島祥造さんの本はいくらか読んでいたが、彼もまた、老子が分からなかったらしい。しかし、英文学者である彼は、英訳の老子を読んで理解できたという。だが、その加島さんが意訳した老子を読んでも、ちっとも分からない。
だが、ほんの少しだが、老子を理解できたのは、『抱朴子(ほうぼくし)』を読んだからだった。抱朴子は、老子や荘子や、あるいは、孔子ほどには知られていないと思う。
抱朴子は、葛洪(かつこう)が正式な名前で、彼は、仙人の存在を信じ、人は誰でも仙人になれることを信じて、その方法を探究していた。抱朴子は、老子を最高位の仙人の1人とし、深く崇拝し、老子の書いた『老子(道徳経)』はもちろんだが、老子に関するあらゆる資料を集め分析していた。
この『抱朴子』に書かれた老子の文章の解説や、抱朴子の『神仙伝』に見られる、老子の言葉や行いを見て、私には、不意に老子が少しだが明らかになったと思い、深い喜びを感じた。
そんな時に、五井昌久さんの『老子講義』を読んで、本当に驚いた。
『老子』が、五井さんが解説した以外のものではないことは明らかであるし、その解釈は、誰にも到底思い浮かばないような、恐ろしく深いものである。
『老子』の現代語訳や解説書も色々読んだし、どれも素晴らしかったと思うが、五井さんのは、老子そのものが直接語っているのである。
五井さんは、老子の霊体と融合していると述べているが、世間の人はそんなことを聞くと、「胡散くさい」「カルト教祖だ」と言うのであろうが、そんな世間の物言いはどうでもよく、五井さんと老子が一体化していることは、あまりに当然のことなのである。五井さんは老子を敬って、老子を自分より高く扱っているが、どちらが上とかいうのではないのだけれど、やはり、五井さんは老子に優るとも劣らない存在だろうし、多分、ずっと大きいのではないかと思う。
いずれにしろ、本当の偉人とは、なかなか分からないものであると思う。
だが、同時に、無心、無我、忘我になれれば、これほど分かり易い人達もないだろう。
イエスが、「いつもあなた達といる」と言ったように、黒住宗忠が「人は天照大神と一体だ」と言ったように、彼らは我々の中にいるからである。









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