少女の中には、眠るとき、股の間に手を挟むようにして寝ると、落ち着いてよく眠れるという子が時々いる。
極めて正常な子である。
そして、その感覚を失わない限り、彼女は、生涯、幸運に恵まれるのである。
無論、あなたも同じようにすれば良い。
幸運とは、これほどに簡単に掴めるものだ。
なぜそうなるかというと、色々な説明ができるのだが・・・本当にいくらでも説明できるのである。
そこで、わずかばかり書いてみようと思うのだが、本当は私の頭には、このことについて、本当に多くの書くべきことが浮かんでいるのである。
それほどしっかりとした説明のできる、確実なことなのだ。

聖書の詩篇91に、神が、「この者は私を愛して離れないゆえに、私はこの者を守ろう」と述べたと書かれている。
上に述べた少女は、同じことをしているのだ。
それはどういうことだろうか?
大正時代に日本に来て、弓道、茶道、書道などの日本文化を学んだドイツ人心理学者カールフリート・デュルクハイムは、日本人が駄目になったのは、学校で、西洋に倣って胸を張るよう指導したからだと、世界的著書『肚』に書いている。
簡単に言うと、胸には自我が住み、腹には神である生命の源が宿る。自我が神から離れて自己を高い位置においた時、日本人の精神は崩れたのである。
上の聖書の詩篇91で言えば、自我ばかりを愛し、神を離れたので、神がその者を守れなくなったのだ。
多くの座禅の写真を見れば、背中が反らんばかりに胸を張っているものが多い。それを僧侶が直しもしない。
日航の社長や、日銀の副総裁を務めた柳田誠二郎さんは、学生の頃、熱心に座禅をやったが、やはり、そのような胸を張る座禅をし、心身を病み、死の危険にさえ晒された。
その時、友人の薦めで、岡田虎二郎の「岡田式静坐法」の道場に行く。そこでは、座禅のような座り方ではなく、日本の伝統に添った正座の座り方をする。
虎二郎は、胸を張って座っている柳田さんの胸倉を掴み、ぐっと引き降ろした。そして、柳田さんはその姿勢のまま座り続け、そして30分後、世界は変わっていた。
虎二郎は、腹(神)から離れていた柳田さんの胸(自我)を、神に引き戻したのだ。
柳田さんは健康になり、社会的にも大活躍し、百歳を過ぎて亡くなるまで、虎二郎に教わった静坐を続けたのである。
上に挙げたデュルクハイムも、虎二郎から静坐を学び、ドイツに持ち帰って療法に活かし、成果を挙げたようである。
柳田さんは、虎二郎に教わった正しい座り方について、「鳩尾を落とせ」という言い方をするが、これはあまりに難しい。
しかし、それは、最初のところで、少女が、手を股の間に挟んで寝た時の姿なのである。

現代の、電車の中で座っている多くの人々の座り方は最悪だ。
腰を前に突き出している者が圧倒的に多いが、これは、神を放り捨てた座り方である。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニとカンパネルラより後から汽車に乗ってきた、かおるという名の、12歳くらいのとても可愛い女の子は、カンパネルラの隣に、きちんと手を組んで座っていたとあるが、その姿が目に浮かぶようなのである。
彼女は、組んだ両手を、脚の付け根より、ほんの少し先に置き、背筋は真っ直ぐであるが、決して胸を張ってはいなかったはずだ。
正しい座り方とは、背中を背もたれに付けず、両手に子猫か妖精を大切に持っているようにするのである。大切なものを落とさないように、また、その手が揺れないよう、手は膝の上に置くが、それは、膝の付け根でも、先でもない、安定した場所に置き、肘はなるべく閉じているはずである。
それが、清らかな少女の自然な座り方であり、そんな風に座れば、誰でも再び純一に帰るのである。
簡単に言えば、座る時の注意点はこうだ。まず、どこにも寄りかからないこと。椅子には、浅く座っても、深く座っても構わないが、決して腰を前に出さず、身体を自然に真っ直ぐに立て、肘を横に突き出さず(今の多くの人は、隣の人に平気で肘をぶつける)に閉じ、手を自然な位置で膝の上に置くのである。
また、寝る時は、最初に挙げた少女のように、横向けで、手を股で挟んで寝ると良い。
それだけで、青春が蘇り、エネルギーに溢れ、幸運に恵まれる。
ただ、現代は、我々を貶め、心身を阻害するものがあまりに多いので、私が度々勧める腕振り運動も熱心にやれば安心である。









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